冷雨なり富士は根雪となりたるか小鳥も出でぬ森の静けさ
雨あがる泥土を踏みて土はこぶ堤の補修凍れる前に
泥水地いのちの動き無かりけり春には溢る千代に八千代に
雪便り三山想う八ツ嶺は白くなりしか魚沼の里
冷雨なり富士は根雪となりたるか小鳥も出でぬ森の静けさ
雨あがる泥土を踏みて土はこぶ堤の補修凍れる前に
泥水地いのちの動き無かりけり春には溢る千代に八千代に
雪便り三山想う八ツ嶺は白くなりしか魚沼の里
冴え冴えと夕べの冷気背負いつつ谷を出でれば生還のよう
足跡に雨水を溜めて傷さらす掘られ崩され雨降る堤
耐え難き腰の痛みも土盛れば堤は伸びる斜め陽の日
林内の朽木上げれば幼虫はのの字のの字と群れて現る
侵入竹の徐竹効果を高めるために全伐とひこばえ処理だけでなく、伐り取り方にも工夫がいる。このやり方は、たしか西の方で侵入竹林の処理を続けている団体が実践の中で効果があると発表したと記憶している。
これを知るまでは、小生等のグループも地際から切除していたが、それ以来、このやり方に倣って徐竹をしている。要するに「地上部1m程を残す」という、簡単で伐り取りも楽な方法なのだ。
残す事で、刈り払い作業などに支障があるけれど、地下茎の衰退が早まれば再萌芽は減少する。勢いのある竹は、伐ってすぐに樹液を流し出す。伐り残しが短いと「本体が無い」と感じ樹液の供給を止め、ある程度長く残すと「本体がある」と供給を続け出血多量で衰弱死する。まあ、かような理屈らしいのだが…。
初夏に除伐した部分の伐り口は、既に樹液の漏出は止まっている。ここまで来たら地際から切除して終了となる。
月見ればちぢに物こそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど 大江千里
月やらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして 在原業平
思いわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり 道因法師
ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき 藤原清輔朝臣