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トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のとんぼ「ギンヤンマの産卵」and「オニヤンマ」

2018-08-10 | 今日は真面目に
 上の池に前日設えた第二オーバーフロー部の湛水状況を確認に寄った。3段積んだ土嚢の二段目までは水位があったが3段目には届かず水漏れしている。この段階で泥が溜まれば意図通りで、それから改めて土嚢を積めば目論見通りにいくだろう。

 戻ろうとしたところにオニヤンマが現れ5尺程度先に止まったのだった。オニヤンマの飛翔はほぼ毎日見るけれど翅を休めている場面に出会うことは少ないから撮影できないシーズンの方が多いのである。たまたまデジカメを携行していたから画面いっぱいに撮影してみたものの、PCで拡大したら全てピントがあっていない。合焦音も出たしぶれる様な押し方はしなかったはずなのに「見る価値も無い」写真であった。

 1ヵ月ぶりに水源地の手入れを済ませ、この日の予報は37℃で、すでに空気が生暖かい。スッキリ帰宅と思ったものの「近くだから」とトンボ池に回ってみた。池の中央部にトンボがトンボを咥えて飛んだ、ような印象の飛翔があったから静止して待っていたらギンヤンマの連結飛行だった。
 小生、恐らく初めて見るギンヤンマの連結で、そのまま産卵行動に入った。ギンヤンマの産卵も初めて見た光景である。

 先頭オスの胴体は緑に見えたのでクロスジギンヤンマと思ったけれど、本物の飛翔体と比較すると何となく異なる。後ろのメスの翅は薄茶に見え腹部も茶色だったから、一瞬マルタンかヤブに思えたものの図鑑で「連結産卵」をしていた事でギンヤンマであるとした。
 マルタンやヤブは水中に産卵せず湿った地上部に産卵するから違いは大きい。

 郷里ではクロスジギンヤンマを見た事は無く、すべてギンヤンマとオニヤンマの二種が大型のトンボでギンヤンマのメスを見た記憶も無い。このフイールドではクロスジギンヤンマが普通でギンヤンマを見かける事は稀なのである。恐らく今季最高気温になるであろう日に、脚惜しみせず出向いた結果がこれで外気も熱気も「OH! モーレツ」な一日となった。

                   

越境して刈り払い

2018-08-10 | 水辺環境の保全
 活動圏を接する隣グループの棚田内の稗刈り払いとその上棚の二つ池畦の刈り払いを済ました。夏草茫々で気にはしていた部分だけれど小生が刈らねば誰も刈ってはくれない。

 棚田内の稗刈り払いは作付けしなかった部分に密生して、既に種子を落としてしまったのが大半だから刈り時を失しているのは承知だけれど伸びるままにして、その株元のコナギも増殖させるのは防ぎたい。外回りから渦を画く様に刈り込んで終わり。刈り草の集積は数日放置後に行えば良い。
 この刈り払いの時、オーバーフロー部から水が底抜けしていた。水稲にとっては安全圏であっても環境保全から見ると手間仕事が一つ増えてしまった。
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 二つ池の周囲刈り払いは畦の上部だけである。周囲のほとんどは膝上を越える夏草で覆われているが刈り払わずに残す。刈り払いの見た目は「無精者・横着」とみられる風情だが公園や庭ではないから綺麗さっぱりとする作業は生物環境としてやらないのだが、これは会友だけでなく周囲のボランティアグループにも理解されにくいし選択的刈り払いとなるとお手上げである。「綺麗に刈り込んで」しまうのである。
 さて、刈り草は終日乾燥させ集草し運び出す。そもそも畦の上部を刈り払ったのは泥浚いし畦に積み上げ畦高さを上げる為なのだ。故に刈り払ったままだと地中で腐食し、猪に畦を崩壊させる主因になってしまう。
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 周辺で猪の掘り崩した部分を見ると小生が積み上げた堤や畦、盛り土部分を集中して崩している。また、刈り草を集積した部分も、既に痕跡は見えなくなっていても掘り起こしが酷い。
 それに引き換え、手が入っていない部分は全く荒らさないから「頭頂、自ら湯気立ち昇る」となるのである。富士山の様に万年雪を頭部に留めているような振舞いは出来ん。

つなぐべき命残して秋立ちぬ

2018-08-09 | 感じるままの回り道
 西の段に連なる擂鉢状の谷は孟宗竹で覆われていた。竹が侵入する前は杉林だったのだけれど背比べで負けた杉は立ち枯れて痕跡さえも無い。
 この谷斜面は植樹するのも難しいから竹と実生樹の混成林にする予定だったが、環境教育NPOが「利用させてほしい」との話があり谷底平坦面から北側を利用させる事で承知したのだが、十数年経った現在は、なし崩しに竹の伐採が進み見るも無残な風景になってしまった。
 日当りも良く等高線状の段々畑跡で北側の南向き斜面を譲ったのに具体的活動計画が無いようで「侵入竹除伐」の一点でボランティアや竹切り体験などを催し、破砕機で粉砕してしまった。これではタケノコ掘りさえ出来ない。

 事務スタッフの話では「伐り過ぎた」の意見も出ているとかで「あにはからんや」ではある。竹の切り方も胸高位置で切断してあり、そのうえ節に水が溜まるコップ切りなのだ。これでは雨水が溜まれば蚊の発生源になるだけだけれど、トンボの餌になるだろうから目をつぶる。

 急斜面で切り口が高いので、移動する場合の手掛かりに丁度良いのだが腐食すると危なくなる。容易に折れてしまうのだ。そのうえ徐竹して日当たりが良くなると夏草は一斉に伸長する。こうなってしまうと刈り払い機での作業は不可能で、造林鎌も使えず手鎌でボチボチと刈らざるを得なくなってしまうのである。

 その手間暇・難儀を予想できる会友は皮肉交じりに「楽しみに見ていく」などとのたまうけれど、小生の感想は当初に戻っての「信義則も無い輩だし…」に尽きるのだ。信義則や紳士協定さえ維持できない輩ではビジョンや「木を観て山を観て」のフイードバックなどあるはずもない、が持論になっている。

 さて、吐乱譜や吐与太話は横に置いて竹材粉砕作業の結果、竹林跡には竹チップの層が出来た。これにカブトムシが大量に発生するから8月ともなるとカブトムシの死骸が至る所で目に付く。まるで「山行かば草蒸す屍」そのもので、虫一匹の外殻と言えど手に取ると結構腐臭がする。手のひらに並べると個体差が大きいのが良く分かり、産卵床に恵まれたとは言え育つ苦労も見え隠れしてくる。

  カブト首残せし者へせみ時雨       臭いたつカブト首なり夏終わる

こけら版 「とりこし苦労」 4 (森の幼鳥)

2018-08-08 | 小父のお隣さん
 この時期は繁殖期でもあるから巣立った幼鳥を目にする機会に恵まれた。撮影出来たのもあるしデスプレイで確認できないうちに見失ったケースもある。そういう時、大抵は「惜しかった」状況になるのは「マーフィの法則」そのままである。
                 
 既に親離れしたかのような幼鳥は尻尾が短いから判ったのだけれど、親鳥の警戒音も聞こえなかったのは見守っていただけかもしれない。至近で小生の方が焦ってしまい全ての写真が暗くピントもあっていないのは素人だから…。
                 独り立ち嬉し寂しや幼鳥

 近くの樹枝に家族で飛来した。幼鳥は何回か親鳥から餌をもらい飛び去った。距離は4~5m程度の所だったのが驚き。小生等のフイールドでは直ぐに飛び去るだけで給餌の様子など見せてはくれないのである。
 現地の野鳥全てに言える事だろうが「人を恐れていない」のは、それだけでも驚きなのだが、この事だけからしても人と自然とのかかわり方が異なるだろう事は推察できる。
           ➡    ➡  
                 餌を受けつ親の愛受く雛の口
 


すったもんだは久しぶり…

2018-08-08 | 小人閑居して憮然
 暑い中、越境して刈り払いをするため早く済ましたかったのだろう、道具小屋から刈り払い機を出し給油しただけで始動確認をせず出かけた。通常は始動確認をしてから作業区域へ向かうのだ。

 暑くならないうちに済まそうと8時から作業に入ったのだが、この時点でフイールドは30℃に達し最高気温34.4℃に達した日である。小屋から400mほどの位置で始動しようとスターターを操作してもウンもスンも言わない。点火バルブが湿ったのかと一休みしつつ再度再三操作しても状況に変化はない。

 もうこの時点で汗まみれで始動ロープをどれだけ引いたか、30分以上はすったもんだしている。結局は諦めて拠点まで戻り交換してから作業を終えた。この日、猛暑日の予報が出ていたから作業終了後は拠点道具小屋に刈り払い機を返却せず駐車場の廃棄トイレ内に収容する心算だった。結局、思わぬ伏兵で都合3回、拠点道具小屋まで往復する羽目になった。

 翌日の刈り払い作業の前に点火プラグの確認をするためゴムキャップを外したら断線している。「原因はこれだったのか…」とホッとしつつも半田ごては自宅である。補修は翌日となったのだけれど、補修し点火プラグの火花を確認しても始動してくれない。もうお手上げで修理に出す事にした。
    断線  ➡    半田付け

 ところがである更に翌日、小屋の工具が小生の手提げに入っていたから小屋に戻そうと手に取って
「ビビビッ!」来たのだ。矢も楯もたまらず確認したらドンパチだった。自宅の刈り払い機も度々この受難にあって、道具小屋の刈り払い機でも経験済みの「始動不可」だった。

 何の事は無い、排気口が塞がれていたのである。それもタールを塗り付けたように綺麗に仕上げてある。言わずと知れた母蜂の仕業で中に卵を産み付けられた虫が入っているはず。
 要は保育房として使ったのであるが、ここまでは思い至らなかった。分かってみればあっけない事ではあるけれど「暑気」は半端なく「始めダラダラ、中カッカ、蜂が泣いても穴開けた」の顛末となったのである。
 それにしても「プラグの断線」は何だった?。キャップごと外そうとして千切ってしまったのか不明だけれど、破断面に溶着痕が見られなかったから、ある意味、不良パーツだったかもしれない。
              閉塞    ➡     貫通

流下体を戻す

2018-08-07 | 小父のお隣さん
 水系の末端ち込みからドジョウを回収した。12号台風の出水前に行いたかった作業であるけれど幸いにも40mm程度の雨量では大きな増水にはならずに済んだ。

 もし増水流が増えれば流れに乗って流下するドジョウも増える。それはそれで構わないのだが、落ち込み部の壺の下流には生息できる環境が無い。母川に到達できず干上がるのがオチなのだ。
 回収したドジョウは大小15匹程度、これでも貴重な数であって、最上流部の上の池に戻せば産卵する個体も出るだろうし、カワセミの血となり肉となる個体もいるだろう。流下し堆積物の中で干上がるよりなんぼか良い生涯である。

 バケツに入れ戻しに行く途中、会友のYさん達に披露したら土用と言う事もあり「食べたい」雰囲気がアリアリで、いつも野菜など貰っている小生には申し訳ない場面となってしまった。
 たかだか15匹と言えど一人分のドジョウ鍋には十分な量だが環境的には何も寄与しない用途になってしまう。それでは本末転倒になる。

 会友は先刻ドジョウがいるのは承知だけれど、この回収作業は部外者には見せたくない。中には捕獲に出向く輩が出るのは想定しなければならず、そんな事にでもなれば小さな水域の数少ないホトケドジョウも含め一気に絶滅へと向かいかねないのだ。

今日のとんぼ「コシアキトンボ」

2018-08-06 | 小父のお隣さん
 本日の最高気温33.8℃、8時から西の段の除伐を10時まで行った。この時点で衣服は濡れそぼっている。
 沢水を蛇口から頭に浴びると「法悦・極楽」の言葉が出てしまう。目を瞑り冷水を浴びているのだけれど瞼の裏には雲状の絵を感じるのだ。きっと来迎雲なのだろうがまだ赤い糸結んでいないからイメージは弱く阿弥陀如来様までは見えていない。

 作業を終えると足元もおぼつかなく、ここ数日は水見回りはしていなかった。水路の末端に水が届いていればOKなのである。しかし水は確認できてもトンボの確認は出来ない事であった。
 今日の帰りしな、Sさんから電話があって「昨日、上の池にコシアキトンボ三匹がいた。ヤブヤンマもいたようなので確認してくれないか」と言う内容だ。コシアキトンボは初観測だし、小生も確認したくて踵を返し立ち寄ってみた。

 お目当てのコシアキトンボを見出す前にヤブヤンマ?の産卵に出会った。水域内でない近くの湿った土に産卵していたし、翅も薄茶に見えていたからヤブヤンマでいいのだろう。撮影出来たものの暗くて判然としないが、まあ、トンボがいる程度は理解できる。

 本命のコシアキトンボだが、水面上に張り出たコナラの枯れ枝に止まっていた。他の個体は見えなかったから本日は一匹かとガッカリもする。
 しかしながら昨日は三匹確認されているから産卵する可能性もあるけれどメスが混じっていたかどうかまでは聞きそびれてしまった。図鑑を開いたらメスは虎斑模様で美しそう。ぜひぜひお目にかかりたいので暑さに負けず重い足取りでも池まで運ばねばならない。

        コシアキトンボ初観測      ヤブヤンマ?の産卵  

原爆忌

2018-08-06 | 感じるままの回り道
              空仰ぎ水を飲むさち原爆忌

              セミ時雨しみじみと浴ぶ原爆忌

              熱射下に刈る草いきれ原爆忌

              立ち枯れ木倒して拭う原爆忌


              ピカドンを想えば易し猛暑かな

              ピカドンを拒まず土砂ドンドンの鈍

西の段 5、刈り払い

2018-08-05 | 今日は真面目に
 「お爺さんは山へ草刈りに行きました…」と、ようやく水辺から離れて林内作業に戻れた。シーズン真っ只中の刈り払いだが、段々は林床の下草刈りとなる。最下段の実生樹育成部から始める。入り込めないほど密生したアズマネザサを刈り払い十数年、広々とした空間は林間と姿を変えている。春先に軽くネザサ抑制の刈り払いを実施しているが、草本は刈り払いが必要なほど伸びなくなった。

 この程度の草本なら刈り払わずに済むのだがネザサは一掃不可能で、この区域の刈り払いはネザサ抑制である。シュート1本立ちの部分は刈り刃を滑らせ地際から、株状に発生して部分は掬い取りように地表浅くでも刃を入れて削る。これで少しは抑制度が上がるだろう。

 木本は選択的刈り払いで対応し、現在は写真の様に密生してきた。全体も部分も捉えつつ選択的刈り払いとネザサ刈り、間伐除伐をつづけなければならず、終わりのない作業でもある。
 この日の最高気温は33℃、刈り払い作業としては軽い作業だったものの、片付いた頃の衣服は汗で重たい。沢水で頭を冷やし清拭してひと時の極楽を味わったものの自宅へ帰るまで汗の止むことは無かった。
 既に運転席のシートカバーは白い塩の線が出ている。塩分やミネラル分の補給が欠かせない訳である。

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虫は無視して無心で抜去

2018-08-04 | 水辺環境の保全
 いったんはクロコノマチョウが「羽化するまで…」と抜根除草を中断した葦であったが、いったん踏み入れた泥沼からするのは容易ではない。
 一晩おいて「周囲の刈り払いを行う」予定だったものの葦のコロニー風になっている池を眺め「やはり抜去しなければ後々大事になるから…」と手を出した。まあ、手を出す前に脚を出さねば池には入れない。

 周囲のまばらな葦は抜き取ってあったものの中核部分はそのままで、やはり抜去は力仕事になった。とはいえ「力任せ」では地下茎が残ってしまう。「力任せ」の塩梅が必要である。
 スコップを株元の周囲に差し込み根茎を浮かせ抜き取るのだが、葦の地下茎は浅く軟らかい泥土の中にはない。硬い基盤層の中を走っている。ゆえにスコップは足を掛け押し込む必要があり、押し込んだら浮き上がらせるために倒さねばならない。

 この作業で手のひらが痛くなって翌日でも痛みが残っている。地上部なら足の位置移動と姿勢を対応するのは簡単だけれど泥中の足を抜き姿勢を整え両手でスコップの先を押し上げる事は、葦を抜くより足を抜くのに多大な労力を消費する。池に立ち入っての作業でも涼しくとも何ともない、どちらかといえば泥なのか汗なのかわからない有様になっている。

 葦の茎は鉛筆程度でも地下茎の径は倍以上もあるのが当たり前で抜くのが大変で、この地下茎が基盤層で腐食すれば即漏水孔の完成となってしまう事もよく承知しているからこそ、更に太く縦横に回らぬうちに抜去する事にしたのである。
 もともと葦を生やす場所ではないし、ここに住み着いた虫の不運だと無視したのであった。大事なことは「漏水要因を潰す事」にあるのだし、クロコノマチョウは水辺の生物ではないのだ。

 虫一匹の「命の大切さ」を最優先すれば水辺を失いかねない葦の脅威は維持管理していなければ実感できないだろう。特に棚田の様な段々地形部ではその影響はダイレクトで、漏水は構造破壊まで引き起こす要因なのである。
 ここは棚田跡で稲作はしないが湛水されなければ戻ってきた水生生物は絶滅する。まあ、小生が手出しできなくなれば「送水は止まる」し「水辺の消滅」で、遅かれ早かれ絶滅は「お約束」でもある。
 早い話、現世でも「三途の河原の石積み」は人生にも「不要の要」として存在するのだ。

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こけら版 「とりこし苦労」 3 (水面の幼鳥)

2018-08-04 | 旅行記
 「トンボ撮り爺はどこらで迷うやら」の合間に通る道すがら見かける鳥も撮影する。バードウオッチングなどはした事はないから蝶の代わりとは言え意思を持ったのは初めてだ。

 トンボ自体は水辺で狙う事になるから、いきおい水鳥も目にする事になるのだが、大型の鳥は珍鳥でも興味は薄い。大小いれば雛鳥に関心が行くのは自然の成り行きでもある。

 母鳥の後に従って行くのは最初の頃で、日増しに前後左右に展開し移動する姿を眺めていた。ところがどうも数が減っていく。湖水の水面では遮るものもない丸見えな事も影響するのだろう。

 それでも葦類の茎がまばらにでも生えている部分では安心できるのかバラバラで採餌行動を見せてくれた。最初の頃は握りこぶしにも満たない大きさでも一週間もすると結構しっかりした体型になるのだなあと独りごちる。
 そこに感じ入っても数を減らしたと言う親子の受難の現実は申し訳ないけれど「減ったか…」と言う程度なのだった。小生が関与など出来ない別世界の出来事、とりわけ、とりこし苦労なぞはしない。

              

                       


                   守られつ諸行無常や雛の数

二つ池の漏水阻止

2018-08-03 | 水辺環境の保全
 二つ池の水位がオーバーフローしないままだ。この池の漏水は完治していないけれど、年々漏水部を突き止めるのに苦労する。。水位が一定なので喫水線上の漏水孔だと判断して護岸の竹材を外してみた。
 案の定、オーバーフロー部近くに2か所、反対方向に一カ所が現れた。スコップで掘り下げ土塊を入れ込み踏みつけるだけだが数があると足腰に来る。ともかくも処理してのだが漏水は続いている。まだ隠れた漏水部があるのは間違いない。
 水中にはシャジクモが繁茂して水底の様子が分からない。視認できれば漏水孔のありかも探れるのだが無理な状態だったから「良し」とした。
 このような経路不明な漏水の元を作ったのは、ほとんどが葦の地下茎ネットワークに由る事が多い。そんなことから「ヨシ」とは言わず、いつも「アシ」と呼ぶのである。

 護岸竹材を外す  ➡   漏水孔のひとつ  ➡   復旧完了

アオムシに作業止められ手ぶらかな

2018-08-02 | 小父のお隣さん
 水見回りするたびに気になっていた二つ池の葦抜去作業を始めた。越境作業になるけれど無断で入り込み領有を主張するような無体はしていない。整備補修は了解事項である。

 葦は絶える事無く発生し成長してくる。主役のMさんも除草をするのだが刈り取りが主で抜去は行わない。「抜去しなくては衰退しない」と思っていても端的部外者の小生の言うべき言葉でもなく、そもそもMさんは御年86歳になったはずだ。
 初夏の頃、刈り払いしてあったが、結果として本数を増やしてしまった。

 成長盛りに向かい、これ以上の繁茂を抑えたいから抜去に入った。スコップを杖代わりに足を抜きつつ移動し、スコップを突き立て地下茎もろとも浮き上がらせ引き抜くのだが、葦の地下茎は硬い基盤層を走っている事がほとんどで「芋蔓式」とはいかない。
 それでも株元と多少なりとも地下茎を外せれば抑制にはなる。そもそも葦の地下茎は漏水の最大要因と言って良く、水系では「親の仇、目の敵」と認識している。放置されて以降の葦繁殖の結果、水辺漏水の隠れた要因トップを維持したままなのだ。

 その葦を抜き取って残り半分になった頃に目が止まった。クロコノマチョウの幼虫多数がいたのである。抜去しようか先送りしようか迷ったが、一か月くらいの先送りでも支障は無いだろうと抜去中止となった。
 クロコノマチョウの幼虫は「ススキ」が食草と思っていたけれど「葦も喰らうのか…」と我が身の無知を垣間見てしまった。図鑑を開いたら食草は「ススキ・アシ・ジュズダマ」とあった。もう「ヘェー」である。ちなみに屁はしていない…。

 沢水で泥だらけの顔と腕、ゴム手袋を洗い、上半身を清拭した時に、焼け糞で手ブラをしてみたのだが勿論、ヤンヤの喝采のあるはずもなく山野の中の独り芝居では面白くも何ともなかった…。
 それより成熟した幼虫の黒い仮面を被ったような頭部の方が美しくも楽しい。このデザインは好きで仮面舞踏会でも行くようなアバンギャルドな趣きがある。

                     

12号台風に踊らされて

2018-08-01 | 今日は真面目に
 予報では当地24時間雨量300~400mmだった。被災地は言うまでもないが、これでは出水被害確実である。小生の出来る対策と言えば「送水停止」で送水管内に土砂の流入を避ける事くらいしか手を打てない。
 取水地の壊滅敵被害も覚悟していたけれど、実際の降雨量は40mm程度でホッとした。直前に「西日本豪雨災害」があった事と変則的コースだった事もあり、コースの予報から離れた自治体のてんやわんやぶりも目立った様に思う。もう少し冷静に対処できないかと思ったものの致し方ない昨今ではある。

 さてフイールドでの対応は止水する事だけしか出来ず、結果は止水せずともOK牧場だったのだが「備えあれば憂いなし」で余分な一手間になったとしても愚痴は言えない。
 被害と言う程でもないが食樹として植えたヤマハンノキ1本を失った。これは根元にテッポウムシが侵入し空洞を作られたから無理からぬ状態で、林道にシラカシだか枝折れしたけれど、折れた部分は半分腐植していたから当たり前で、切断して集積し処理は終わり。台風一過後の蒸し暑さには辟易する。
                ヤマハンノキ失う           折れて林道に落下

 葉には毛虫が群がっている。体長は80mmに達しているから終齢幼虫かもしれない。蛾の仲間だろうと推測し幼虫図鑑で写真対照したけれどたどり着けなかった。

赤い星大接近

2018-08-01 | 感じるままの回り道
 31日は火星の大接近日で、若き日の天文ファンとしては眺めずにはおれないはずなのに窓越しに一瞥しただけで終わった。口径90mmの反射望遠鏡も甥っ子世代に渡して今はどうなっているやら…。日給月給の時代、少ない給料の中からツァイスの接眼レンズを揃えたのは贅沢の限りだった
 当時、高井戸だか吉祥寺だか忘れたが田舎の自宅程度の規模で望遠鏡を制作していた高橋製作所にも行ったけれど高くて手が出なかった。この高橋製作所は現在は世界のトップを走るメーカーになっている。

 それはともかくとして、「赤い星」は火星では無い。アカボシゴマダラの事なのだ。刈り払いを終え沢水で身体を拭いて一休みしているところにアカボシゴマダラが飛来して小生の車のルーフに降りた。
 「火星大接近」とはこの事だったのか…余りにもタイミングが良すぎて勘ぐってしまいそうな出来事である。まあ、家政は火星夫、いいえ家政夫として大接近せざるを得ないから、小生は毎日が大接近なのである。

 しかしながら思い返してみれば昨季は大発生があって今期もそこそこ目にするが、自宅の生垣で産卵を見ようとは思わなかった。市街地でも食樹さえあれば寄り付くと言う事だろう。こうも至近でアカボシゴマダラをたまたまと言うのに出会う頻度は他の人に勝るはずだ。
 勝ったところで自慢の種にもならし星と糸では雲泥の差で「なんでだろう、なんでだろう」と猛暑の中、両手をカイグリカイグリして「いと哀し」と思ってしまう信心深い小生でもある…。

 でも、このアカボシ、取って付けた様な塩梅で、綺麗に見えるけれど痛々しい感じもする。小生的にはアサギマダラやシロマダラが好みで小説「斑の紐」は恐い。当時のラジオドラマの台詞「紐よ紐、斑の紐…」と言いつつ息絶えた部分は今でも覚えている。
 同じくラジオドラマ「アッシャー家の崩壊」のラスト、崩れゆくお屋敷の背後に輝く満月のシーンも怖かった…。ラジオなのに映像として脳裏にあるのだ。