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それとは無関係に・・・。
 




GITANESは哀しみの匂いがする。
根拠はない。
それとは無関係に・・・。


宮崎県知事が言い出した「愛のムチ」条例。

「口で言ってもどうしても伝わらないヤツに手が出る」ことを
法律で認める条例なのだろうが、体罰の是非について私は総論を
持っている訳ではないので、うまく判断できない。
どの程度の悪さをすれば体罰を受けるのか、どの程度の体罰が
許されるのかがわからないので、どう考えようもない。
というのは、きっと無意識に私が部分的に肯定しているからだろう。


引用
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fnn news
宮崎・東国原 英夫知事、「愛のむち条例」制定に意欲見せる

宮崎県の東国原 英夫知事が「愛のむち条例」という条例の制定に意欲を
見せた。東国原知事は、「『愛のむち条例』、『愛げんこつ条例』というの
ができないのかなと。愛を持って、愛のむちであるという範囲内で、その
条例化を宮崎県はできないかということをちょっと考えたんですけれども。
ちょっと検討に値するかもしれませんね」と述べた。
きっかけは、18日に行われた宮崎県議会での自民党議員の発言だった。
自民党の萩原耕三県議は「憎しみでたたくと、これは『怒る』ですよ。教え
育てるというなら、これは『しかる』ですよ」と話した。
東国原知事は、萩原県議のこの発言を真剣な表情で聞いていた。
議会終了後、地元記者から「重要だと思った議題は?」という問いに答えた
のが、この「愛のむち条例」だった。
東国原知事は「体罰というのは『愛のむち』といいますか、昔はげんこつで
教えられた。われわれもそうだったんですけどね。そういったものが、最近は
できなくなってきている中で、教師という位置づけをどうするかと」と述べた。
この東国原知事のアイデアに、法務省のトップ・鳩山法相は「気持ちとしては、
よくわかる。日本人が骨なしのクラゲみたいに、ふにゃふにゃしてるわけだか
ら。ぴしっとさせるという気持ちはわかるけど、直接体に圧迫は加えない方が
いいんじゃないかな」と述べた。
東京の銀座と巣鴨の2カ所で、あわせて50人に「愛のむち条例」の是非を聞いて
みると、銀座では、「賛成です。子どもたちが今、先生をばかにしてるって
いうか」、「いけないことをちゃんと教えるというのは、言葉だけでは無理な
ところもやっぱりあるじゃないですか」、「反対です。愛のむちというのが
言い訳に聞こえてますね。どこからが愛なのみたいな」といった意見が聞かれ、
25人中、実に20人が東国原知事の意見に賛同した。
また巣鴨では、「たたかれたことに対する憎しみというか恨みというか、それが
先に出ちゃう」、「わたしたちが育った時代は、周りからそれこそ、むちっぽい
ものを受けて育ったじゃないですか。今はそれが案外ないような気がする」と
いった声が聞かれ、19人が賛成し、こちらでも体罰を容認すべきという意見が
大多数を占めた。

後略

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とは言え、色々な設定や前提に、大いに疑問がある。

「口で言ってもわからない」のは、理解しない生徒に責任があるのか
理解させられない教師側が悪いのか。

友達に対する暴言と、いわゆる喫煙などの非行は、どちらがムチを
受けるほど重いのか。

体罰には道具を使用してもいいのか(顔面右ストレートと、定規で
ペチッとたたくのはどっちが認められるのか)。

条例となると校則より上位の規則となるが、それで矛盾は生じないか。

最も違和感があるのは、やっぱり
「愛」と「暴力」の度合いを誰がどんな資格で決めるのかという点である。


なんやねん、「愛の」ムチ条例って。

それをくっつけて正当化の足しにするのが許されるなら、
「愛と哀しみの売春許可法」でも、「平和と共存の治安維持法」でも、
「福祉目的ですよ消費税30%」でも、
「あとは歴史家が評価するさ酒税率10倍にアップ」でも、何でも
OKになってしまう(そんな訳ないですけど)。


ヤンチャなガキだった私はモノゴコロついてから今までに
数限りなく体罰を受けてきた。
そして、ただの一度もそれに「愛」を感じることはなかった。
教師でも先輩でも親からの体罰でも。
それに愛情を見出せるかどうかは、殴られた側の素養や、個々の自分を
納得させる方法に完全に依存する。



だから体罰が必要なかったのかというと、そんなことはない。
ポイントポイントで、それらは非常に有効だったと言える。

「あ、普段あんなにおとなしいあの先生に殴られた。だからこれは
よっぽど自分が悪いことしたんだな」
とか、
「お、やっぱりこの体育教師の一発はいつも会心の一撃だ。
これをもう食らわないように、ちょっとおとなしくした方が・・」
とか、
「あ、こいつ殴りやがったな。この程度で殴るのかこの先生は。
口で説明してくれればわかるのに・・・。
まあいいか、つまらんヤツを怒らせても、ロクなことがない・・・」

などという思いがあっただけである。


どう考えても体罰は不当だ。
そして、不当だからこそ非常に効き目がある。
最終手段、非常手段だから効くのだ。
常套手段に効果など期待するのは間違いである。




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