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日本のトイレ事情について考える

2010-01-24 10:58:26 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

日本で最初にトイレが登場したのは、縄文時代といわれています。それは、遺跡から、川岸に杭を打って板を渡し、その上で用を足すものであったと推定されています。

弥生時代も縄文時代と同様に川など野外の思い思いの場所で用を足し、自然の浄化作用に任せていましたが、古墳時代に入ると、敵から身を守るため集落の周りに堀(環濠)が掘られるようになり、その堀がトイレになったようです。

飛鳥時代には、川を建物内に引き込み用を足すようになりました。トイレのことを「厠(かわや)」と言いますが、この「川を建物内に引き入れた」ことが「厠」の語源であるとされています。

Photo また、平城京の貴族たちは、都大路の側溝の流れを屋敷内に引き込み用を足しましたが、当時、「厠」は上流階級のステイタスであったようです。

平安時代に入ると寝殿造りの建物が現れますが、貴族の屋敷からトイレのPhoto_2 姿が消え、代わりに「樋筥(ひばこorひのはこ)」と呼ばれる漆器製の「おまる」が使用されるようになります。この「樋筥」には「衣掛け」と呼ばれる、上に丸い棒が付いた板が立てかけられこの板を後ろにして、それに装束の裾を掛けて用を足しました。この「衣掛け(きぬかけ)」がなまって、和式便所の「金隠し」になったといわれています。

また、「樋筥(ひのはこ)」の簡易なものは「樋箱(ひばこ)」と呼ばれていました。「樋筥」「樋箱」を洗いきよめる女性は、比須万之(ひすまし)、あるいは樋洗いとよばれ、高貴な邸ではなくてはならぬ職業であった。その後「樋筥」専用の部屋が設けられ、これを「樋殿(ひどの)」といいました。

当時の庶民はどうであったかよく分かっていませんが、縄文時代と同様に自然の浄化作用に任せていたものと思われます。

1 鎌倉時代になって幕府が二毛作を奨励すると、人の糞尿を下肥(肥料)として使用するようになり、汲み取り式便所が登場します。その後、書院造りが現れるようなってトイレは住居の一部に組み込まれるようになります。これは武士の時代になり、いつ襲われるかもしれないという安全上の理由からであるといわれています。

江戸時代に入ると、糞尿のほとんどすべてが下肥として使用されるようになり、江戸では、近郷の農家が野菜と交換に争って糞尿を汲み取らせてもらうようになります。また、糞尿は商品として流通するようになり、専門の汲み取り業者によって、江戸の糞尿は河川を利用して、関東各地へ肥船で運びだされました。

当時の江戸が、人口100万人を超える世界最大の都市に成長し、かつ極めて清潔に保たれた背景には、始末に困る糞尿を下肥として使用し、農業の生産性を高める循環システムが確立されたためであるといわれています。なお、江戸時代に、このような循環システムを可能にしたのは、室町時代の末に、日本に豊富にあった杉と竹で、軽くて、丈夫で、しかも安価な「桶」という液体運搬容器が開発されたからだともいわれています。

Photo_3 Photo_4 Photo_5 2 糞尿には等級があり、食生活が豊かな大名屋敷や大店から出るもののほうが長屋住まいの町人のものよりも高価で取引されました。また、その濃度によっても値段が異なるため、大小便所を別々に設けて女性も小便所を使うようになり、女性の立ち小便スタイルも普及したということです。当時の長屋には共同便所がありましたが、その糞尿の所有権は、関東では大家に、関西で店子にあったそうです。ちなみに、糞尿の値段は、幕末の記録では、1年間、大人10人分で、2分か3分(1両=4分)程の値段で取引されていました。

余談になりますが、江戸城から出る人糞は、葛西村(武蔵国葛飾郡)が独占していた。長屋に併設された共同便所は、これらの肥料原料を効率良く収集するために設置され、ここから得られた肥料で城下町周辺部の農地は大いに肥沃になり、町民に食糧を供給し続けたのです。

Photo_6 明治時代に入っても、トイレは汲み取り式便所で、糞尿は下肥として農地に還元するという形態は変わらず、糞尿を売ることもできました。

大正時代になると、安価な化学肥料の大量生産などが原因で糞尿の価値は低落し、大都市近郊の糞尿は料金を支払って汲み取り業者に回収してもらうようになります。

戦後になって、人口の都市集中化が進み、糞尿の行き場がなくなります。糞尿は寄生虫の問題も加わって、徐々に厄介者になって行きますが、糞尿の下肥として利用は昭和30年代までつづき、糞尿の海洋投棄や山林投棄による処分もつい最近まで行われていました。

その後、日本の大半のトイレは、下水道の普及や浄化槽の利用による水洗化の道を歩みます。水洗トイレが登場したのは昭和30年頃のことで、腰掛け式の水洗トイレは昭和34年に日本住宅公団が採用してから、徐々に、一般家庭へ普及していきます。

現在、トイレは温水洗浄便座、抗菌便座、自動脱臭便座などの登場により、快適な生活空間の一部となりつつあります。また、キャンプ場や山小屋などでは、バクテリアの働きで糞尿を自然に戻す「バイオトイレ」が実用化されています。そして、トイレは更に進化をつづけるでしょう。現在、便器に座るだけで健康状態を管理することができるトイレが研究されているそうです。

ついでに、後始末について少しお話しますと、日本人がトイレで紙を使うようになったのは平安時代といわれていますが、これは貴族だけのことであり、江戸時代までは、関東では「籌木(ちゅうぎ)」と呼ばれる割り箸のような木片を使い、関西では「縄」にまたがりお尻を拭いていたようです。なお、古墳時代には、土師器(はじき:古墳時代から平安時代にかけて用いられた素焼きの土器)や須恵器(すえき:日本古代の灰色の硬質土器)の破片がトイレットペーパーの代われに使われていたことが、遺跡から推定されています。

ちなみに、一般の日本人がトイレで紙を使用するようになったのは、明治の中頃からです。現在、世界中でお尻を拭くのに紙を使っている人は、3分の1以下だそうです

したっけ。

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