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端午Ⅱ鍾馗ってなんだ?

2009-04-27 15:58:29 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

鍾馗ってなんだ?

6_2鍾馗(しょうき)は、主に中国日本の民間伝承に伝わる道教系の。日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午節句に絵や人形を奉納したりする。また、鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、屏風掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。

1_2 鍾馗の図像は必ず長いを蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿である。この鍾馗の信仰は、日本にも伝わって室町時代ごろから行われ、端午の節句魔よけとして飾られるようになりましたが、なぜか関東中心で、京都大阪にはあまり見られないそうです。鍾馗(しょうき)は、お子さんや家の守り神としておなじみです。黒い髪と赤い髪の2種類があります。

5_2 図柄としては鍾馗が刀を振るってコウモリ(蝙蝠)を打ち落としているものが好まれた。これは蝠の字が福に通じることから、これによって福を得たいという気持ちを表現したものである。

鍾馗の由来


伝承では、「唐の国の玄宗皇帝は病(マラリア)に伏して夢をみた。」熱で苦しむ枕もとに「虚」、「耗」という小鬼が現れ、楊貴妃の紫香嚢(香袋)と笛を盗んで行こうとしていた。誰かいないのか!と大声で叫ぶと、どこからともなく破帽子をかぶり、角帯をつけ革靴をはいたひげ面の大男が現れ、あっという間に鬼を食べてしまったという。

4_2 小鬼より怖い形相でたつその者の正体を問うと、「私は終南山の鐘馗と申します。武徳年間(618-626)に官吏になるため科挙を受験したが試験に失敗し、国に帰るのを恥じて自らの命を絶ちました。だが高祖皇帝は自分を手厚く葬られましたので恩で鬼を退治するために参りました。」 夢から覚めた高祖皇帝の病は不思議にもすっかり治っていた。そこで、絵師に命じて夢でみたままの鐘馗の姿を描かせ、災厄を祓う守り神とした。とあります。

鐘馗はこうした伝承から人々の間で邪悪なものや疫病から家を守る魔除けの神として信じられるようになりました。

こんな話があります。

江戸時代、京都の、ある家の奥方が原因不明の病で伏していた。手を尽くしても回復しないのに困り果てた医者は、ある日隣の屋根に鬼瓦が載っているのに気付く。もしかしたらこの病は鬼瓦で除けられた災いがこちらに降りかかっているためかもしれない。でもお向かいの鬼瓦を降ろしてくれとは言えない。あれこれ考えた末、深草の瓦職人に鐘馗像を作ってもらい鬼瓦と睨みあう位置に据えたところ、たちまち病は全快したという。

京都にはお寺が多い。それぞれに意匠をこらした見事な鬼瓦が載っている。それまで高嶺の花であった瓦が江戸時代になると安価で庶民も自由に使えるものになり、近所の人間関係を保ちつつも鬼瓦によって除けられた災いが我が家に降りかからないよう、屋根に鐘馗像を据え、また、「虚」「耗」という鬼をも負かしたという伝承から、鬼より更に強い魔除けとして考えられていったようです。

鐘馗さんの置き方に決まりはあるの?


Photo_2 21_2 お向かいに鬼瓦がある家の場合には、鐘馗さんを正面から向かい合うように据えます。ところが、お向かいに既に鐘馗さんが載っている時は、お互い睨み合うことがないよう目線をはずして据えたり、鐘馗さんの睨みを笑い飛ばすという意味で代わりにお多福さんをのせたりするのだそうです。

いずれにしても、角を立てずに円滑な人間関係を保つ「はからい」のように思えます。また、家の鬼門に据えたり、お隣さんとの関係で方位のよくない場所に上げたりするのは、むしろ災い封じの意味合いが強いように思えます。
無言で何かに睨みを効かせる鐘馗さん。表情や姿は千差万別、でも人の思いは鐘馗さんに平穏を託しているように思えてなりません。それに無機質ではない温かみと伝統の技から醸される高貴さは見る者の心にいにしえへの憧れと懐かしを感じさせてくれるような気がするのは、きっと私だけではないでしょう。

赤鍾馗は誰が描いたのか?

Photo_2 北斎その人の活きていた時代――わけても彼の壮年時代は、ひどく悲惨なものであった。第一が無名。第二が貧乏。第三が無愛想で人に憎まれた。彼の履歴を見ただけでも彼の不遇振りを知ることが出来よう。

思いあぐんで或日のこと、日頃信心する柳島(やなぎしま)の妙見堂(みようけんどう)へ参詣した。その帰路(かえりみち)のことであったが俄に夕立に襲われた。雷嫌いの北斎は青くなって、狼狽(ろうぱい)し、田圃道を一散に飛んだ。

 その時眼前の榎(えのき)の木へ火柱がヌッと立ったかと思うと四方一面深紅となった。耳を聾(ろう)する落雷の音。 彼はうんと気絶したがその瞬間に一個の神将(しんしよう)、頭(かしら)は高く雲に聳え足はしっかりと土を踏み数十丈の高さに現れたが――荘厳そのもののような姿であった。

 近所の農夫に助けられ、駕籠に身を乗せて家へ帰るや、彼は即座に絹に向った。筆を呵(か)して描き上げたのは燃え立つばかりの鍾馗(しようき)の姿であった。それは前人未発の赤鍾馗。紅(べに)一色の鍾馗であった。北斎七十九歳のときである。

 これが江戸中の評判となり彼は一朝にして有名となった。彼は初めて自信を得た。続々名作を発表した。『富士百景』『狐の嫁入』『百人一首絵物語』『北斎漫画』『朝鮮征伐』『|訓往来(ていきんおうらい)』『北斎画譜』――いずれも充分芸術的でそうして非常に独創的であった。

私の家にも鍾馗様の人形がありますが、押入れに入ったまま出てきません。子供も成人したし、大きくて飾る場所に困るんですよね。

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