クリームシチューはホワイトシチューとも呼ばれ、日本では単にシチューという場合はこの料理を指すことが多いです。1924年に『滋味に富める家庭向西洋料理』にて、牛乳と小麦粉を加えたシチューが紹介されたのが始まりとされます。
「戦後の学校給食でカルシウムを取るため、脱脂粉乳を入れたことから生まれた日本独自の食べ物」だそうです。
その後、1966年にハウス食品から発売された粉末ルウ「クリームシチューミクス」が大ヒット商品となり、一気に日本の家庭に普及しだし、学校給食でもクリームシチューが提供されるようになります。
前述したように、クリームシチューはパン派かライス派かで分かれやすい料理ですが、少なくともハウス食品の「クリームシチューミクス」は、ごはんに合うシチューを目指して開発されたという経緯があります。
ちなみにクリームシチューという単語も日本生まれ。つまりは和製英語なのです。
※以下、ハウス食品「シチュー資料館より
■戦前日本のシチュー事情
明治時代の中ごろからレストランメニューとして定着。 日本のシチューの歴史について、まとまった記録があるわけではないので、はっきりしたことはわかりませんが、シチューとシチューに関わる記事などさまざまな断片的な記録から判断すると、西洋料理を提供するレストランには、明治の初期からプロの料理人達が綿々と受け継いできた本格的な洋食メニューとしての「ビーフシチュー」があり、明治時代の中ごろにはすでに、シチューはレストランのメニューとして定着しているようです。
文明開化の気運にのって、異国の料理に果敢に挑戦したプロ達の世界では、ビーフに限らずさまざまな具材を使った、大部分は赤ワインやトマト系調味料を用いた、「茶色い」シチューを作る技術が必須でした。そして、家庭の台所ではまず手に触れることすらない牛の舌や尾、その他のモツ類、羊の肉、兎の肉や野鳥といった素材のシチューを賞味する、勇気のある客達がこの歴史を支えてきたというわけです。 |
■戦後日本のシチュー事情
学校給食に白いシチュー 戦前の昭和の時代にホワイトソースが一般家庭に普及したといってもそれはやはり一部の家庭に限られました。 ホワイトソースの「白いシチュー」が日本全国に普及したのは何といっても戦後の学校給食を通じてでしょう。もっとも「白いシチュー」とはいっても、学校給食に登場したものには本格的なホワイトソースではなく、小麦粉でとろみをつけただけというようなものも少なくありませんでした。
うちで食べるのも白いシチュー 昭和30年代テレビの料理番組のはじまりのころ、まだまだ食糧難の記憶も鮮明で、ローストビーフやステーキは夢のまた夢でした。そのころ家庭で作るシチューは、4人分としてせいぜい150〜200g程度の肉と、後は玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、コショー以外の香辛料はローリエ(月桂樹の葉)がぼつぼつ知られ始めたという状態でした。伝統的な日本の汁もの、けんちん汁や薩摩汁の中身が少々バタくさくなったものといってよいでしょう。 そしてその特徴はホワイトソースの白、「シチュー」といったら「白っぽい汁もの」。このホワイトソースをどうしたら上手に作れるかがテレビ番組の講師達の説明にも不可欠でした。
ハウス食品のシチューミクスの登場で、シチューが家庭料理として定着 その後、1966年(昭和41年)ハウス食品の顆粒状(発売当初は粉末状)のルウ、シチューミクスの発売によって、誰もが家庭で簡単においしく「白いシチュー」を作れるようになったのです。そして西欧の料理書にはない「ホワイトシチュー」「クリームシチュー」の語が定着、家庭料理の定番の一つとなりました。
ハウスシチューミクス開発ものがたり きっかけは「給食で食べた白いシチューのルウを作りたい」 「シチューミクス」の開発のきっかけは、担当者が昔給食で食べた「白いシチュー」、あのシチューのルウを作りたいという気持ちでした。そしていろいろ資料を調べると、アイルランドにアイリッシュシチューという伝統的な白いシチューがあることがわかったのです。ですから発売当初のパッケージには小さく「IRISH STEW 欧風煮込み料理」の文字が入っていました。 . そして「ごはんのおかずになるシチューを」 もう一つ担当者が考えたことは、ごはんのおかずになるシチュー、毎日食卓に違和感なく登場させられるシチューということでした。今となっては当たり前のことのようですが、当時としてはかなり新しい発想だったといえましょう。
当時まだ珍しかった店頭試食販売で紹介 発売当初は、スーパーなどの店内で実際に試食していただきましたが、当時はまだまだなじみのない料理で、はじめのうちはなかなか試食皿を受け取ってもらえず、「シチューって何?」「白いのは白味噌?」「粕汁なの?」といった、今では信じられないような質問も少なくなかったそうです。でも試食していただけば「おいしい!」と好評、ファンはどんどんふえていきました。
ルウの登場でレストランの茶色いシチューも、家庭で ハウス食品が最初に発売したシチューミクスは「白いシチュー」にくわえ、ビーフシチューのための「茶色いシチュー」のルウもあり、どちらもお好みで家庭で手作りできるようになり、現在に至っています。 |
したっけ
minimarche
080-0018 帯広市西8条南6丁目7番地
ハーブティーは下記のお店「雑貨(Tkuru&Nagomu)で取り扱っていま
雑貨(Tukuru ・nagomu) 0155-67-5988
可愛い雑貨も、たくさんありますよ。
http://www.d-kyoya.com/minimarche/
株式会社ディステリア京屋
080-0018 帯広市西8条南6丁目7 ☎0155-22-2151
↑:友人がオーナーの店です
Chef’s Dish ノワ
詩集「涅槃歌」
私の一押しの詩集を紹介します。現代女性詩人のトップクラスの詩を感じてください。魂が揺さぶられます。これは倉内佐知子の入門としては最適な詩集です。一度読んでみて下さい。
涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇 (22世紀アート) | |
倉内 佐知子 | |
22世紀アート |
〈溶ける魚〉が背を這いずり、異国の香りが鼻腔を抉る、無頼の詩語は異界をたゆたい、イデア(idea)の入り口を探る——「幼年の濃い光の中で 時間の臓器は待っている」(本文より)心地よいリフレインが幻惑の世界へと誘う「音更日記」、言葉の配置と表現形式にこだわった「光る雪」、グロテスクな言葉の暴力で異質な世界を構築した「青」など計18篇を収録した、小熊秀雄賞受賞詩人の詩集。言葉が持つ魔術的な美を、無意識の泉から掬い上げた、幻想的かつ根源的な一冊。
海鳩
―潮騒が希望だったー
ぐしゃぐしゃに砕かれた大顎の破片が散乱し
ているのは知っていたがここのものではない
さんざん悪質を通過しなお何ものとも繋がら
ない兵器的非感覚の海を死生の循環の内へと
流し込むなど可能かぶふぅィ暫し棘状の海塚
にうずくまりわたしたち固有の肉体がはぜる
記憶のふあんに堪える堪えて噛む海鳩が翔ぶ
〈母ァさん 母ァさん〉
あなたさえ答えようもないのです
(後略)
Photoshop Elements 2019 日本語版 通常版 Windows/Mac対応 | |
アドビシステムズ | |
アドビシステムズ |
私も写真の編集や似顔絵の色付けにに使っています。非常に使いやすく機能も多彩です。あなたもフォトショップで、写真の新しい世界を体感してください。以前はフォトショップエレメンツ12を使っていたのですが、全然違います。ここまでできるかというくらいです。
マルマン ポストカード 絵手紙用 画仙紙(越前) 手漉き S133C 100枚 | |
マルマン(maruman) | |
マルマン(maruman) |
クリームシチューは冬ですね。
ルーを使わず牛乳と小麦粉ですか~。
私はご飯とかパンとかの前に牛乳アレルギーなので食べられません^^
したっけ。
クリームシチューが美味しい季節になりましたね。
最近はルゥを使わず 作っています。
我が家は男性陣がパン派です。
クリームシチュ―は商品名だったんですね。
それらしい名前を付けますね^^
したっけ。
市販のルーはハウスですか?
ご飯にかけるのが正解です。
そういう風に開発したんですから・・・。
上田さん、似てますか~。
ありがとうございます^^
したっけ。
そうだったのですか~
外国のだとばかり思ってました。
さすが日本ですね~
母は市販のルウでよく作ってました。
じゃがいもがゴロンと大きくて
私はご飯にかけて食べてました^^
くりぃむしちゅーの上田さん、そっくりですね(*^。^*)
昔は牛乳が栄養食品として重宝されていましたからね。
とはいえ、牛乳アレルギーの私は食べられません。
クリームシチューの何とか?
あ、名前を入れ忘れていました。
絵を差し替えました^^
したっけ。
随分若いころはお世話になりました。
ジャガイモなど居れるものより、
トウモロコシを入れるだけのコーンスープとして!
ホワイトソースを作るより便利で牛乳も同時摂取できるので良く作りましたが、
最近は別の色々なあっさりしたスープに移行してます。
絵の人はクリームシチューの何とか?言う人ですね(*^^*)