都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
餌台をめぐる決闘の話。
数十年ぶりに見る緋連雀(ヒレンジャク)。彼らはシベリアや北米大陸の木の実のなりかた次第で日本に渡来する。彼らの仲間に黄連雀(キレンジャク)と云う鳥がいる。見た目はそっくりであるが、尾羽の先が赤いか黄色いかの違いで、ヒレンジャクの方が、やや小ぶりです。しかし、彼らが渡来するのは、キレンジャクが東日本、ヒレンジャクは西日本ということで、北海道にヒレンジャクが渡来するのは非常に珍しいのです。しかも彼らは連雀と云うくらいで、群で行動するのです。ですから、ヒレンジャクが北海道に来る場合は、キレンジャクに混在することが多いのです。
でも、彼は単独でやってきました。
当然、年中餌台を独占している鵯(ヒヨドリ)にとっては気に入りません。彼は毎日、雀や四十雀たちを蹴散らして、悠然と餌を食べているのです。
時代劇風に云うとヒヨドリは悪代官、ヒレンジャクは一匹狼の流れ者。しかも、ヒレンジャクの方が一回り小さく、どう見ても不利と思われます。
平成21年3月4日、ヒレンジャクが餌台のリンゴを食べています。そこに現れたのがヒヨドリです。当然彼はヒレンジャクを追い払おうとしました。突然の攻撃
に驚いたヒレンジャク
は、一旦は近くの枝に逃れました
。
ヒヨドリは、どうだと言わんばかりにリンゴを啄ばみます。しかし、ヒレンジャクも負けてはいません。生存競争に勝たなければ生きてはいけないのです。餌台めがけて攻撃
を再開しました。
2・3回の小競り合いの末、餌台の北側にヒヨドリ、南側にヒレンジャク、両者動きを止め、にらに見合いになりました。当然、ヒヨドリが優勢と思われましたが、ヒレンジャクも一歩も下がりません。まさに時代劇の決闘です。
5分ほど火花が散るほどのにらみ合いが続きました。息を呑むほど緊迫した場面でした。
とうとう、堪え切れずにヒヨドリが仕掛けました。それを受けてヒレンジャクの猛反撃。ヒヨドリは餌台を後にしました
。
その後、ヒレンジャクが来ると、ヒヨドリは席を譲ります。
我が家の庭の餌台で行われた、決闘の話しでした。
尚、野鳥については、フォトアルバム「訪問者たち:野鳥」をご参照下さい。
お詫び
短編小説は当分の間休載します。
新聞に応募する作品の執筆に入りますので、こちらが完成するまで、ブログの短編小説は休載させていただきます。勿論、完成しだい、ブログの短編小説は再開します。
短編小説以外の分野では、今までどおり書き綴りますので、遊びに来てください。
ネタの目途は付いたのですが、構想が膨らみません。入選目指して頑張ります
。
皆様の温かいご声援、宜しくお願いします。
2009.03.06
都月満夫
電話の相手に頭を下げますか?
電話の相手になんか、頭下げてどうするんだよ。電話の相手は見てないんだぜ!勿論こっちからだって相手は見えねぇ。そうだろう・・・。そんな無駄なことするかっつうんだよ。
だけど、悲しいかな、やってんだよな~。
いや、電話の相手に頭下げてんじゃねぇんだ。人間、長くやってると、言葉と動作ってヤツが、自動的に同時に関連付けられちまう。これはしょーがねぇだろうよ。自分は頭下げてるつもりはねぇんだ。勝手に、言葉に動作が付いて来るんだ。犬のよだれと同じだ。
だけど、他人が見れば、頭下げてるように見えるよな~。だから、仕方無しにこっち側だよ。
納得いかんけど・・・。いや~、何か悔しいけど・・・。腹立つ質問だな~
先日の、お葬式の時にお坊さんの説教に「四苦八苦」と云う言葉の説明がありましたので、紹介します。
普通に私たちが使う、四苦八苦とは、大変な苦しみ。非常に苦労することですが、その語源は仏教用語だそうです。
四苦八苦は仏教語で、本来は人間のあらゆる苦しみのことをいう語。
四苦八苦の「四苦」とは「生老病死(しょうろうびょうし)」のことで、人間として逃れられない必然的な苦しみをさすのだそうです。
四苦八苦の「八苦」とは、生老病死の四苦に「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」の四苦を加えた八つの苦のことで、四苦と八苦で十二苦あるわけではありません。
後半の四苦の意味は、「愛する人と別れる苦しみ(愛別離苦)」「怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)」「求めるものが得られない苦しみ(求不得苦)」「存在を構成する物質的・精神的五つの要素に執着する苦しみ(五陰盛苦)」で、人間として味わう精神的な苦しみのことをいうそうです。
即ち最初の「四苦」は、「生老病死(しょうろうびょうし)」ですから、母親の産道を通って産まれて来る苦しみ。生まれた瞬間から老いて行く苦しみ。病にかかる苦しみ。やがては、死ななくてはならない苦しみ。ですから、動物として生まれたからにはどうしようもない苦しみです。
後半の「八苦(四苦)」は、人間として生まれた故の、精神的な苦しみで、これを超越することは並大抵ではないと思われます。
それでも、後半の「八苦(四苦)」は、心がけ次第では、いくらかでも和らげることが出来るかも知れません。
お葬式にあたり、自戒をこめて書かせていただきました。南無釈迦佛・・・