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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

偶数月の15日国産の漬物を食べる日

2013年04月15日 | 宅老のグチ

年金の支給日です。ようやくスーパーも認識したようで15日はちょっと良いものの特売日となってきました。
 警察からのチラシも入っていて『サギ』にあわないように注意を喚起しています。最近の手口も変化していて詐欺師も騙しテクニックの研究をしているようです。振り込めサギから手渡し詐欺とか色々あるようです。
普段手にしない品質がよい日本産の漬物の食べる日です。
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やっと八重洲線の工事が再建と見えるようになった。

2013年04月14日 | 築地市場にて
ようやく汐先橋交差点に高速道路の橋げたが架かった。今年いっぱいで元通りになるのだろうか。築地付近の工事は豊洲移転工事を除くと予定通り進んでいる。
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元に戻る八重洲線の第一歩

2013年04月13日 | 築地市場にて
天気がよければ夜に汐先橋交差点で工事が始まり、首都高速八重洲線が元に戻る橋げたが架かる。前の橋よりどれだけかさ上げになるのだろうか。
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明日の夜に橋が架かりそう

2013年04月12日 | 築地市場にて
どうやら環状2号線の工事がは橋を架けるところまできた。汐先橋付近の通行止めの案内がある。
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都議会選挙のポスターが増えて

2013年04月11日 | 宅老のグチ

今年6月にある都議会議員選挙の立候補予定者のポスターが増えてきた。築地市場で働いている労働者の大部分は中央区の住人ではないような気がする。この件を把握しているのは市場の健康保険組合しかないだろう。今のところ大きな争点がなく政策論争はないように見える。もっと選挙に近くなると見えるのだが豊洲移転は争点にならないような気がする。
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食べ物をデジタルで分析

2013年04月10日 | 宅老のグチ

食品産業の見本市で色々な検査機械が展示されている。うま味の分析機械、歯ごたえの機械もある。塩分、糖分などは当然あるが食品に触れないでセンサーだけで分析できるものさえある。
 ただ分析が不十分なのは消費者の気持ちで、どんなとき購買され、また何時飽きるかがよく解っていない。この分析が出来ればヒット商品の興亡がわかるのでロスが減ることになる。しかしこれは永遠に出来ない気がする。子供の遊びで『影踏み』というのがある。自分の影を踏む遊びだが夕方長くなった影をいくら影の先を踏もうと思っても踏めない。しかし、遊びをあきらめても影はついてくる。真昼は陰が短いのでうまく体制を整えれば影の頭を踏むことが出来る。
 動きの不明な消費行動も影踏み遊びと同じで時期を選択すれば分析できるかもしれない。
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半年前は78円だったのに

2013年04月09日 | 築地市場にて
今日の為替相場で1ドルが100円になりそうで、この円安の速さは異次元と感じる。食料自給率が40%ほどなのでいずれ為替変動の影響が出てくる。円安による食料価格の上昇はダイエットによる節約抵抗がどれだけあるのだろうか。
 アメリカでは貧乏人ほど缶詰を利用していて太目となるという。缶詰は保存が利き当分低価格品が流通するだろう。海運による輸送の変革が物価の上昇をどれだけ抑えるか異次元の世界となった気がする。
 自動車もガソリンが円安で価格が上昇しているが消費者が燃費の良い車に買い換えて抵抗している。深夜のテレビの宣伝はダイエット関連が多い。安い缶詰に行くのか量を減らすか気になる。
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長英逃亡 を再び読む

2013年04月08日 | 福神漬

ここ最近高野長英がなぜ千葉万歳村に行ったか調べている。この手引きをしたのが内田弥太郎であることは明白であるが吉村昭の小説では借金をするため万歳村に行ったことになっている。何年も逃亡している身で金を借りるだけで千葉東総地方の万歳まで行く必要があったのだろうか。長英が万歳村に行ったのは内田の弟子であった花香安静が死去してから9年ほどたった時だった。万歳村の東福寺に花香安静の顕彰碑がある。東福寺の山門の脇に事蹟を記録した板碑がある。碑文は内田観斎の起案と思われます。
 高野長英が嘉永3年10月末に南町奉行の捕り方に撲殺されたにもかかわらず、高野を匿った内田自身が処罰されなかったことは嘉永当時の情報収集家であった藤岡屋日記にも不審を抱かせた記述があります。福神漬の命名に関わることを調べてゆくうちに不思議なことが見えてきます。高野長英、内田弥太郎と花香恭次郎との関係は福神漬の導く縁を感じます。
 花香安静の子供が花香恭法です。吉村昭の小説では隆一郎となっている。この辺のあたりはもう少し調べる必要があるようだ。
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火付盗賊改方は嫌われていた

2013年04月07日 | 福神漬
火付盗賊改方は嫌われていた
長井五右衛門のことで火付盗賊改方を調べているのに余りの評判の悪さで子孫もこのことを語ることをやめている気がする。平成の今は東京都中央区佃にあった石川島人足寄場(軽犯罪者の更生施設)を造った鬼平(長谷川平蔵)が今では火付盗賊改方の代表となっていて嫌われ方も少なくなっているようだ。
 少なくとも池波正太郎が小説に書くまでは火付盗賊改方の良い評判は少ない。戦前の憲兵のような役目を江戸市中で果たしていた。火付盗賊改方についての記録から冤罪が多いとか、暴力的取調べとかの記述が多い。町奉行所の人達の記録も評判が悪い。子孫であった鶯亭金升は御先手弓組の長井五右衛門が火付盗賊改方だったことを知らなかったのだろうか。不都合な真実だったのかもしれない。
 福島事件被告人花香恭次郎が福島で拷問による取調べを受けていたような気がする。自白偏重が当時の刑事事件裁判の中心でそして証拠を捏造していた。
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火附盗賊改

2013年04月06日 | 福神漬

江戸刑事人名事典-火附盗賊改-釣洋一著
24ページ
長井五右衛門昌純 先手弓頭
火附盗賊改の任期 文政元年12月10日より文政8年12月24日まで
天保7年の戸田主膳殺人事件時の火付盗賊改は朽木弥五左衛門寿綱であった。また南町奉行は筒井伊賀守政憲だった。
長井五右衛門昌純の略歴
安永2年(1773年生まれ)で安政3年7月13日死去(1856.8.13)84歳であった。
 昌純(まさずみ)は始め十五郎と称し、寛政7年23歳で養父昌豊の遺跡を継いだ。屋敷は麹町裏二番町で1276坪あった。 長井昌純が火附盗賊改の時の事件が講談になっているという(明治のおもかげ)。長井五右衛門が文政元年の火附盗賊改になった時の南町奉行は筒井伊賀守政憲であった。長井家と筒井家の密接な関係を示す文献は鶯亭金升のところからしか今のところ見えない。
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三田村鳶魚全集 第13巻

2013年04月05日 | 福神漬

八州取締役のところで、万歳村の勢力富五郎の話がある。彼は嘉永二年徳川家慶の小金原の御鹿狩をきっかけとして干潟八万石を荒らしていた勢力等を取り締まることにしたという。其の中心は安中藩大田陣屋(現旭市)から家来を出して周囲を固め、さらに八丁堀の力を借りて勢力等の自決に追い込んだという。浪曲『天保水滸伝』では小金原の御鹿狩が同時期にあったとは知らなかった。勢力が長年逃げ回った下総を周囲を将軍警備の人達で固められ、安中藩の力と八州取締役とで追い込んだといえる。このような権力に弾圧が浪曲天保水滸伝を生んだのだろう。
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為替予想

2013年04月04日 | 築地市場にて

昨日今月の決済のための為替の予想を話し合う。今日は少し円高になりそうなので為替予約を入れるのはニューヨーク相場待ち。漬物用農産物の政府の保護がなかったため、比較的早くから海外進出が早かった。今主力の中国も何箇所の産地移転の後だった。数々の困難な問題を解決し安定したと思ったら過剰生産となり、価格破壊が進み、日本へ低価格品が流入しデフレが加速した。為替の予想は仕事としないほうがよく休める。
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雨の日は

2013年04月03日 | 築地市場にて

雨の日は現場に出るのもおっくうで、机の上の整理を行う。誰かが休むと出番がある非常勤労働者となる。
 春休みということで暇な人達が築地市場内の寿司屋に行列している。すぐ近所にあった東卸会館1階にあった食堂が消え、一時的に豊洲市場の案内コーナーとなったのも先週の話だ。世間の景気回復ムードも築地にやってくるのがまだで1日に来た市場情報の記者によると築地水産部仲卸業者の数が680ほどになったという。ここ数年毎年20業者ほど減っていてこのままでは豊洲移転時に600の大台を割るだろう。寂しいことだ。来年は千葉とか船橋の市場が中央卸市場でなくなる。其のうち統合の話も出るだろう。それだけ商流の変化が激しく,付いてゆくのが大変である。
ある同業者から怪しい取引先の調査を頼まれた。日ごろ付き合っている信用情報会社から(取り込み業者)と判明する。すぐに知らせたが50万円ほど納品したようだ。漬物は安価で取り込み業者にとっては効率の悪い商品なので油断していたかも知らない。
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雨だもんな

2013年04月02日 | 築地市場にて

築地市場から京橋中央図書館に借りた本を返しに行くのだが今日は4月2日で歌舞伎座のコケラ落しとか。混雑を見たい野次馬精神もこの雨ではためらう。
 明治の歌舞伎の歴史を見ていると今がピンチということは松竹の幹部の人たちが考えるのは当然である。古典演劇を支える人たちが高齢化し、介護の費用がかさんだとき歌舞伎に大枚を払う余裕があるのだろうか。すでに大阪の文楽が補助金問題でピンチとなっているようだ。不景気風はタニマチの懐を寒くする。
 貸しビル業で収入を安定化しなければ歌舞伎でさえ20年後にはどうなるかわからない。ツキジに40年程前来たとき、どこからとなく稽古の音が聞こえていた。今はビルの遮音性が良くなったのかほとんど聞こえなくなった。日本の伝統的な芸の伝承は歌舞伎だけ維持できるとは思えない。
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戸田主膳殺人事件7 完

2013年04月01日 | 福神漬


御仕置例類集 第7冊続類集 1
 
江戸時代大名の領地は全国の四分の三ほどあったが法律を幕府法にならわせる方針を採ったため次第に大名の藩法が次第に幕府法化してきた。その幕府の最高裁判所とも言うべき評定所へ自らの判決限度を越えた刑事事件を老中に伺いたてなければならなかった。伺いを受けた老中は事案を審査し、問題のないものはそのまま承認する。疑問のあるものは評定所に諮問し評議し老中に答申し承認を得ることになっていた。この評定所に於ける仕置きの評議を分類編集したものが御仕置例類集(おしおきるいれいしゅう)である。
 続類集には火付盗賊改長井五右衛門伺が頻繁に出てくる。火付盗賊改とは江戸幕府の役職の中で戦時になると将軍の軍隊の先鋒を勤めることになっていた「先手組」という役職がありました。「先手組」は、さらに携行する武器によって「弓組」(約10組)と「鉄砲組」(約20組)に分かれていました。この「先手組」のトップを「先手弓頭」・「先手鉄砲頭」といい、その中から特に選ばれた者が「加役」という形で兼務して勤めたのが「盗賊改」「火付改」「博徒改」といった役職です。「改(あらため)」というのは、取調べのことです。
鶯亭金升は三代キシャといっていましたが記者、汽車そして先手弓頭を意味するキシャ(騎射)を意味したと思われます。長井家の石高は1500石ほどで先手組の石高とほぼ一致します。この続類集には同時に(南)町奉行の筒井伊賀守伺も多い。
 戸田主膳殺人事件に出てくる長井五右衛門は元火付け盗賊改めであった。従って藤岡屋日記にも天保雑記にも記述されてもおかしくはなかった。武家屋敷に押し入った中里新十郎を捜査するのは火付け盗賊改めではないのだろうか。
文政の頃火付盗賊改が長井五右衛門昌純で南町奉行が筒井伊賀守政憲だった。この二人の評定所への伺いが多く、事例として記録が残っている。天保7年7月の戸田主膳殺害事件当時南町奉行は筒井政憲で火付盗賊改は朽木弥五左衛門寿綱だった。
 筒井が安政3年に死去した長井昌純の家が絶えようとしたとき、過去の付き合いから筒井が戸田主膳の孫を養子として長井家に世話したようだ。
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