年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

火付盗賊改方は嫌われていた

2013年04月07日 | 福神漬
火付盗賊改方は嫌われていた
長井五右衛門のことで火付盗賊改方を調べているのに余りの評判の悪さで子孫もこのことを語ることをやめている気がする。平成の今は東京都中央区佃にあった石川島人足寄場(軽犯罪者の更生施設)を造った鬼平(長谷川平蔵)が今では火付盗賊改方の代表となっていて嫌われ方も少なくなっているようだ。
 少なくとも池波正太郎が小説に書くまでは火付盗賊改方の良い評判は少ない。戦前の憲兵のような役目を江戸市中で果たしていた。火付盗賊改方についての記録から冤罪が多いとか、暴力的取調べとかの記述が多い。町奉行所の人達の記録も評判が悪い。子孫であった鶯亭金升は御先手弓組の長井五右衛門が火付盗賊改方だったことを知らなかったのだろうか。不都合な真実だったのかもしれない。
 福島事件被告人花香恭次郎が福島で拷問による取調べを受けていたような気がする。自白偏重が当時の刑事事件裁判の中心でそして証拠を捏造していた。
コメント (1)
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