映画「四十七人の刺客(1994年公開)」を観た。
【解説】池宮彰一郎の同名小説を、池上金男(池宮彰一郎のペンネーム)と竹山洋と市川崑の三人が脚色し映画化。赤穂浪士の討ち入りを描いた時代劇であるものの、従来の「忠臣蔵」と異なり、討ち入りを「情報戦」「経済戦」「暗殺」という視点で描いた意欲作。元禄十四年、江戸城で浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷沙汰を起こし、浅野は切腹、赤穂藩は取り潰しとなった。浅野の家臣である大石内蔵助は藩主の仇を討つべく、塩相場で莫大な資金を得、その金を使って吉良の賄賂説を流布させた。江戸庶民の吉良に対する反感が高まり、また赤穂浪士による討ち入りの噂が流れるようになり、吉良邸は江戸城の御府外へ移転することになった。
1702(元禄15)年12月14日、今から315年前に赤穂浪士達は吉良邸に討ち入りをした。忠臣蔵には以前から興味があったものの、これまでちゃんと知る機会はなく、ざっくりとした知識しかなかったのだが、時期的に忠臣蔵が新聞・テレビ等で多く報じられていたので、それらを色々と勉強した上で観始めた。
松の廊下の背後関係や原因をあえてぼかしている点を踏まえ、タイトルで義士とは使わず、あえて刺客としているのもこれまた興味深い。吉良邸襲撃は人々の耳目を集めた大事件で、浪士切腹の12日後には歌舞伎「曙曽我夜討」が上演(のちに奉行所から中止命令)され、47年目の1748年に浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」が上演され、その翌年には歌舞伎になり、その後も芝居や映画で数多く上演されている大人気作品は300年以上が経過しても日本国民のハートを鷲掴みにしてる。ただ実際の赤穂事件がほとんど創作とされている仮名手本忠臣蔵と混同されているとのこと。だから本作品が今一つ物足りなく感じたのは、定番である吉良上野介が憎たらしさが欠けていた結果、忠義や武士道、面子がかすんでしまった気がする。ただまたこれも史実に基づいた新説の忠臣蔵なのだろう。切腹したのはひとり少ない「46人」だったり、泉岳寺の墓は「48人」だったり興味は尽きない。
この当時は男女共々凛としている佇まいがとても魅力的であるのだが、粋人(すいじん)とも言われていた大石内蔵助だけに劇中における好色ぶりがやたら気になったものの、妾役の宮沢りえの若々しさが実に懐かしかった。