映画「ゲームの規則(1939年公開)」を観た。
【解説】ルノワールが“バロック音楽の精神に則って登場人物が動き回るような映画を作りたい”と願って撮りあげた、映画によるフランス・バロックへのオマージュ。ミュッセの戯曲『マリアンヌの気まぐれ』が直接の発想のもととなっている。主人公クリスチーヌ(オーストリアの大公夫人で彼女自身が役柄のモデルとなったグレゴール)は貴族のロベール・ラ・シュネイの妻。飛行家アンドレ(トゥータン)はその愛人だった。一方で、ロベールにも別れようとしていた愛人があった。彼らの催すパーティに大勢の名士たちが集まる。もちろん、アンドレもその一人。だが、やはり同じ階級のド・サン・トーバンと夫人が親しくしているのを見て、彼は猛烈な嫉妬に駆られる。その陰では下々の者たち、彼らの領地の密漁監視人シュマシェールが妻リゼットに配下のマルソーが色目を使ったとして怒り狂って猟銃で追い回す。そうした上を下へのインモラルな騒動をそれとはなしに見つめるのは愛すべき食客オクターヴ。この狂言回し的人物をルノワール自身が見事に演じ、悲劇と喜劇の間を揺れ動く作品自体と同質化しており、素晴らしい。彼はこの群像劇で“ゲームの規則”に囚われながら、人間社会の構造を、そして、戦争へと傾いていく時代の風潮を暗に批判している。しかし、登場人物たちに“敗者となった自分たちの姿”を垣間見た観客たちはこの映画を拒み、最初の公開は大惨敗に終わる。59年になってようやく完全版ができる(日本公開は更に20年のち)まで、本国フランスでもまさに埋れた傑作となっていた呪われた作品で、ルノワールはあまりの不評に、一時は以後の映画製作を諦めかけた、と言う。
冒頭ボーマルシェの「フィガロの結婚」の一節「恋心の移ろいやすさ」を引用したテロップが流れる。主人公である伯爵夫人クリスチーヌが恋多きと言うか、あっちこっちでちょっかいを出す(出される)。劇中「君はじゃれつく癖がある。それで男が勘違いする」との台詞があるのだが、実際にこの手の女性は現代でもちゃんと生息しており、どの時代でも変わりはないようだ。ただこの女性が実に魅力がない。身なりと年齢にかなりギャップを感じたままだった。
狩りパーティーを中心に進んで行くのだが、野うさぎやキジをばったばったと撃ち殺されていくショッキングな映像が流れる。現在では決してOKされないであろうシーンが続く。
そして多くの登場人物がそれぞれ不倫・不貞を重ねた挙句、最後は「ゲームの規則」はちゃんと守らないと・・・的な感じで終わる。平成の世とさほどやっていることは変わらないが、何とも感想が難しい作品だった。