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2016年以降のイシダシジミの運命
環境省、無用の介入
遠軽町ではアサマシジミ(イシダシジミ)をシンボル化して町民ぐるみで保全活動を行ってゆくという。
この際、イシダシジミで過疎の町遠軽を売りだそうというのかもしれない。
とりあえずナンテンハギの種子を採取してそれをもとに栽培して増やし、遠軽町の太陽の丘えんがる公園コスモス園近くに移植してアサマシジミの生息地作りを目指すというとても単純素朴な発想でがんばることになったらしい。
2015年8月27日に佐々木修一遠軽町長、渡辺博行えんがる町観光協会会長、山本公威第25普通科連隊長兼遠軽駐屯地司令ら15名が参加して約100個??のナンテンハギ種子を採取したという。
その心意気には多少感ずるものがあるが たった100個の種子をもとに単にナンテンハギを増やす(6-7年かかる)だけでは前途はきわめて多難というより絶望的と思われる。
本気でイシダシジミを存続したいのなら、ぜひ前述の方策をまず検討してほしい。
実はナンテンハギの群落は道東では場所によっては今でもさほど稀ではなく、ナンテンハギが十分にあってもイシダシジミがいないところは多い。
道東。某所。 2015年7月18日。 ナンテンハギの群落。しかしここは、たまたまイシダシジミはいない。
イシダシジミの生息環境としては単にナンテンハギ大群落があるだけでは不十分ということが推定されます。
イシダシジミ生息地に共通するいくつかのポイントはこの蝶にくわしい蝶愛好家の間では語られてきましたがここでは割愛します。
道東は広く、とてもではないが十分な調査は行われておらずイシダシジミの隠れた未知産地が見つかる可能性はきわめて大きい。
従来、道外などからひょっこりやってきて、あんちょこに採集にゆけた有名産地ではいなくなったというだけのことで、人知れず発生を繰り返している場所がもはやどこにもないなどとは決して言えない。
私も含めて今現在の道東のイシダシジミさがしを本気で行った蝶愛好家はほとんどいないのではなかろうか。
実際、もはや他人には教えられない遠軽以外の秘密のイシダシジミ産地を持っている蝶愛好家は現実にかなり存在すると思われます。
たとえば、2015-7-11 道東 某所。 イシダシジミ♀。
ここの個体群はナンテンハギ鉢植えに自然産卵させ、2016年6月上旬現在終令幼虫多数。
環境省(の数人の担当お役人: 少なくとも私たち蝶愛好家の目からは蝶類保護に関しては有能な人材とは思われない)は、2016年、アサマシジミ北海道亜種(イシダシジミ)を種の保存法の対象として採集禁止 etc の規制を、おそらく多忙のため大急ぎで発案し、内閣の閣議決定(当然ながら阿部首相はアサマシジミのアの字も知らない)を経て発表した。
従来、わが国において採集禁止種を増やすことにとりわけ熱心なことで有名なごく少数の方々(実際には悪名高い2名とされる)の意見をもとに、国内稀少野生動植物種に指定したようだが、いまのところその是非について述べるだけの情報がないのでコメントは避けたい。
ただ、環境省の超多忙と思われる数人の担当役人氏たちは北海道昆虫同好会、大阪昆虫同好会、日本蝶類学会、日本蝶類科学学会等の歴史も実績もある大きな団体からはまったく情報収集をせず、ごくごく一部の彼らにとって極めて都合の良い意見を申し述べる異端者的ともされる前述の2名の意見を重用して ことを進めた気配が濃厚であることは多くの蝶愛好家の間でささやかれている。
もし、イシダシジミの減少もしくは絶滅が地球の歴史上必然的なものであるならそんな指定はまったくの焼け石に水で、今後はイシダシジミの発生状況のモニタリングすら行われることもなく、ただ人知れずこの蝶が消えてゆくという状況を作ったに過ぎない。
そうであるとすれば、環境省の意味のないお節介焼きは、もうほどほどにしてほしいということになる。
イシダシジミの保全ということになれば採集禁止だけで何とかなるものでは全くないことは常識だ。
あるがまま放置することが保護になるというこれまでの幼稚な考えはぜひ捨ててほしい。
保全を本気で考えるならもっと先にやるべきことは多々あったはずだ。
英国では蝶愛好家(なぜか日本の環境省は蝶愛好家を推定敵とみなして、まったく相手にすらしない)を中心に類似環境の土地を確保し絶滅直前の蝶個体群そのものを移植することすら行われているという。
イシダシジミに最も深くかかわってきた前述の大きな蝶愛好者団体の方々の協力を求めるというより、これらを推定敵視しているかにすらみえる環境省の態度は建設的でないとおもう。
恐らく環境省の担当職員にとってはイシダシジミは絶滅してゆく蝶という一点にのみ彼らなりの価値を見いだしているからであろう。
それを規制の対象にすることのみがもっぱらの仕事であり、イシダシジミを本気で絶滅から救おうとしたり絶滅を少しでも先送りすることにはさほど熱心でない気配が濃厚に感じられるのは私だけであろうか。
これまでも批判が多かったひたすら採集禁止種を作るということのみが彼らの最終目的(単なる業績作り)といったものでないことを祈りたい。
この地球上では毎年数百種以上の生物が絶滅し続けているとも言われますが、もしかするとイシダシジミはその一種に過ぎないのかも知れません。
もしそうなら、この早晩消えゆく運命の生き物を採集禁止やら標本の厳格な取り扱いなどで今後の一切の調査研究などを実質上封じたうえに、罪人増産をはかる仕組み作りに血道をあげるのは、もしかすると徳川綱吉の生類憐れみの令に匹敵する空しく愚かな所行の可能性すらあります。
本末転倒です。
冷静になって考えればイシダシジミに純粋に多少の価値を見いだしている人は蝶愛好家のみであって、一般人にとってはイシダシジミは特に興味もない単なる虫けら同様の存在に過ぎないのです(密猟者から守ろうなどといったマスコミの煽りがあれば多少気にする人はでるかもしれません)。
多くの蝶愛好家を無視しては、真の意味でのイシダシジミ保護などあり得ないと思われます。
今後、このような超多忙のごく少数のお役人が、又聞きの又聞き・ネットレベルの情報等をもとに次々と蝶の採集禁止種を設定し、それを機械的に閣議決定してゆく体制はあまりにも一方的で古典的ではなかろうか。
これは蝶の保護にとって本質的には何の役にも立ちません。
法律といったものの性格上、いったん決まったらその後の柔軟な対応など不可能である。
絶滅が危惧される蝶が問題になった場合、大きな昆虫愛好家団体や昆虫業者などをも通してまず採集を厳格に控える状況を作った上で、現状を実際に調査・把握して正にその蝶に関心の深い蝶愛好家たちに対策(もちろん一時期の採集禁止もふくめて)を検討させるほうが、実効のある保護対策となるのではあるまいか。
実際にそれらの蝶に関心のあるのは蝶愛好家のみであり、マスコミに踊らされる一般市民ではない。
まず蝶愛好家たちみずからがその気になり保護を買って出る方向へとシフトすべきではあるまいか。
日本のそれなりの蝶愛好家や業者が公認のもと本気になれば多くの採集禁止種の大量飼育など実に容易なことで、これらの蝶を一匹100円程度ないし無料で大量に放出すればマニアの密猟などといったくだらない問題は解決するだろう。
この考えは既に規制前からの累代飼育株を利用して水面下では広く行われており、2016年現在、わざわざ犯罪者になりうる種々の規制種の密猟といった危険をおかす愚かな愛好家は激減していると思われます。
ごく最近でもそのコンセプトはモルフォオオムラサキ等で実践継承されつつある。
飛騨高山では毎年、全国からの蝶愛好家が中心になってギフチョウ発生地の草刈りを行い、草刈り参加者のギフチョウ採集は自由としたところ絶滅に瀕した産地が回復しているという。
単なる採集禁止(保護関係者善、蝶愛好家悪といった単純構造をつくる)といった環境省の方策がいかに芸のないものかおわかりになるとおもう。
ちょっと気になって環境省なるもののホームページを初めてのぞいてみて驚きのけぞった。
おそらくものすごい量の仕事を環境省のお役人個人個人はこなさねばならないことは一瞥してわかる。
愛好者数万人ともされる危険な外来種アカミミガメ5か年計画など、まさに圧巻だ(イシダシジミがたった1週間のパブコメ募集の末、対策が決まったのとは雲泥の差)。
実はイシダシジミの採集禁止云々は山のように積み上げられた彼らの仕事のほんのひとかけらにも過ぎない。
思いをめぐらす優先順位は限りなく下にあるだろう。これまで私が書き連ねてきたようなことを思うほどの時間も余裕も多忙な職員にはまったくないだろうことは容易に想像がつく。
行政は完璧を期せなどというのは、こちらのたわごとにすぎないことがわかる。
所詮行政とは、せいぜいそんなものであろう。ただ、とても強力な権力を有している。
そうすると、翻って、その行政をあらかじめどのように利用するかが知恵者といったところなのであろうか。
この点、私も含めて環境省のイシダシジミに対する扱いに不満をもつ多くの一般の蝶愛好家たちは相当に出遅れているのかも知れない。
このたぐいの話は ここで一旦終了にします。
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2016年以降のイシダシジミの運命
環境省、無用の介入
遠軽町ではアサマシジミ(イシダシジミ)をシンボル化して町民ぐるみで保全活動を行ってゆくという。
この際、イシダシジミで過疎の町遠軽を売りだそうというのかもしれない。
とりあえずナンテンハギの種子を採取してそれをもとに栽培して増やし、遠軽町の太陽の丘えんがる公園コスモス園近くに移植してアサマシジミの生息地作りを目指すというとても単純素朴な発想でがんばることになったらしい。
2015年8月27日に佐々木修一遠軽町長、渡辺博行えんがる町観光協会会長、山本公威第25普通科連隊長兼遠軽駐屯地司令ら15名が参加して約100個??のナンテンハギ種子を採取したという。
その心意気には多少感ずるものがあるが たった100個の種子をもとに単にナンテンハギを増やす(6-7年かかる)だけでは前途はきわめて多難というより絶望的と思われる。
本気でイシダシジミを存続したいのなら、ぜひ前述の方策をまず検討してほしい。
実はナンテンハギの群落は道東では場所によっては今でもさほど稀ではなく、ナンテンハギが十分にあってもイシダシジミがいないところは多い。
道東。某所。 2015年7月18日。 ナンテンハギの群落。しかしここは、たまたまイシダシジミはいない。
イシダシジミの生息環境としては単にナンテンハギ大群落があるだけでは不十分ということが推定されます。
イシダシジミ生息地に共通するいくつかのポイントはこの蝶にくわしい蝶愛好家の間では語られてきましたがここでは割愛します。
道東は広く、とてもではないが十分な調査は行われておらずイシダシジミの隠れた未知産地が見つかる可能性はきわめて大きい。
従来、道外などからひょっこりやってきて、あんちょこに採集にゆけた有名産地ではいなくなったというだけのことで、人知れず発生を繰り返している場所がもはやどこにもないなどとは決して言えない。
私も含めて今現在の道東のイシダシジミさがしを本気で行った蝶愛好家はほとんどいないのではなかろうか。
実際、もはや他人には教えられない遠軽以外の秘密のイシダシジミ産地を持っている蝶愛好家は現実にかなり存在すると思われます。
たとえば、2015-7-11 道東 某所。 イシダシジミ♀。
ここの個体群はナンテンハギ鉢植えに自然産卵させ、2016年6月上旬現在終令幼虫多数。
環境省(の数人の担当お役人: 少なくとも私たち蝶愛好家の目からは蝶類保護に関しては有能な人材とは思われない)は、2016年、アサマシジミ北海道亜種(イシダシジミ)を種の保存法の対象として採集禁止 etc の規制を、おそらく多忙のため大急ぎで発案し、内閣の閣議決定(当然ながら阿部首相はアサマシジミのアの字も知らない)を経て発表した。
従来、わが国において採集禁止種を増やすことにとりわけ熱心なことで有名なごく少数の方々(実際には悪名高い2名とされる)の意見をもとに、国内稀少野生動植物種に指定したようだが、いまのところその是非について述べるだけの情報がないのでコメントは避けたい。
ただ、環境省の超多忙と思われる数人の担当役人氏たちは北海道昆虫同好会、大阪昆虫同好会、日本蝶類学会、日本蝶類科学学会等の歴史も実績もある大きな団体からはまったく情報収集をせず、ごくごく一部の彼らにとって極めて都合の良い意見を申し述べる異端者的ともされる前述の2名の意見を重用して ことを進めた気配が濃厚であることは多くの蝶愛好家の間でささやかれている。
もし、イシダシジミの減少もしくは絶滅が地球の歴史上必然的なものであるならそんな指定はまったくの焼け石に水で、今後はイシダシジミの発生状況のモニタリングすら行われることもなく、ただ人知れずこの蝶が消えてゆくという状況を作ったに過ぎない。
そうであるとすれば、環境省の意味のないお節介焼きは、もうほどほどにしてほしいということになる。
イシダシジミの保全ということになれば採集禁止だけで何とかなるものでは全くないことは常識だ。
あるがまま放置することが保護になるというこれまでの幼稚な考えはぜひ捨ててほしい。
保全を本気で考えるならもっと先にやるべきことは多々あったはずだ。
英国では蝶愛好家(なぜか日本の環境省は蝶愛好家を推定敵とみなして、まったく相手にすらしない)を中心に類似環境の土地を確保し絶滅直前の蝶個体群そのものを移植することすら行われているという。
イシダシジミに最も深くかかわってきた前述の大きな蝶愛好者団体の方々の協力を求めるというより、これらを推定敵視しているかにすらみえる環境省の態度は建設的でないとおもう。
恐らく環境省の担当職員にとってはイシダシジミは絶滅してゆく蝶という一点にのみ彼らなりの価値を見いだしているからであろう。
それを規制の対象にすることのみがもっぱらの仕事であり、イシダシジミを本気で絶滅から救おうとしたり絶滅を少しでも先送りすることにはさほど熱心でない気配が濃厚に感じられるのは私だけであろうか。
これまでも批判が多かったひたすら採集禁止種を作るということのみが彼らの最終目的(単なる業績作り)といったものでないことを祈りたい。
この地球上では毎年数百種以上の生物が絶滅し続けているとも言われますが、もしかするとイシダシジミはその一種に過ぎないのかも知れません。
もしそうなら、この早晩消えゆく運命の生き物を採集禁止やら標本の厳格な取り扱いなどで今後の一切の調査研究などを実質上封じたうえに、罪人増産をはかる仕組み作りに血道をあげるのは、もしかすると徳川綱吉の生類憐れみの令に匹敵する空しく愚かな所行の可能性すらあります。
本末転倒です。
冷静になって考えればイシダシジミに純粋に多少の価値を見いだしている人は蝶愛好家のみであって、一般人にとってはイシダシジミは特に興味もない単なる虫けら同様の存在に過ぎないのです(密猟者から守ろうなどといったマスコミの煽りがあれば多少気にする人はでるかもしれません)。
多くの蝶愛好家を無視しては、真の意味でのイシダシジミ保護などあり得ないと思われます。
今後、このような超多忙のごく少数のお役人が、又聞きの又聞き・ネットレベルの情報等をもとに次々と蝶の採集禁止種を設定し、それを機械的に閣議決定してゆく体制はあまりにも一方的で古典的ではなかろうか。
これは蝶の保護にとって本質的には何の役にも立ちません。
法律といったものの性格上、いったん決まったらその後の柔軟な対応など不可能である。
絶滅が危惧される蝶が問題になった場合、大きな昆虫愛好家団体や昆虫業者などをも通してまず採集を厳格に控える状況を作った上で、現状を実際に調査・把握して正にその蝶に関心の深い蝶愛好家たちに対策(もちろん一時期の採集禁止もふくめて)を検討させるほうが、実効のある保護対策となるのではあるまいか。
実際にそれらの蝶に関心のあるのは蝶愛好家のみであり、マスコミに踊らされる一般市民ではない。
まず蝶愛好家たちみずからがその気になり保護を買って出る方向へとシフトすべきではあるまいか。
日本のそれなりの蝶愛好家や業者が公認のもと本気になれば多くの採集禁止種の大量飼育など実に容易なことで、これらの蝶を一匹100円程度ないし無料で大量に放出すればマニアの密猟などといったくだらない問題は解決するだろう。
この考えは既に規制前からの累代飼育株を利用して水面下では広く行われており、2016年現在、わざわざ犯罪者になりうる種々の規制種の密猟といった危険をおかす愚かな愛好家は激減していると思われます。
ごく最近でもそのコンセプトはモルフォオオムラサキ等で実践継承されつつある。
飛騨高山では毎年、全国からの蝶愛好家が中心になってギフチョウ発生地の草刈りを行い、草刈り参加者のギフチョウ採集は自由としたところ絶滅に瀕した産地が回復しているという。
単なる採集禁止(保護関係者善、蝶愛好家悪といった単純構造をつくる)といった環境省の方策がいかに芸のないものかおわかりになるとおもう。
ちょっと気になって環境省なるもののホームページを初めてのぞいてみて驚きのけぞった。
おそらくものすごい量の仕事を環境省のお役人個人個人はこなさねばならないことは一瞥してわかる。
愛好者数万人ともされる危険な外来種アカミミガメ5か年計画など、まさに圧巻だ(イシダシジミがたった1週間のパブコメ募集の末、対策が決まったのとは雲泥の差)。
実はイシダシジミの採集禁止云々は山のように積み上げられた彼らの仕事のほんのひとかけらにも過ぎない。
思いをめぐらす優先順位は限りなく下にあるだろう。これまで私が書き連ねてきたようなことを思うほどの時間も余裕も多忙な職員にはまったくないだろうことは容易に想像がつく。
行政は完璧を期せなどというのは、こちらのたわごとにすぎないことがわかる。
所詮行政とは、せいぜいそんなものであろう。ただ、とても強力な権力を有している。
そうすると、翻って、その行政をあらかじめどのように利用するかが知恵者といったところなのであろうか。
この点、私も含めて環境省のイシダシジミに対する扱いに不満をもつ多くの一般の蝶愛好家たちは相当に出遅れているのかも知れない。
このたぐいの話は ここで一旦終了にします。
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