湯島天満宮を訪れた後、湯島から湯島聖堂まで坂道の多い文京区の坂道をブラ散歩してきました。
湯島天神社の有名な「女坂」を下り、「天神石坂(天神男坂)」を上がって天神社に戻りましたが、33段の「天神女坂」の白梅は、開花し始めたばかりでした。
おんな坂の下には、原田悠里さんの演歌「おんな坂」の北島三郎さんが書かれた石碑が立ち、”いつ幸せ来るだろう~・・・・”と口ずさんでいました(笑)
一方、「天神石坂(天神男坂)」は、38段の坂で、石段の下には関東大震災の復興地蔵尊があり、東日本大震災と共に復興祈願していました。
坂下の心城院では、関東大震災で非難された人達の命を救った柳の井戸が、今も清水を流しています。
清水が流れる放生池には、錦鯉や亀が泳いでいます。
天神社から「実盛坂」へ向かう途中の長い「中坂」は、「天神男坂」とその先の「妻恋坂」の間に造られたことから名付けられています。
中坂から次の「実盛坂」へ回ると、住宅に挟まれた57段の急階段ですが、この坂下近くに居住していた実盛塚の斎藤別当実盛を偲んで造られた坂だそうです
「実盛坂」から「ガイ坂(芥坂)」を横断しますが、「ガイ坂(ゴミ坂)」は、昔はゴミの集積場があったことから付けられたそうですが、その形跡もなく美しい坂道です。
その先の「妻恋坂」は、坂の上にある妻恋神社(妻恋稲荷)が旧湯島天神町から移ってきたことから名付けられたそうで、妻恋神社には、日本武尊と妃を祀られています。
その先の神田明神へ向かう68段の急階段の「明神男坂」を上ります。
境内の随神門は、二層建ての入母屋造りで周りには、極彩色の獅子像や四神(朱雀・青龍・白虎・玄武)の色鮮やかな彫刻が飾られています。
毎年、仕事始めの初詣では大変な混雑ですが、この日は参拝者も少なく静かに参拝することが出来ました。
境内の獅子山には、親獅子2頭が境内を見守っていますが、子獅子は関東大震災時に無くしたようですが、可愛い子獅子が下から這い上がって眺めています。
福を呼ぶ日本一の石造りの大黒様も笑顔を見せています。
大波の上にイルカやタイ、トビウオの魚や亀を従えて乗る「えびす様」は、福の神として崇められています。
御神木の横には、君が代に因んだ巌になったさざれ石も見られます。
神田明神を出て湯島聖堂の周辺には、練塀に沿って「昌平坂」を下りますが、聖堂の周りの三つの坂を「昌平坂学問所」に因んで何れも「昌平坂」と名付けられていますが、湯島坂から下る坂は「昌平坂(団子坂)」と呼ばれ、坂下には石標が設置されています。
湯島聖堂は、学問成就の祖として国の指定史跡になっています。
湯島聖堂に入ると、ほぼ中央に孔子の背丈約4m近い銅像が立ち威光を感じされる姿です。
境内の大成殿の大屋根には、素晴らしいシャチホコ(鬼口頭)が見られますが、龍頭魚尾で頭から水を噴き上げる独特のデザインでした。
入徳門には、由来は不明ですが、素晴らしい飾りがつけられており、日本の教育発祥の地として最重要な史跡となっています。
久々に湯島の坂道を歩き、天災や疫病の流行を抑えるべく祈りを込めた歴史散歩でした。