本日6月28日は、我が故郷福井の「福井震災記念日・70周年」を迎えました。
想えば1948年6月28日 午後5時13分(サマータイム)に発生した福井大震災から70年を迎えますが、戦後最大震度7(M7.1)の都市直下型の地震に襲われて今もあの日の恐怖は、鮮明に脳裏に焼き付いています。
その後 教科書などにも掲載された福井駅前の大和デパートの崩壊の光景です。
あの日は、自宅近くの道路上でキャッチボールをしていたところ、立っていられない強烈な縦揺れの振動で目の前に家が倒壊して危うく下敷きになるところでしたが、幸い怪我もなく、我が家に戻ると全壊していたのを鮮明に記憶に残っています。
弟や祖母は、倒壊した家の中に居ましたが、幸い箪笥の横で怪我もなく無事でしたので、家族全員で避難して市内全域に竜巻のような火災旋風が起こり地獄のような光景が続いていたのを想い出しています。
死者3769人、全壊家屋34000棟、焼失家屋4100棟の大被害をもたらし、母校の小学校では、体育館でPTAの集会が開催されていたそうで、倒壊して燃え上がった中で多くの方が亡くなられ、震災後にはテント教室で学んだことが脳裏に焼き付いています。
戦後まもない頃だったのでGHQ進駐軍の世話を受けてテント教室が行われ、ドラム缶に詰められていたコナ粉乳を受けて舐めていたのを想い出しています。
福井城の天守台跡の石垣も崩れたままでその傷跡が保存されており、内堀の石垣は復旧されて美しい光景が見られ、福井のシンボルとなっている。
城跡のお濠の周りの散策路や中央公園には、記念碑も多く残されています。
ふるさと福井へ戻るたびに、想い出スポットを巡っていますが、空襲・震災・水害など度重なる災害を乗り越えて不死鳥(フェニックス)の如く復興し、現在は恐竜王国として福井県は全国都道府県の「幸福度ランキング」で3回連続日本一に輝いています。
先日は、大阪北部地震が発生し、全国地震動予測が気象庁より発表されましたが、南海トラフ巨大地震など高い確率で予測されており、改めて地震王国日本の怖さを感じ地震に対する認識を深め備えの必要さを感じています。
3.11東日本大地震から7年を迎え、その後の復興が道遠しのようで、被災地の皆さんの復興にかける想いを感じ、一日も早い復興を願い「がんばろう日本」の気持ちが湧いています。
想えば1948年6月28日 午後5時13分(サマータイム)に発生した福井大震災から70年を迎えますが、戦後最大震度7(M7.1)の都市直下型の地震に襲われて今もあの日の恐怖は、鮮明に脳裏に焼き付いています。
その後 教科書などにも掲載された福井駅前の大和デパートの崩壊の光景です。
あの日は、自宅近くの道路上でキャッチボールをしていたところ、立っていられない強烈な縦揺れの振動で目の前に家が倒壊して危うく下敷きになるところでしたが、幸い怪我もなく、我が家に戻ると全壊していたのを鮮明に記憶に残っています。
弟や祖母は、倒壊した家の中に居ましたが、幸い箪笥の横で怪我もなく無事でしたので、家族全員で避難して市内全域に竜巻のような火災旋風が起こり地獄のような光景が続いていたのを想い出しています。
死者3769人、全壊家屋34000棟、焼失家屋4100棟の大被害をもたらし、母校の小学校では、体育館でPTAの集会が開催されていたそうで、倒壊して燃え上がった中で多くの方が亡くなられ、震災後にはテント教室で学んだことが脳裏に焼き付いています。
戦後まもない頃だったのでGHQ進駐軍の世話を受けてテント教室が行われ、ドラム缶に詰められていたコナ粉乳を受けて舐めていたのを想い出しています。
福井城の天守台跡の石垣も崩れたままでその傷跡が保存されており、内堀の石垣は復旧されて美しい光景が見られ、福井のシンボルとなっている。
城跡のお濠の周りの散策路や中央公園には、記念碑も多く残されています。
ふるさと福井へ戻るたびに、想い出スポットを巡っていますが、空襲・震災・水害など度重なる災害を乗り越えて不死鳥(フェニックス)の如く復興し、現在は恐竜王国として福井県は全国都道府県の「幸福度ランキング」で3回連続日本一に輝いています。
先日は、大阪北部地震が発生し、全国地震動予測が気象庁より発表されましたが、南海トラフ巨大地震など高い確率で予測されており、改めて地震王国日本の怖さを感じ地震に対する認識を深め備えの必要さを感じています。
3.11東日本大地震から7年を迎え、その後の復興が道遠しのようで、被災地の皆さんの復興にかける想いを感じ、一日も早い復興を願い「がんばろう日本」の気持ちが湧いています。
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