鎌倉獅子舞の紅葉スポットの帰路に「朝比奈切通」を散策してきました。
「朝比奈切通」は、鎌倉七口の切通しの中で最も自然豊かな険しい峠越えの道でウオーカーの人気スポットとなっています。
「朝比奈切通」は、鎌倉幕府が六浦と鎌倉を結ぶ幹線道路(六浦道)を開通させるために山間部を切り開いた道で中世の交通遺跡となっています。
この日は、十二所神社から滑川の源流に沿って旧道を進むと、鎌倉五名水の一つである大刀洗の岩水が流れ落ちており、梶原景時が上総介広常を討った時にこの湧水で血のついた太刀を洗ったと言われる「大刀洗水」です。
その先の分岐点には、「三郎の滝」が見られますが「朝比奈の滝」とも呼ばれ、切通しを一夜で切り開いた朝比奈三郎義秀の名前をとって名付けられたそうで、滝の周りには枯葉で彩りを添えて晩秋の風景も見られます。
枯葉が積もる谷の径を切通しへ向かいますが、長い七曲り坂を進むと僅かに頭上の木々の紅葉が見られる程度でした。
坂道の途中には、多くの石地蔵尊や供養塔が置かれていますが、石仏は古道の安全を見守っていますね。石仏には、源氏の笹竜胆の紋章も見られます。
「三郎の滝」から約20分で岩崖が迫る峠の切通しの岸壁には、大きなレリーフの仏像が彫られています
垂直に近い切通しの岸壁は、崩落が続いているようで、この日も崩落防止の工事が進められていました。
大切通の峠から熊野神社への分岐点があり、切通しの開削に際し守護神として紀州の熊野神社を勧請したそうで、現在も峠の朝比奈町の鎮守様となっていました。
横浜と鎌倉の市境の大切通しは、約18mの高さの岸壁がそそり立っています。
分岐点から横浜に下ると小切通があり、こちらも約16mの垂直の岸壁がそそり立ち、切通しの中腹には武士の納骨遺構のやぐら群も残されています。
朝比奈口の高速道路下には、庚申塔や地蔵などの石塔群が並び鎌倉古道の名残ですね~
横浜市側に出て鎌倉八幡宮へ戻り、八幡宮境内の国宝館や白旗神社付近では、まだモミジの紅葉も見られました。
本殿前の7年前に倒木した大銀杏も若木が蘇って5m以上に育っていました。
年の瀬も迫り新春の初詣の光景を想像しながら八幡宮を後にして帰路につきました。
「朝比奈切通」は、鎌倉七口の切通しの中で最も自然豊かな険しい峠越えの道でウオーカーの人気スポットとなっています。
「朝比奈切通」は、鎌倉幕府が六浦と鎌倉を結ぶ幹線道路(六浦道)を開通させるために山間部を切り開いた道で中世の交通遺跡となっています。
この日は、十二所神社から滑川の源流に沿って旧道を進むと、鎌倉五名水の一つである大刀洗の岩水が流れ落ちており、梶原景時が上総介広常を討った時にこの湧水で血のついた太刀を洗ったと言われる「大刀洗水」です。
その先の分岐点には、「三郎の滝」が見られますが「朝比奈の滝」とも呼ばれ、切通しを一夜で切り開いた朝比奈三郎義秀の名前をとって名付けられたそうで、滝の周りには枯葉で彩りを添えて晩秋の風景も見られます。
枯葉が積もる谷の径を切通しへ向かいますが、長い七曲り坂を進むと僅かに頭上の木々の紅葉が見られる程度でした。
坂道の途中には、多くの石地蔵尊や供養塔が置かれていますが、石仏は古道の安全を見守っていますね。石仏には、源氏の笹竜胆の紋章も見られます。
「三郎の滝」から約20分で岩崖が迫る峠の切通しの岸壁には、大きなレリーフの仏像が彫られています
垂直に近い切通しの岸壁は、崩落が続いているようで、この日も崩落防止の工事が進められていました。
大切通の峠から熊野神社への分岐点があり、切通しの開削に際し守護神として紀州の熊野神社を勧請したそうで、現在も峠の朝比奈町の鎮守様となっていました。
横浜と鎌倉の市境の大切通しは、約18mの高さの岸壁がそそり立っています。
分岐点から横浜に下ると小切通があり、こちらも約16mの垂直の岸壁がそそり立ち、切通しの中腹には武士の納骨遺構のやぐら群も残されています。
朝比奈口の高速道路下には、庚申塔や地蔵などの石塔群が並び鎌倉古道の名残ですね~
横浜市側に出て鎌倉八幡宮へ戻り、八幡宮境内の国宝館や白旗神社付近では、まだモミジの紅葉も見られました。
本殿前の7年前に倒木した大銀杏も若木が蘇って5m以上に育っていました。
年の瀬も迫り新春の初詣の光景を想像しながら八幡宮を後にして帰路につきました。
やはり歴史の重みなのですかね。
私なども、何度か行きましたが、また行きたい気分になります。羨ましい限りです。
鎌倉の寺社や史跡は多くあり未だに走破していませんが、訪れる度に歴史や文化の変遷を学び奥深さを実感しますね。
しかし、世界遺産への距離は遠いようですね~