冬の風物詩として年末、年始に開催される伝統の「世田谷ボロ市」に今年も出かけてきました。

「ボロ市」の始まりは、約440年の昔に開かれた楽市にさかのぼる伝統の市場で、都の無形民俗文化財にも指定されており、この日もボロ市通り周辺は身動き取れない程の大混雑となっていました。
毎年、一日に20万人以上の人出がある人気スポットとなっています。

ボロ市通りの中央には、世田谷百景に選定されている武家屋敷門と代官屋敷、代官所があり、多くの歴史を感じる貴重な史蹟を観ることが出来ました。


屋敷内には、代官所の名残りの白洲門や白洲跡が保全されています。

また、大山参詣道にあった道祖神や供養塔などの石像などが多く残されており、世田谷の歴史を感じさせてくれます。


今年は、江戸時代に代官らが街中を見回る様子を再現した5年に一度の「代官行列」が行われ、隊列がボロ市通りを練り歩き身動きできない大混雑となっていました。


資料館には、当時のボロ市と代官見守りの様子がジオラマで見られました。

名物の「代官餅」も大行列となっており、今年も食べることは出来ませんでした

ボロ市は、元々は古着やボロ布が販売されていたそうですが、現在では骨董品や植木、古道具、玩具、用品、装飾品、雑貨などが約760の露店で売られていますが、ボロを売る店はありませんでした~
身動き取れない状況で約2時間かけて掘出し物を探しながら露店を見て回りましたが、がらくたばかりで相当高額なのに驚きでした。






天祖神社境内では植木市が行われており、美しいシクラメンやイイギリなども人気を呼んでいましたが、競り市のように値切り合戦となっていたようです・・・


特に気になる戦前の教科書が陳列されており、興味をそそり懐かしい思いでしばし読んでいました。


ボロ市を巡った後、豪徳寺など世田谷の歴史スポットを巡りました【続く】

「ボロ市」の始まりは、約440年の昔に開かれた楽市にさかのぼる伝統の市場で、都の無形民俗文化財にも指定されており、この日もボロ市通り周辺は身動き取れない程の大混雑となっていました。
毎年、一日に20万人以上の人出がある人気スポットとなっています。

ボロ市通りの中央には、世田谷百景に選定されている武家屋敷門と代官屋敷、代官所があり、多くの歴史を感じる貴重な史蹟を観ることが出来ました。


屋敷内には、代官所の名残りの白洲門や白洲跡が保全されています。

また、大山参詣道にあった道祖神や供養塔などの石像などが多く残されており、世田谷の歴史を感じさせてくれます。


今年は、江戸時代に代官らが街中を見回る様子を再現した5年に一度の「代官行列」が行われ、隊列がボロ市通りを練り歩き身動きできない大混雑となっていました。


資料館には、当時のボロ市と代官見守りの様子がジオラマで見られました。

名物の「代官餅」も大行列となっており、今年も食べることは出来ませんでした


ボロ市は、元々は古着やボロ布が販売されていたそうですが、現在では骨董品や植木、古道具、玩具、用品、装飾品、雑貨などが約760の露店で売られていますが、ボロを売る店はありませんでした~
身動き取れない状況で約2時間かけて掘出し物を探しながら露店を見て回りましたが、がらくたばかりで相当高額なのに驚きでした。






天祖神社境内では植木市が行われており、美しいシクラメンやイイギリなども人気を呼んでいましたが、競り市のように値切り合戦となっていたようです・・・


特に気になる戦前の教科書が陳列されており、興味をそそり懐かしい思いでしばし読んでいました。


ボロ市を巡った後、豪徳寺など世田谷の歴史スポットを巡りました【続く】
ボロ市は伝統の市なんですね~。
代官行列を見られて良かったですね。
何か掘出しものはなかったですか?(笑)
この数年は毎年訪れていますが、余りの混雑でじっくり掘り出し物を探すことも出来ませんでした。
ボロ市ではなくがらくた位置のようで、額縁などの絵画用具を探しましたが、見つかりませんでした。
いつも招き猫とお菓子がお土産でした(笑)
ボロ市に行ってきたようですよ・・・・
伊万里のお皿を手に入れたと言っていましたよ。
一月も行くと頑張っていますよ・・・・
あの混雑では、中々掘り出し物を見つけるのも大変ですよね。
kormanは、東北の名物お菓子と可愛い招き猫でした。
あの雰囲気は、他では味わえない楽しみですね。
ボロ市という名前から、ボロを売っているのかと思ったら違うのですね。
ボロはボロでも高価なボロだったようです。(笑い)
骨董品はいらない人から見れば価値ゼロですが、
欲しい人から見れば、いくら高くても・・・といったところでしょうね。
骨董市は買わないまでも、見て歩くだけでも楽しいものですよね。
ボロ市の由来は、農家の作業着のつくろいや草鞋に編み込むボロを売っていたそうです。昭和に入って農具や日用品の販売も行われ今日の市場のように変わったようです。今も古着類はありましたね。骨董品もありますが、ボロと違って求めない人にとっては高額でした。