お正月はこれを見なければ始まらないという多くのファンがいる箱根駅伝。
正式には、東京箱根間往復大学駅伝競走というこの大会。他のスポーツと同じように、この大会を通り越すことで、実業団で名を馳せたり、個人のマラソン選手などが輩出されたりする。
1月22日には、あの平清盛ゆかりの宮島を横目に見ながら、安芸路をひた走る天皇杯争奪全日本男子駅伝が予定されている。47都道府県の名誉をかけたタスキをつなぐチームワークのレース。寒風吹きすさぶ中をひた走る選手に精一杯の声援を贈りたくなる。
あれから56年。
我が通う中学校の名誉を賭けて、市内一周駅伝に参加、タスキをつなぐ一員になるはずであった。ところが思惑とは外れるためにあるようだ、私にとっては。
普段の練習は、タイムはもちろんであるが、スタミナと馬力が重視される。そして本戦が近づくと各区間ごと二人で2回試走する。早い方が選手になり、遅い方は伴走者になる。
何を勘違いしたか自分は選手になれたと思い込む結果だったように思う。
最終的には、選手の真横を「ワッショイ!ワッショイ!!・・・」と掛け声をかけながら選手を鼓舞、ひたすら自転車をこぐ伴奏者であった。
いわゆる補欠。選手にことあるときは直ちに代役を務められる位置にある・・・などと妙な納得をして、本番を待つ。そう簡単には故障者など出はしない。
結局タスキをこの汗で濡らすことなく、声をからしてワッショイワッシィに終わった青春の駅伝レース。
但し、練習の長さは変わらないかそれ以上に走ったと思う。タイムだってそれほど違うわけではない。紙一重でも選手と伴奏者に分けられる駅伝競争。スポーツの世界はいずくも同じか。ただそうした練習に耐えてきたことは間違いない。今でもちょっとだけ複雑な思いで眺める駅伝競走ではある。