「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「歴史の空気を満喫」

2012年01月21日 | 趣味・・エッセイ

         
           萩、松陰神社大鳥居と本殿

曇り空ながらあまり寒くない空気をいいことに、久しぶりのドライブを思いついた。
何はともあれ出かけよう。「どこに行こう・・・」
かれこれ4年ぶりとなる津和野の街と太鼓谷稲荷が頭に浮かんだ。よし決めた!

静かな津和野の街をゆっくり散策してもまだ昼を少し下がった時間。さてどうしよう。
そうだ、萩をゆっくり歩きたい。カーナビに道案内をゆだね、津和野からおよそ1時間。観光客もまばらな松陰神社へ一目散。なにはともあれ松陰神社に手を合わせる。

親切な観光ボランティアのおじさんに「5分ばかり聞いてください」と、松陰にまつわる話を教わった。終わったら18分かかっていた。
「松陰の幼名は何故寅二郎と名付けられたか、それは二番目の子で寅年生まれだから。その当時は太郎・二郎・三郎と順に名前を付けていた。その上に生まれの干支を付ける風習があったから・・・」などなど。

そのわきに、松陰の刑執行の日が決められた折、獄中から両親に宛てた手紙に記された一首が、自らの想いを込めた辞世の歌として後世に伝えられている、という説明も。
“ 親おもふ心にまさる親心けふの音ずれ何ときくらん ”
 
実際には “ 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂 ”というのが処刑直前の辞世の歌とされているのですが・・・との注釈も付け加えられた。

ついでに言うなら、松陰が黒船乗船の罪で幕府に補獲され萩に送還された。
生家に幽閉されたのち、処刑が決まりいよいよ江戸に送られる途上、山口県と広島県の境となる小瀬川を渡るときに歌われたのが “ 夢路にもかへらぬ関を打ち越えて今をかぎりと渡る小瀬川 ”である。歌碑も現地に残されている。(ちょっと知ったかぶり)

このように、「明治維新の胎動の地」と銘打たれた長州萩松陰神社、じっくり見学するに値するひとときを過ごした冬の一日。美味しい空気を吸った想いがする。

コメント (11)
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