「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「50年ぶりの」

2014年12月25日 | つれづれ噺

                
                 枯れすすきには枯れすすきの優雅さが・・・

父方の従兄の奥さんが亡くなった。享年95歳の生涯であった。
従兄の奥さんとしては随分歳が離れているな~と改めて思い返した。

戦争という悲劇の中で、子だくさんの長男に嫁いだお嫁さんは、長男が戦場で斃れると、そのまま次男のお嫁さんになるという例も少なくなかったようだ。
そんな例に倣ったような、従妹夫婦であったが、お互いの人柄があふれた穏やかな家庭であったとみている。

そんな従兄の子ども、言うなれば従兄半と世間で言う人たちと、久々の顔合わせとなった。
どうかすると忘れてしまいそうなほど、縁が途切れたような関係ではあるが、やはり顔を合わせると懐かしさは込み上げてくる。
特に年の近い従兄半。挨拶は「〇〇さんかいね~」「そうよ、△△ちゃんじゃろ」と、たちまち半世紀の空白を飛び越える。
そして続くのが「年を取ったけー判らんじゃろ」「いやいやお互い様いね・・・」という決まり文句。

なにも、しめやかなお葬式でひっそり旧交を温めなくともよさそうなものを。もっと大きな声で昔を懐かしむ出会いがあってもよさそうなものをと思う。が、こんな小さな町でも、現実にはなかなか会うことがなかった。
「色々読ませてもらっているんよ」と声を掛けられると、意外に知らないどこかでつながっていることだけは確認できて、何となく気持ちが軽くなる。

それにしても、一つ年上と一つ年下の姉妹。随分なお年寄りに見えるな~というのが第一印象。
ということは、このアタシだって向こうから見れば「年取ったな~」と思われたに違いない。なんかしら魔法の鏡を見ているような。
その昔の可愛い面影を探そうにも、なかなか骨が折れる。先方もそう思っているに違いない。してみると五分と五分か。

 ド派手な化粧と不釣り合いなお召し物をまとい、大昔のヒット曲を引っ提げて、時々テレビで見かける歌手のように、無理をした若さ保持はあまり感心しないが、素人なり年なりの若さを保つ努力を忘れちゃいけん。という反省と、何とも懐かしい郷愁に浸れるお葬式に参列したというお粗末。

コメント (2)
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