太平洋戦争勃発は、1941年12月8日。昭和16年の年末を控えた日である。
その日からおよそ50日後、1942年、昭和17年1月28日。玖珂郡愛宕村字尾津という、どが付く田舎の村に一人の男の子が誕生した。
それが彼の有名な・・・・・・とはならず。単なる田舎の職工さんで、無事60歳の定年を迎えてから15年、今日に至っている吾輩である。
つい先ごろ、日本老年学会が、高齢者の定義を見直し「高齢者とは75歳以上を言う」と改めた。
やれ前期高齢者だ後期高齢者だ、超高齢者だ、などと、「高齢者を幾つも作って何になる、大きなお世話だほっといて」と言いたかった。
それが、75歳以上が高齢者と定義されたとたんに、その時がやって来た。本日をもって75歳。高齢者と相成り候。
あまりにも高齢者・高齢者と声高に叫ばれると、何だか年を取ることは良くないことを仕出かしているみたいな気がしないでもない。
しかし、高齢者と呼ばれる人たちが、どれだけ過去の日本社会に貢献してきたことか。などと自ら吹聴するのも大人げないねー。
「無事これ名馬」とよく言われるが、これもどうかすると、歓迎していいのかどうか迷うことがある。
大した実績も残さず、ただ元気で生きて来たことだけを褒められてもねー、などとひがんでみても仕方ないか。
大きな病気もせず、医療費削減に貢献するくらいが取り柄かもしれないが、元気でいることの快適さは、自分にしか分からないことかも。
夕方掛かって来た電話の向こうで「ハッピバースデーツーユー、ハッピバースデーディアじいちゃん」と大きな声で歌ってくれた3歳半の
孫娘のお祝いを受けられる幸せも、元気でこの歳を迎えればこそだ……などと、自分で自分を褒めている。
おいしいお酒をチビチビリ。手作りケーキに舌鼓を打つ。やっぱり健康は有り難い、いいバースデーではある。
親父も兄貴も迎えることが叶わなかった75歳という年齢。やはり楽しみで胸が鳴る思いがする。
さて明日から、どんな一日一日を過ごして行くんじゃろう。楽しみだ。