「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「KKDフォーティエイト」

2019年04月04日 | おせっかい

           

錦帯橋周辺の桜が満開を迎えようとする、2019年4月3日の喜寿同窓会。笑い声の絶えないいい雰囲気の中で無事終了。肩の荷を下ろして大きな大きな深呼吸。今は空気までおいしい。

正午0時を合図に先ずは記念撮影を。その計画通り、一人のドタキャンもなく、全員時刻に遅れることなく集合。先ずはこれで幹事としてはノリノリである。動きの緩やかな皆さんに、ジョークやハッパを飛ばしながらゆっくりの整列。何回言ってもはみ出したり、人の陰に埋もれたりするのを、直接腕をとって「ここまで上がって」と肝を焼く。小学生の学年写真を撮るのでさえこれほど手も肝も焼かないだろう、と思うくらい手間がかかる。子どもに返るってこのことを言うのかな。これもまた笑いのタネになる。

無理もない、集合写真を撮るころには、懐かしい顔との出会いや、数年ぶりの顔合わせで既に同窓会は盛り上がっているのである。まだ乾杯もしていないのに、同窓会雰囲気にどっぷり浸かっているような。先ずはこの時点で「あぁ、やってよかった。人数の多い少ないが成否の別れ目ではないな~」と一人合点しながら、会場係員に脚立の上からシャッターを押してもらって、やっとこさ集合写真終了。

いよいよ開会セレモニーへ。スーツのポッケに忍ばせたストップウオッチを左手に取り出し歓迎の挨拶を。イントロは一応型通り。続いて「川下中学校喜寿同窓会に48人。今風にいうならKKDフォーティエイトの集いとでも申しましょうか・・・」。理解できた人から拍手が沸いた。川下のK、喜寿のK、同窓会のD、48人の出席でKKDフォーティエイト。ここまで言わせられちゃ身も蓋もない。そんなあれこれで3分52秒。やっぱり長すぎたかと少し反省。続いて一人ひとりの名前を読み上げる「出席取り」。これは初めての試みで、反応を少し気にしたが、結果オーライ。誰もがその気になって「ハーイ」と答えてその場に起立し、みんなに顔を見せることで一段と華やいだ。

今回も一次会・二次会あわせて5時間を用意した。一次会など何をやったのか分からないうちに過ぎていく。二次会ではカラオケ仲間はすぐに輪を作る。二次会の乾杯に先立って「カラオケ大いに結構。ですがここは同窓会であってカラオケ大会ではありません。オレが歌っているのに誰も聞いてくれん、などと言わないように」。釘を刺すのも幹事の役目。

そんなこんなで、色々感じていた不安も一挙に吹っ飛び、終わってみれば「最後と言わずにまた是非頼むよ」などと無責任な言葉に圧倒される始末。「今回が最後の同窓会」とふれこんで来たこちらの思いへの抵抗勢力の圧力なのである。

           

開会の挨拶の後すぐに「幹事代表今一度ステージへ」と促された。「エッ、なんで?筋書きになかったじゃ」と思う間もなく背中を押されてステージへ。男の幹事がなにやら読み始めた。「『勝手に感謝状』〇〇殿」ときた。「長きにわたり、常に代表と言う立場で・・・・・・中略・・・・・・そして後略」いつも頼りにしてきた女性幹事さんから、豪華な花束を頂く羽目になった。

渡すことはあっても受け取る側になることはない、と思ってここまでやってきた。
この思いもよらぬサプライズには、胸の奥を揺さぶられた。感謝の言葉より先に鼻の奥がツーン、目が潤んでみんなの顔が見えなくる。しばし間を置き、なんとか思いの丈の十分の一を述べて、ただただ感謝の一礼を。

平成4年、50歳の「人生の小休止同窓会」から27年間で8回の同窓会をおこなってきた。その中間には「ミニ同窓会」と名付けた飲み会を何度やってきたことか。それは、いい仲間とつるんで何かをやっていたかっただけのことだったと思う。
中学時代は、無口で内気で、存在の薄かったあのケンちゃんが、今こうして同級生の前で花束を受けるとは。同級生って、同窓会ってええもんじゃねー。幹事などはつまらん仕事だとばかり思わず、なんでもやってみるもんじゃねー。それも同じやるんなら一生懸命がいいのかも。などとのたまわっていますが。

残りの方が少ない人生で、また一つ勇気をもらった。もうしばらく、老いに負けずにがんばってみっかな~。

コメント (2)
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