「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「サービス精神」

2021年01月26日 | ニュース・世相

                  

令和3年の見事なご来光をカメラに収め、ブログや社協HPにアップしたのはついこの前と思っているのに、日にちだけは瞬く間に過ぎていく。
1月もあと5日を残すのみ。特に今年の1月は、個人的に格別な緊張感と忙しさに追いかけられたこともあって、普段の年より早く往ってしもうた。

そんな今朝の新聞には、節分豆まき用の「福豆」が添えられていた。粋な計らいにほっこり。
こんな計らいは、新聞販売店の肝煎りなのか、それとも新聞社の肝煎りで各販売店に提供しているのか、どっちだろう。
どっちにしても、受け取ったこちらは決して悪い気はしないので、このわずかな福豆ではあるがその宣伝効果は少なくないかもしれない。単なる宣伝効果と受け止めるか、サービス精神と受け止めるか。意見は分かれるところか。

そうやって、季節の折々に何らかの宣伝をしなければ、新聞の購読者をつなぎ留められない「新聞」の持つ魅力が失われつつあるようだ。というか、新聞に罪はないのだろうが、PC・タブレット・スマートフォンなどなど、次から次へ出てくる新たなメディアグッズの氾濫で、購読料を払う新聞の家庭配達量は減る一方であると聞く。

そこで、販売店も新聞社も購読者のつなぎ止めに躍起になっている。
この新聞販路拡張競争は今に始まったことではない。私がまだ小学生の頃から盛んに行われていたのを思い出した。それは「映画の夕べ」というちっちゃなチラシで、小学校の講堂に大勢の人を集めて映画会が催されていた。「今夜は〇〇新聞を取っている人は無料」そうでない人は大人20円、子供10円払って、アラカンの「鞍馬天狗」を必死に見た記憶がある。白馬にまたがった鞍馬天狗が登場すると、スクリーンに向かって拍手喝采を送ったものだ。
これも、遠い昭和の佳き思い出の一コマか。

コメント
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