例年お詣りする氏神様 破魔矢や縁起物を並べる札所
冷え込みは例年以上の厳しさではあるが、雨も風もない実に穏やかな三が日ではある。
元旦には、歩いて行ける地元の鉾八幡宮に出向き、初詣の柏手を打ち鳴らしてきた。
でもやはり、年が改まったという気持ちの区切りとして、また新たな1年の始まりを祝い、神のご加護をお祈りするには、氏神様への初詣では欠かせない。精神安定剤的な効果としても絶対に避けては通れない気持ちの拠り所である。
多くの人が同じ思いをするのだろうか、毎年大勢の参拝客で行列ができるほど賑わう。拝殿にたどりつくにはかなりの時間を要する。というのが例年の三が日の神社風景である。今年はまるで異なる風景を見せられた。年末も早い時期からコロナ感染対策として「初詣の期間を長くして蜜を避ける参拝方法」が叫ばれた。その徹底が功を奏したのか、それとも単に、多くの人が初詣も自粛して寝正月に徹したのか。
兎に角閑散を通り越して静寂の初詣であった。お行儀よく間隔を開けて静かなお詣り。おみくじ売り場の前ではじけるような若者の笑い声もない。
賑やかなのは、吉香公園のお堀に遊ぶカモの群れが、人影を見たら「エサをくれるのか」と云わんばかりのさえずりで近寄ってくるだけ。
吉香公園をめぐるお堀に悠然と遊ぶカモ 吉香公園内にある白山比媛神社
これでは神社のお賽銭の上がりも、お神楽による初穂料も少ないのだろうと心配になる。
一人でも多くの人に「コロナが一日も早く終息しますように」と神様に、仏様に祈りを捧げて欲しいのに。ここにも、コロナ感染抑止と経済の進展とのせめぎ合いが見られるような気がする。それよりも、あれほど縮小を叫ばれる中で「やっぱりお前さんは正月三が日に初詣に行ったのか」と叱られるんじゃろうか。
でもねー、こうなったら神様・仏様・ワクチン様。兎に角、早いコロナ退治をして、いつも通りの生活を早く取り戻して欲しいと願わずにはいられない。東京オリンピックだってすぐそこに待っているのだから。