「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「もう一つのおおつごもり」

2021年01月27日 | つれづれ噺

                 

おおつごもりと言えば、年越しそばに除夜の鐘と、おおよその相場は決まっている。
ここでいう「もう一つのおおつごもり」は、年越しそばも無ければ除夜の鐘も聞こえない。ましてや紅白歌合戦などさらさらない。
そんな無いない尽くしのおおつごもりとは、自分自身にとっての、単にこの1年間の最後の日という意味合いである。な~んだそんなことかぁ、である。

色々なことを経験した。新たな発見も多かった。挫折感も味わった。何かにつけて踏ん張った。そんな思い出をひっくるめて反省したり、少し自分で自分を褒めたり、諸々の感情が行き来する、つまり78歳という年齢を無事に過ごした1年の終いの日。私自身のこの1年のおおつごもりという一区切りである。

78歳という未知の年齢を迎えて3日目。節分前の大寒の中を北陸方面を目指した小さな旅に出た。
すでに中国武漢では「新型コロナウイルス」の大騒ぎが始まっていた。幸いなことに昨年1月末の時点では、日本をはじめ世界全体にまん延するなどの予測はなかった。しかし、観光のメッカである永平寺も雪の白川郷も、金沢兼六園公園も、あの甲高い声で傍若無人に振舞う中国人観光客はホンのわずかしか見られない状態になっていた。お陰で、白川郷などはゆっくり我が物顔の観光ができた。

あの日から今日までの1年間は、まさしく息苦しさと欲求不満が鬱積する日々の連続であった。息苦しさは単にマスク要請のせいだけではなかった。
何をするにも、即、命に関わる感染症に怯えながら、行動の自粛、活動は中止に追い込まれる。そんな実りの少ない1年を過ごした。
その最たるものが、新聞記者もどきのタウンリポーターというお役目が終わりを告げられたこと。これは確かに寂しかった。ま、その分他に楽しみを求めた部分もある。晴耕雨読に精を出したこともその一つ。

そして何より喜ぶべきは、歯医者以外には病院通いもなく、年相応の小さな痛みはあるものの、耐えられないほどでもない健康体。食欲も普通。上手に飼ってもらっている。認知症?あるのかな~ないのかな~。こればかりは自分の判断より周囲の判断に任せる方が確かであろう。兎に角そんなこんなでこの年を終えた。明日からはまた未知の年令域での挑戦が始まる。数字を忘れて、楽しみたいと思う。

コメント
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