成人の日の今日、新成人を迎えるのは125万人という。
その中でいったいどれだけの人が満足な成人式を迎えられたのだろうか。
コロナ禍は、若者の生涯一回こっきりの華やかな舞台まで容赦なく奪っていく。
規模縮小であったり、地域の代表者だけ出席のリモート成人式であったり。しまいには車に乗ったままのドライブスルー成人式まで。それでも完全に中止になってしまったよりは救いがあるというもの。親や祖父母からの肝いりの振袖、新調のスーツ。出来ることなら、華やかな笑顔で袖を通し、仲間とともに祝福のし合いをさせてあげたかった。
遠い遠い日の自分のその時を思い出しても、やはり一つの大きな区切りのセレモニーであった気がするのだから。
成人の日、いろんな体験を重ねた人たちから祝いの言葉が寄せられる。そんな中に「失敗のない人生、それこそが失敗である」と。だれが言ったのだったか忘れたが、まさに言い得て妙である。今を生きていること自体が、冒した失敗を取り戻して前に進み、躓いて転んだらその都度立ち上がってさらに一歩を踏み出したから今がある。躓きや失敗や後悔のない人生なんてありゃぁせん。と、失敗だらけの人間が声を大にしても説得力はないが、反省と後悔は大きな肥やしになることだけは信じている。
ただ残念なのは、そんな痛い目にあったことをすぐに忘れてしまうことである。
忘れるが故に同じ失敗を繰り返す。また起き上がる。そんな足腰がいつまで続くのやら。起き上がれなくなった時がおとまり。その日が来るまで厚かましく生きてみよう。成人式から58年が過ぎた。