私の住む町の社会福祉協議会会長さんが、現役のまま突然亡くなられた。まさに青天の霹靂。
突然の訃報に接し、執行部の一員として正直、気持ちが揺れている。
急逝された会長さんの業績の大きさを想うとき、大変なことになったな~、これからどうしよう・・・という困惑が先ず頭をよぎる。
社会福祉協議会の使命や責務について、「ちょっとご意見を賜りたい・・・」と呼び出されては、長時間に及ぶ個人講義を受けたこ数知れず。
執行部との集団抗議を合わせると、その回数や時間はどれほどになるのだろうか。
個人講義の終わりには、後継を託したいお言葉を何度も頂いた。その都度かたくなにお断りをしてきた。
自分はまだその器ではないと。それに、三人もいる副会長という立場の人を飛び越えて会長職受諾という人事方程式は私の中ではあり得ない。あまりにもおこがましいことである。
そんなわけで新たに後継候補を見つけ、私を含めた数人で少しずつ申し送り会議を重ねている最中の突然の逝去。
後継者の心配を残したまま、志半ばに黄泉路を渡る会長さんの無念さを想うとき、断り続けたこの身は、合掌する手に力を込めるが、時すでに遅し。しばらくは後ろめたさにさいなまれるのだろうか。
言い訳をさせて頂くなら、会長職にあらずとも、それを補佐し、前会長のご遺志に沿う舵取り役は出来るのではないか。常に会全体を掌握しながら、スポークスマン的な立場で貢献する場はあるのではなかろうか、と思う部分はある。
この期に及んで逃げ出せはしない。なんとかやるしかない。
と、肩ひじ張るような薫陶を長年受けてきたということである。
しかし、これからは硬軟取り混ぜて、堅苦しい枠を取り外す役割も必要となろう。その時は、こんこんと抗議を受けてきた実績をもとに、的を外さない改革に力を貸せそうである。
「朝起きるとすぐにパソコンに向かって社協の仕事をしていた・・・」と言われる奥様の言葉通り、まさに寝食忘れるほどの情熱を傾けてこられた地域社会福祉協議会。曲がりなりにも守っていくことが我々の使命であろう。
満79歳の生涯。最後までやる気を貫き、他を寄せ付けない強気の一面に隠された真の優しさ。
お浄土でまた新たな役割を見つけて、後輩の指導に当たられんことを心からお祈りして・・・。 合掌!
それに公私にわたり、置かれた立場上等々、
考えなくてはならないこと
色々と大変だと思います。
でも最善の選択がとれる(或は、とらなくてはいけない)賢ちゃんです。
秋の空のようにすっきりと進めて下さい。
明治生まれの親父を思わせるような、硬派の、というより堅物に偏りかけた感のある人でした。
お年を感じさせない鋭い記憶力と、強い探究心で妥協を許さない性格には、何度も、口角泡を飛ばす議論もしてきましたが、それができなくなったのがなんとも淋しい限りです。