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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「世はままならず」

2011年06月17日 | つれづれ噺

     
          巣ー1 3年前最初に架けた巣で、大きく育ったヒナ

    
 巣ー2ヒナ2羽     巣ー3・4    巣ー2の左上に3の巣   6月10日ヒナの姿が
          (見えるのは親鳥) (近い場所に新たな巣) (親鳥の下に小さな頭が)

やーれやれ、アオサギのヒナがやっと姿を表した。
もうかなり大きくなっている。7月半ばから下旬には一斉に巣立って行くのだから、当たり前と言えば当たり前。今まで、姿を隠していたのが不思議なほどだ。

今年こそは、アオサギの必死の子育て・成長過程を出来るだけ詳細に見せて頂こう、と思って先ずは三脚付き双眼鏡を買った。
次いで、コンパクトだがズームが簡単な、アオサギ専用のカメラもゲットした。
万全の態勢で「いつでもござんなれ・・・」と身構えて待った。

期待通り、つがいが巣を架けたのはトータル7箇所。去年より3箇所増えた。
しかし、今年の異常気象にはアオサギも生活様態の変化をもとめられたようだ。
いつまでも寒かったせいで、巣を架けるのが1ヶ月近く遅れた。

その上、来る日も来る日も風が強く、架けかけた巣が落ちそうになって修繕に手間を取られた。オマケにいつも我が家から見える側で産卵・抱卵していたものを、風を除けるために巣の奥側に引っ込んでしまった。残念、いつまでたってもヒナの姿は見えなかった。親鳥が抱卵している姿さえほとんど見えなかった。

ここにきてようやく、雨上がりの陽射しを求めてヒナが顔を出すようになった。
双眼鏡・新調カメラの出番である。蛍は写せなかったが、アオサギはこのカメラでバッチリである。このように準備万端整えて待つと、結果はこんなもんだ。

言って行き場も持って行き場もない。こんなときのやり場のないグジグジ言う独り言を「グチ」っていうのだろうな。何となく分かる。
こんなところにも、やっぱり世の中ままならないものだ、と思い知らされる。 
ましてや人の世の中、思うように行くわけがないことを改めて肝に銘じよう。

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「ホタル」

2011年06月16日 | 季節の移ろい・出来事

       
             宵闇迫る草むらに、高級カメラの放列。

今年のラストチャンスかも・・・と思ってホタルの乱舞を見に行った。
5月下旬~6月中旬が見ごろとのふれ込み。ちなみにホタル祭りは6月11日であった。
一つの全体がホタル育成に向けた生活体系が出来上がっているのだという。

明日の予報は雨。行くのなら今日しかない・・・と、昨日夕方6時出発。
クルマで1時間10分走った、錦帯橋の架かる錦川上流の山の中。岩国市錦町府谷というところ。 これまで何度も話には聞いていた。「是非一度は・・・」と勧められてもいた。

まだ周囲も明るいうちに到着。先客が10組くらい。みなさん地元の方かと思うほど、長靴履いて重装備。それもそのはず、足元はマムシが出てもおかしくない草むら。
よく見るとわざわざ、ホタルの乱舞を撮影に来た、カメラ愛好家ご一行様。三脚だけでも随分値打ちがありそう。その上にセットされたカメラは言うに及ばず高級品とみた。

気軽に安っぽいデジカメ提げていったこの身は、恥ずかしくて、日が暮れるまではカメラをクルマに残したまま。でも思い直して、このカメラの放列を記念に残そうと思って撮っておいた。これがよかった。ホタル見物の雰囲気は充分味わえる。

というのが、悲しいかな素人の浅はかさ。手持ちの最高級品と三脚持っていけばいいものを「デジカメで撮れるだろう」などと甘い考えで乗り込んだ。後の祭り。
結果は、何枚シャッター切ったか知らないが、デジカメにはホタルのホの字も残っちゃいない。残ったのは高級カメラの放列と長靴姿のカメラマンだけ。

7時51分から一匹また一匹と飛び始めた。15分もすると、を流れる小さな川にまさしく天の川ほどのホタルの乱舞。
カメラにこそ納め損なったが、その美しさはこの目に焼きつけた。今年は写真が撮れなかった分、来年へまた夢が広がった。これは負け惜しみではない・・・?

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「もうすぐ花すだれ」

2011年06月14日 | 季節の移ろい・出来事

 

およそ1ヶ月前の5月17日、プランターに植えたあさがお。
今朝初めて、淡い紫・燃える赤を一輪ずつ開いて見せてくれた。 ヨッシャー!
といっても、我が家の場合タネから蒔くのではない。
小さなポットで育てられ、ツルを伸ばし始めようか、と言う苗を買ってきて植えたもの。

タネから蒔くのがオーダーメイドなら、苗から育てるのはイージーオーダーというところか。
そういえば、愛蔵のスーツもオーダーメイドは数少ない。大半がイージーオーダー。あとは既製品に身体を合わせて、着こなしで勝負している、ということにしておこう。

さてあさがお、花はようやく一輪だが、ツルははもう1m以上伸びたものもある。
芽をかいでは、またかいでは、出来るだけ横に広がるようにしても結構身長は伸びた。
笑われるほど頑丈に作った、柵やネットにしっかりツルをからみつかせ始めた。
間もなく昨年並みの、あさがお咲き乱れる「花すだれ」のご登場である。シメシメ!

東日本大震災による東電福島原発の事故によって、世界中で原発を見直す大きな波が起こりつつある。早速イタリアでは、国民投票によって「原発ノー」という意思表示がなされた。世界中が、脱原発に拍車をかける勢いへと動くのであろう。当然日本も唯一原爆被害国としての立場もあり、原発推進とは行かなくなるのだろう。

そうなったとき、エネルギー資源を持たない我が国は、脱原発即電力料金の値上げは避けられな。そのためにも夏場のエアコン使用を極力抑えたい。
そんな一助となる緑のカーテンすなわち「花すだれ」。今年はもちろん、来年以降も間違いなく大切な節電効果を発揮させなければならない。

大切に育てよう。そして来年は苗を買わなくとも、この宿根あさがおがまた元気に育つように手を入れよう。これぞふところエコ活動!!

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「1975年」

2011年06月13日 | 思い出話

       

1975年、昭和50年10月15日。
忘れもしない、広島カープ悲願の初優勝を成し遂げた年である。
「エッ? カープって優勝したことあるの・・・?」などとおっしゃいますなよ。

エース・外木場義郎、20勝。エース・池谷公二郎、18勝。そして今夜の主役、三人目のエース・佐伯和司、15勝。
3人合わせただけで53勝。優勝して当然といえば当然の投手成績である。
首位打者・山本浩二。鉄人・衣笠祥雄。リーグを代表するスラッガー二人。
やはり、勝つには勝つだけの役者が揃っていた。

それに比べて・・・おっとっと、今のカープの話などするつもりはない。
話したいのは、カープ初優勝当時の3人目のエース佐伯和司投手。
今年59歳になったという。その彼が、数々の華々しい活躍の面影を大切にしながらも、今、岩国市の片田舎にある硬式少年野球チームの監督に就任したという。

プロ・アマの積年の確執がようやく溶けて、身の振り方が自由になった元プロ野球選手。色んなところで色んな形の指導者になっている。
佐伯和司氏もその一人。指導理念は「勝敗より人間教育重視」。
そして指導の基本は、プロの世界で監督達が教えた「やってみせて、言って聞かせて、させてみて、褒める。これが一番」と。

確かにどこかで聞いたセリフだが、若い人や子どもを指導する基本は、どこまで行っても変わりはないと言うことなのだろう。
現役時代は、ビッグマウスというあだ名の通り、厳しい言動もあった。それらを反省しながらの今回の少年野球指導である。言葉だけでなく、人間教育を実践して欲しいものだ。勝つことも大切だが、負けることも教えるべきである。負けの中から次に負けないために学ぶことは決して少なくないと思っている。

その昔も必死に応援したが、今回もやはり応援したくなる。
フレーフレー!佐伯!! フレーフレー!教え子!!

  ( 写真 : 文とは全く関係ない、少年ソフトボール大会in岩国 )

 

 

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「垂涎の的・・・」

2011年06月11日 | 宴会・会食

       
         昨夜来の大雨で増水、河原が狭くなった錦帯橋

6月第2土曜日、年に一度の恒例行事。定年退職者の会総会及び懇親会。
心配された雨も朝の早い時間に上がった。予定の雨量を昨夜のうちに全て降らせたものか、結局一日中梅雨晴れに恵まれた。

岩国工場定年退職者を完全掌握すると、いったい何人になるのだろう。
年会費を納入し会員資格保持者が、目下600人。そのうち今回は164人の参加。これは例年にない少ない人数である。

定年退職9年目、実質10回目の出席となる今回。周囲を見回してみると、我々同期以降のいわゆる後輩に当たる顔ぶれが少ないことに驚く。
いつまでたっても周囲には先輩がほとんどで、なんかしら新兵さん気分が抜けない。といって小さくなっているわけではない。

最近の世間を反映しているのか、このような任意の定年退職者の会などに関わりたくない人も少なくないようだ。それほど、会社に対する愛着なども希薄なのだろうか。
それとも、定年が見え始めた高齢者に対する会社のやり方に不満があるのだろうか。

まあ人それぞれ。無理に勧める会ではないかもしれないが、山口県高齢退職者団体連合などに言わせると、年に一度の総会・懇親会が行われ、これほど多くの参加者があることは「垂涎の的と目されている」との声も聞かれる。
確かに、長い間同じ釜のメシを食った者同士、一年ぶりに顔を合わせ、消息の確認や思い出話に興じるのも決して悪くはないと思うのだが。いや、大きなお世話かも。

今回は特に、東日本大震災で大打撃を受けた石巻工場への直接的支援という重要案件もあって、何がなんでも参加しておきたかった。
一旦は自粛を提案した会に対して、工場サイドは「是非実施し、石巻の現状を見てもらった上で、今後も当社発展に協力頂きたい」ということで実施に踏み切ったという。

今、会社に対して何を貢献しているとも思わないが、会社の名前を汚さないよう生きていること自体がそうなるのかな~と思うことにしよう。

 

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「青葉茂れる桜井の・・・」

2011年06月10日 | 季節の移ろい・出来事

          
           「薄桜忌」墓参の光景

 ♪♪ 青葉茂れる桜井の
       里のわたりの夕まぐれ
          木の下陰に駒とめて・・・ ・・・ ♪
              『桜井の訣別』(青葉茂れる桜井の・大楠公・湊川)

今日、6月10日は、満98歳の華やかな生涯を閉じた、作家宇野千代の命日。
『薄桜忌』と名付けられた法要・墓参が、宇野千代顕彰会によって、岩国の菩提寺・墓前で営まれた。
これまでは、事情に合わせながら、薄桜忌の日も変動していたが、昨年から、6月10日に行うことに決定。市民にも徐々に広がって行くことだろう。

没後今年が15年目。来年は17回忌となる。少し忙しくなりそうだ。
そんな来年に備えてでもないのだろうが、墓前で小さなイベントを催した。そのうちの一つが、冒頭の「桜井の訣別」の歌である。
生前の宇野千代が、鼻歌として好んで口ずさんでいたという。愛唱歌の一曲。
それを、参加者全員が合唱し、供養の一つとして墓前に捧げた。

毎回のことながら、菩提寺住職さんの法話が楽しみである。
世の中の森羅万象、あらゆる事柄には「因・縁・果」がある。
原因があって、色々なご縁に巡り合いながら、最終結果へと導かれる。

人の一生についても、死は「果」である。ならば「因」はといえば、生まれてきたこと。そして死に至る原因は「縁」なのだ。という興味深い話であった。
この世に生まれ生かされて、計り知れないご縁を頂き、生まれたからには結果として消えていくのは世の条理。そう思えば、少し気楽に生きられる気がするのは、単なる気のせいかな。 

    

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「見ごろを迎えて」

2011年06月09日 | 季節の移ろい・出来事


            

6月第2土曜日、年間行事予定に組み込まれた恒例のイベントがある。
錦帯橋そばのホテルが会場となっている。時間は真っ昼間。

イベントを終えて、赤く火照る顔を臆面もなくさらして、仲間と共に吉香公園を散策。
今や見ごろを迎えた花菖蒲を愛でるのも恒例行事の一つになっている。
ところが、この土・日は今のところまるっきりの雨予報。

如何に風流人とは言え(?)雨の中を公園散策もないだろう。着ていく予定の三番目のスーツも台無しになりそう。
そんなことを想定して今日の午前中、お城山登りも兼ねて、花菖蒲観賞と洒落込んだ。
このところの日照不足か、株の割りに花が少ない感じは否めない。

そうはいっても、開いた花は艶やかで見事である。ここ岩国から全国発信しても決して恥ずかしくない、今を盛りの花菖蒲である。
純白の大輪など、そーっと手を触れてみたくなる衝動に駆られる。お見事!! 

  “ わが恋は  人とる沼の  花菖蒲(はなあやめ) ”  泉 鏡花  

人の御坊ながら、ええかっこの一つもしてみたくなる花菖蒲観賞。

今こうして咲いている花も、それぞれに、土に埋もれた根っこを頼りに一年間、猛暑にも厳寒にも風雪にも耐え、今この花の時節を待っていたのだろう。
存分に開いて、存分に愛でてもらうがいい。まさに今が見ごろの花菖蒲。                 
       

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「我が物と思えば軽し・・・」

2011年06月07日 | 晴耕雨読

       
           2月、咲き誇った梅の花

冬枯れた木の枝々に小さなツボミが宿る。容赦ない風雪に耐え、やがてほころび、小粒の花と香りを愉しませてくれる梅の花。

その花の一つひとつが全て実を結んだのではないかと思わせるほどの鈴なり。
管理を任されている小さな梅林が、今年もしっかり実を付けている。
梅もぎを20日ばかり後に控えたこの時期恒例の下草刈りに行ってきた。

草刈機のエンジン音を遠慮なく立てても迷惑とはならない過疎の村。
草刈自体は1時間もあれば事足りる。ところがそうは問屋が卸さない。年々横に広く伸ばしてきた枝が、鈴なりの実の重みで地面に這うほど垂れ下がっている。
枝を持ち上げてやらなければ、せっかく生った実も腐らせてしまう。草刈機だって使えやしない。それを見越して、買っていった杭を掛けやで打ち込み、垂れた枝を持ち上げては杭に縛り付ける。そうやって梅の実を守り、草刈機が縦横に使えるスペースを作る。
これが厄介な時間もお金も食う作業である。

なんだかんだ言いながら、20日先には青梅が数十キロ手にはいることを目論んだ、所詮は欲との二人連れ。 「我が物と 思えば軽し 笠の雪」

しかし今日ばかりは、普段の運動不足もあって、立ったりしゃがんだりが膝にこたえた。
さていつまでこんなことが出来るのだろう。
「手入れを辞めたらあっという間に森になるだけ・・・」という義兄の言葉に、まだまだがんばらなければ・・・と欲の皮が突っ張ってくる。
この身から離れない「欲という魔物」・・・ あぁ困ったものだ。

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「地球のイタズラ」

2011年06月06日 | 晴耕雨読

               
       一本の根っこから五つの頭を出した、タマネギの突然変異(中央)        

毎年同じように肥やしを入れ、草を取り、同じように畑を作る。
同じ時期に苗を植え、同じように手塩に掛けて育てる。分け隔てなど全くない。
なのに、地球という大地は時々イタズラをする。とんでもない作物を見せてくれたりする。

今年もタマネギを収穫した話は先日アップした。その時のこぼれ話をひとくさり・・・。

赤タマネギ150本植えた。そのうちの1本に面白い形をしたものが見つかった。
ごく普通に抜き取っていったうちの1本である。
なんとタマネギと言うにはおこがましい、らっきょうが5個固まったような珍しい姿。
間違いなく一本の根っこから、5個の頭をのぞけている。

同じように手を掛け、同じように育てたつもりでもこのようなことは起こり得る。
色も匂いも全く普通の赤タマネギと同じ。ただ、お互いが成長するために、しのぎを削り合ったとみえて、5個がそれぞれ発育不全のラッキョウもどき。
タマネギとしての商品価値もなければ、食材としてテーブルに載ることもない。
しかしこうして、写真に撮られ主役としてブログに登場するという価値を持っている。

大地も大海も、地球という一つの星の中で、時としていろんなイタズラをする。
その偉大な力の前に人間は為す術もないこともある。が、元々そんなにヤワではない。
いつも地球のイタズラに対抗して今まで生き伸びてきたのだ。負けてたまるか・・・。 

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「自治会清掃」

2011年06月05日 | つれづれ噺

             

年に一度の自治会恒例行事「清掃の日」
朝8時には作業服姿や寝起きのトレーナーまがいの服装など、思い思いに三々五々集まってくる。各自の家の前にある側溝のどぶさらい。
団地入り口付近の国道草取り。自治会館建設用地の草刈など、ほとんど各戸から誰かが出てくる。年に一度の自治会顔合わせ的な側面もある。

団地にある唯一の街区公園の草取りや清掃も含まれる。
山のすぐ下にある公園なので、草など茂らせると、思わぬ長ヒョロいちん入者や、訳の分からぬ虫たちも寄ってくる。
それらから子ども達を守るためにはつい力が入るというもの。

元々は子供会の保護者が受け持っていた公園清掃。その代償として年間数万円の子供会補助費が自治会から支給されていた。
数年前から少子化の煽りで、この団地でさえ子供会活動が出来なくなり、公園清掃も自治会に返上されてきた。
従って各班持ち回りで月1回公園清掃している。これが意外といっては失礼だが、行き届いた清掃が行われており、安心して孫達を遊ばせられる。

かつては登校班が出来て、整列出発するまでは黄色い声が団地内に響き渡ったものだが、団地が出来て17年もしたらもう子供会さえ出来ないという少子化。それに伴って高齢化は急進行。自治会館建設用地は確保されているものの、いまだ建設のケの字もないまま、毎年草ボウボウになっては草刈を繰り返す始末。
そのうち、自治会清掃も公園清掃も、市役所に頼らなければならない日が来るのであろう。他人事でないだけにヤだね~~。

   ( 団地公園の水道蛇口が魅力の悠雅君 )

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