「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「思わぬ不作」

2016年06月06日 | 晴耕雨読

                         
                惨憺たる今年の玉ねぎ畑

選挙が近くなると必ず「おーい元気かー」と不意に訪れる同級生がいる。
市会議員から国政まで、選挙の話が出てくると間違いなくやって來る。
決して悪いヤツではないが、選挙の時しかやって来ない。「オー、あんたが来たらまた選挙か?」
などと冷やかそうと、「選挙以外では一切来ないねー」などと嫌みを言っても一切お構いなし。

今日もやって来た。「今回は比例代表の票が欲しいので、是非我が党へ頼むよ」とだけ言う。
大嫌いな政党ではなく、むしろ友党の応援だから聞く耳を持ってはいる。
「まあせいぜいがんばって」と冷たく追い帰そうとする私に、「これはオレが作ったんよ」と、ビニール袋を差し出す。
中には、これは間違いなくプロの手によると思われる大ぶりなジャガイモがズシリ。メイクイーンと男爵を。

お百姓の倅であることは知っていた。が、これほどの腕前とは思っていなかった。
「ほんとにあんたが作ったんか?」「オレはなんでも作るんよ」と、こともなげに言う。
そうなると選挙の話はそっちのけ、引き留めて畑づくりのノウハウを引き出そうと欲が出る。

あれこれ教えてくれた。最後に「今年はタマネギはどうじゃった?」と水を向けると「ゼンメツ!」という。
「やはりそうか、実はうちのも半分くらいしか採れんかった」というと、「そうじゃろう、今年はダメじゃった」
あっさりしたものである。「天候が災いして早めに葉っぱが倒されてしもうた」。
我が家も真っ青い成長盛りの葉っぱが、時季も来ないのにほとんど倒れてしまった。
「全部途中で腐ってしもうた、また来年よ」と。この思い切りが、如何にもプロらしさを物語る。

実は今年は張り込んでタマネギ600本を植えたのだった。
途中まで極めて順調。このままいくと野菜市に出せるかも、などと冗談を言っていたらこの始末。
ただ、安堵すべきは、今年の不作はアタシの腕のせいじゃないってこと。
彼のような腕前でさえ、お天道様には勝てなかったということ。我が家の不作など当たり前だと、妙に納得。

今度は選挙以外でもたまには遊びにおいでよと、追い帰そうとした自分をちょっと恥じた。

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「ばんざ~い!!」

2016年06月03日 | ニュース・世相

                             
            学年こそ1級違うが、同じ7歳児の孫君

北海道の7歳男児行方不明に端を発した、日本中を不安と心配に巻き込んだ事件。
発生から、6日ぶりに無事発見保護された田野岡大和君。
何はともあれ、その生命力の強さと、重なる幸運に、先ずはもろ手を挙げて叫びたい〝 バンザ~イ ” と。

同い年の孫を持つジジ・ババとしては、他人事ではない。
『やるせなさ』『やり場のない怒り』『親のエゴ』が頭をかすめる。
自分の子育て時代を思い返すと、確かに、親の思い通りにならない子に対して、今回と似たようなことをしたような。
「しつけ」という名の無理難題を押し付けたことに思いたる。

今こうして、悠々自適の老境で「まご育て」というゆとりがあって責任はない。という立場だから言えることもある。
子どもといえども、3歳前後からは一個の人間として自我が目覚める……というような専門的知識はその道に譲るとして。
経験則からいっても、子育て中の親の意識の在り方に大きな問題が潜んでいることは確かである。
それは、未経験の分野であり、仕事や家族の生活を支える責任感など、複雑な社会背景があることも承知している。

それにしても、やんちゃ盛りの7歳児が、突然、見も知らぬ森の中に放り出され、空腹と恐怖に耐えながら、命がけで過ごした6日間。いったい誰がどのように補いを付けるのか。精神的ダメージがなければいいが、心配する。今一度いう、他人事ではない。
今後の彼の成長ぶりをこの目で確かめたい気持ちは十分にある。

それでなくともこの最近、しつけと称して何人の子どもが命を奪われてきたことか。
父親母親になる立場の人たちへの「子育て教育」が必須な世の中になってきたようだ。
以前には、子育て経験豊富なベテランおばさん教師や、面倒見のいい世話焼きが周囲にいっぱいいたような。

今だって、子育て中の親がちょっと門戸を開いて外に出ていけば、解決策はそこら中に転がっているのではないか。
それが世間・浮世というものだよ……などと説いて聞かせるのは、時代遅れなんじゃろうねー。
さーて、〝 どうしたもんじゃろーのー ”

「叱る」と「怒る」は意味が異なること。
「しつけ」は「仕置」とはまるで違う。ましてや「押し付け」は誰もが嫌う。貴方だって嫌いでしょ。

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「電波の日」

2016年06月01日 | 季節の移ろい・出来事

                                    

水無月ついたち。早くも6月の声を聴く。
目に優しかった青葉若葉が、だんだんその色を濃くして力強さを増す季節。
湿度の低い爽やかさが続いてくれる今は有り難いが、そのうちあの息が詰まるような蒸し暑さに襲われるのだろう。

6月1日は「電波の日」でもある。各地で色んな催しもあったようだ。
電波といえば、こうして何の疑いも持たず、つたないブログであっても世界に発信できていることに感謝の思いがしてならない。
そしてあの、青春からこれまで数々の思い出多い東京タワーが、電波塔として建てられたことにも思いが及ぶ。

昭和33(1958)年12月23日に、総工費約30億円、工事期間543日をかけて竣工。
高さ333m、海抜351m。東京のシンボル、観光のメッカとして日本電波塔株式会社が運営を始めた。
テレビやFMラジオのアンテナとして放送電波を発信。またJR東日本の防御無線用アンテナ。
さらには東京都環境局の各種測定機器も設置されているという。まさに、時代の脚光を一身に浴びた東京タワー。

今や東京のシンボル・観光名所としては、東京スカイツリーにその座を譲ってはいるものの、根強い人気に支えられているのだそうな。
古い!と思われるだろうが、電波の日などと言われると、ついついなじみ深い東京タワーに思いが行くのである。

そしてふと振り返ってみる。今年に入って5か月間、いったい何をしてきたのだろうか、と。
早い話が、大したこともしてないな~。特に気持ちが湧き立つような遭遇もなかったような。
それどころか、同級生仲間の急激な高齢化現象、病気の進行など、あまりいい話に恵まれなかったような。

4月に小学校に入学した孫の三男坊が、自我に芽生えて「野球をやりたい」といって少年ソフトボールチームに加入したこと。
これくらいが身近な唯一のトピックスかな。
但しこれは、体力・気力が要求される過酷さを秘めている。ほとんど毎日日暮れまで、野球練習に付き合わされる。
遠投も飛距離も延びてきて、走り回される時間も多くなった。気力とは別に走力・判断力を身に付けなければ笑われそうだ。

それよりじいちゃんは、電波にお世話になるパソコン遊びや、テレビ桟敷が似合っていると思うのに。

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