「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

『悲しみは突然に」

2016年06月17日 | 季節の移ろい・出来事

          

まだまだ大丈夫だろう、と無責任な高をくくっていた「愛しの叔母さん」が突然亡くなった。
平成28年6月15日、午前11時15分を一期に、黄泉路の彼方へ旅立った。
明治45年1月3日生まれ、104歳5か月12日の生涯。まさに大往生という言葉にふさわしい終焉ではある。

5月末の日曜日に病院に見舞ったのが最後の面会となった。
「あんたかたの寿司はおいしかったのー」と懐かしげにしゃべってくれて、こちらの言葉もちゃんと受け入れてもらった。
今年3月以降、最後の住みかとなった現在の病院では、点滴管につながれて、食事は完全なゼリー食。
外部から持ち込んだものなど、たとえ一口たりとも勝手に食べさせることはできない。

出来ることなら今一度、木の芽をあしらった季節の香り豊かな岩国寿司を、一口でいいから食べてもらいたかった。
かつて、新聞に連載された五木寛之著「親鸞」の切り抜きを、6冊に分けて製本したものを完全読破される活字愛好家でもあった。
ありがたいことに、つたないyattaro-エッセイの愛読者でもあった。

小生の母とは4つ違いの妹で、顔も姿もよく似ていて、いわくにの金さん銀さんなどと面白がられた姉妹であった。
母が施設に入ってからは、母の見舞いに行くときにこの叔母に声をかけては一緒に行ってもらった。
「ハナさん来たでよ」「トキさんかー」と交わす言葉のトーン。母の見せる笑顔が、何物にも代えがたい柔和なものなっていく。
かなり足しげく通ってもらった。

母方も父方も、伯父さん叔母さんと呼べる人は早くに亡くなり、唯一最後の一人であった叔母。
お見舞い方々出かけては、いろんな話をして、こちらが元気をもらって帰る楽しみがなくなった。これは淋しいことである。
それもこれも、今を元気に生きられているこちらの勝手な言い分である。
104歳という長き生涯を、さらにこれ以上長くと要求するのは、酷な話ではある。

母への思いをこの叔母さんに重ねて、楽しませてもらった思い出の数々。語れば夜が明けそうである。まずはここらで止めおこう。
最後のお別れで、白骨と化した叔母さんの一部分を骨壺に納めさせてもらえたのがせめてもの慰み。
心からご冥福を。合掌。

コメント (4)
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