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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「免許期間3年」

2017年01月13日 | つれづれ噺

                   

運転免許なるものを一番最初に手に入れたのは、昭和36年(1961年)の、軽二輪免許である。
試験管の見守る中、ラビットスクーター125ccにまたがり、簡単なコースを巡る。脱輪・転倒などなければ、ハイOK!
125cc以下のバイクに乗れる資格を得た。

それから3年後、自動車学校に通って、普通車運転免許を取得。クルマは持っていないが一応運転手としての資格を得ておいた。
免許取得から数年を経て、ようやく軽四の中古車を買える余裕が出て来た。以来かれこれ半世紀、50年の運転経験を持っている。
当然ながら、ネズミ捕りのスピード違反に引っかかること数回。事故歴も間違いなくある。
それでもこうして、無事に元気に高齢者運転免許の段階までやってきた、ということは、先ずは目出度し目出度しというところか。

大工の棟梁とか、長唄や三味線、日舞のお師匠さんなどは、経験年数が長ければ長いほど、張りや艶やお色気が出て来て、人間国宝に推挙されることもしばしば。長さに比例して腕前や力量は右肩上がり。つまり長きゆえに尊しの感がある。
そこへ行くと、クルマの運転技術はどうだ??長きゆえに尊しなど、とんでもない話。

昨今の高齢者による、被害・加害の交通事故多発は他人事ではない。
ブレーキとアクセルの踏み間違いや、運転中に起きる他の病気が原因の悲惨な事故が続発する時代である。
ということは、運転技術の場合、ある程度までは順調な右肩上がりで推移する。それを過ぎると一気に急降下する怖さを秘めている。
こんな曲線を頭に叩き込んで、自らの運転技術に照らし合わせる必要がありそうだ。

今回の免許更新で、その有効期間が今まで5年だったものが3年に削られた。
考えてみれば、今のまんまの運転技術が3年保てるか?と訊かれると「ウン」とは言い難い部分もある。3年がちょうど頃合いかな。
その一方で、高齢者運転のもみじマークを付けようか、どうしようか迷うところである。

アクセラ・スポーツタイプに、もみじマークがフィットするのだろうか。

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「コンプライアンス」

2017年01月11日 | つれづれ噺

                            
            郵便配達員さん、ご苦労様です

仲間と共に昨年末までに念入りに仕上げた、所属する団体の広報誌が、印刷屋さんの手違いで印刷やり直しとなってしまった。
その影響で、当初1月1日までに各戸に配布する予定の新年号が、大幅に遅れて1月15日の市報と一緒に配布することと相なった。
となれば、各戸配布を直接担当する各自治会の会長あるいは配布担当者に、こちらが直接届けなくてはならない羽目になった。

原因となった印刷屋が主体となって、40自治会全てに配布することにしたのだが、そのうちの10数件の配布を手伝うことにした。
本来は、被害者の立場にある我々が配布まで手伝うことはないのかもしれない。しかしそこは人間同士の付き合いであり、設立から11年間ずっと付き合ってきた印刷屋であり、担当者は我々と同じ地区の賛助会員の仲間でもある。

そうはいってもペナルティとして、「不手際の原因究明と、今後の対処の方法を明確にさせる」ことは十分にさせた。
もちろん、金額的損失は先方が負担することで、こちらは一切預かり知らぬこと、という結論を得ている。

そんなわけで、お人好しと言われるかもしれないが、受け持った件数のに自治会担当者の家を探し歩いた。
昭和40年代前半から、雨後の筍ほどに次から次に出来た団地の険しい山道、狭い道路を練りながら…… ア~アとため息ひとつ。
そのうち、目星をつけた団地なのに、担当者の家がなかなか見つからない。ちょうどそこへバイクの音もけたたましく郵便配達がやってきた。

「すみません、誰それさんの家はどこでしょうか」。恐る恐る尋ねてみた。
ニコッと笑っ配達員は、「法律で教えられないんですよ」と言うではないか。「エッ、この近くでしょ?」「教えられないんです」
「なんで?」ちょっと気色ばむ。「個人情報ですから」と。その顔には「勝手にお探しなさい」と書いてある。
これじゃ喧嘩したらこちらの負けは明らかだ。「そうは言っても……」と詰め寄らずに歩いてみたら、3軒先にその家はあった。

なんとバカらしいこと。「3軒先です」と独り言でも言ってくれたら、さすがメイドインジャパンの郵便配達、親切だな~と思ったであろう。
いやちょっと待てよ。今日の場合、やはり「教えられません」の一点張りで、独り言も言わなかった彼の方が正しいのかも。
これぞ「コンプライアンス」に忠実な、メイドインジャパンの郵便配達の面目躍如というところか。

それにしても、腰の曲がったおばあさんが苦労して探しているのを見ても、同じことを答えるんじゃろうか??
ちなみにコンプライアンスとは『要求や命令に従うこと。特に、企業が法令や社会規範・企業倫理を守ること。法令順守』とある。

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「本当の新年」

2017年01月09日 | 季節の移ろい・出来事

                                   

1月9日にしてようやく訪れた我が家の実質的な新年。
娘家族と倅家族が一緒に我が家にやって来て、総勢9人の賑やかなお正月宴会をしたのが昨夕のこと。
孫最年長の兄ちゃんだけ、すでに高校スキー部の地元合宿に参加しているため、彼以外の9人が集まった。

その兄ちゃんは、遠方のスキー合宿を終えて帰って来た暮れの30日から3日までの短い冬休み。その間ひたすら実家で眠りこけた。
ただ1回だけ元旦の夕方やって来た。彼の好みに合わせたばあちゃん手作りの料理を、腹の皮がよじれるほど食って食って食いまくっていた。
その間弟たちは、お父さんの実家に行って、あちらのじいちゃんばあちゃんに散々手を焼かせていたようだ。

倅の場合、完全連続操業なので、正月休みは特になくて、通常の勤務のめぐり合わせによる帰省になってしまう。
そんなことこんなこと色々絡みがあって、大宴会?を開くのが昨夕となったというわけである。
前日から買い出しや準備に追われてあれこれ作り、食べて飲んで、お年玉を渡してようやく我が家の正月も一段落。
今日からが今年の本格始動ということである。

孫の成長に合わせてお年玉の中身も変わって来る。
まだ貨幣価値のはっきりしない子どもの頃は、お年玉袋をもらうだけで喜んでいたのだが。高校・中学・小学校ともなるとそうもいかない。
人並みかどうかはよくわからないが、無い袖は振らない我が家の方針そのままに、ポチ袋の内容は決まる。
まあまあみんな、袋を開けた途端に喜んでいた。十分だったというサインなのだろう。

いよいよ浮かれ正月ともお別れ。
まず手始めに、喪中はがきを頂いて賀状を欠礼した何人かの人に「寒中見舞い」を書く作業がある。次いで、あれにこれに……と。
蓄膿症治療も忘れないようにして、今年も、何はなくとも健康志向。ほどほどの体力を維持しながら、少しゆったりと……と。

さー、ぼちぼち始めるとしよう。

 

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「大政奉還150年」

2017年01月07日 | ニュース・世相

                         

日本近代史の中で最も特筆すべき時代の変革ともいえる武家政治の終焉。その一大契機となったのが、徳川第十五代将軍慶喜公による「大政奉還」という一大決心であったろう。などと司馬遼太郎作品の受け売りではあるが、我々が生きている今の世の中を見るとき、実際に一大契機であったろうと思っている。その時から今年が150年目に当たるという。

その時代を生きた人々にはそれなりの思いが交錯したことは間違いない。もちろん損得勘定の駆け引きもまかり通ったであろう。
その立場や見方、考え方によって、命がけの賛否両論あることは当然で、誰がヒーローで誰が悪役なのか、簡単には言えないようだ。
ただ、260数年続いた徳川幕府政治を転換しなければ日本の将来が危うい、という危機感は多くの人に共通するものがあった。
そんな市民運動みたいなものが、賛成派反対派の血なまぐさい数々の事件を引き起こした幕末。
それらの歴史が、世界に名だたる日本国家を築く基礎となったことを思えば、結果論ではあるが、武家政治の追放、大政奉還が間違った選択ではなかったということになる。

近くのどこかの国のように、未だに絶対的権力を誇示し独裁政権を死守する将軍様を崇め奉る民衆にはなりたくない。
その国で少しでも体制批判でもしようものなら、即、粛清という名の死が待っている。かつては我が国もそれに近い幕藩体制が長く続いた。
それを思うと、大政奉還から明治維新への流れは必然的な時代の変遷であったということか。

あれから150年と言われる今年。考えてみれば小生自身ちょうどその半分の75年を生きてきたことになる。
ということは、明治維新から75年目に生まれた計算になる。要するに幕末だ、大政奉還だ、明治維新だという大きな歴史の転換がなされたのは、小生が生まれた日の75年前のことということだ。そう考えてみると、すぐ近い歴史だという実感がわいてくる。
もし150年前に生まれていて、一大歴史転換期の中にいたら、何かをなし得ただろうか。いち早く新撰組に襲われていたかも。

さて今年は、トランプ占いによると、トランプの切り方によっては激動の時代に入る予測もある。何かが起こるのだろうか。 

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「おとし玉駆け引き」

2017年01月05日 | 家族・孫話

                           

親元から遠く離れて、高校寮生活を送る孫兄ちゃんは、冬休みに入ったらすぐに長野県にスキー合宿に出かけた。
中2のカー君、弟の悠雅君は、両親と共にふっ休みに入ったらすぐに、北海道ニセコにスキーに出かけた。
その時にしっかりの、というほどでもないが、ジジババがしてやれる程度の小遣いを渡した。

そして迎えたお正月。暮れの小遣いとは別におとし玉を渡さねばならない。
あれこれあって未だ全員が揃っていないので、おとし玉というポチ袋はまだ誰にも渡していない。
近々倅一家も娘一家も、高校の兄ちゃんを除いて全員が集まって、改めてのお正月食事会となるので、その時におとし玉を渡すことになる。

小学1年の悠雅君が「のんちゃんにはいくら上げるん?」と盛んに尋ねる。
いとこである3歳半の希さんのおとし玉がいくらなのか気になって仕方がない。「のんちゃんはまだ小さいから少なくていいよ」と。
その言葉の裏には「自分は小学生なのだからのんちゃんよりは多くちょうだい」という意図がありあり。
「のんちゃんはいくらにしようかねー」「100円、いいや300円、やっぱり500円かね」と、相場を口にする。

ライバル意識と先輩意識が重なって、おとし玉が同額では納得いかないのだろう。
「悠雅君はいくら欲しいの?」「オレはね~ …… 」なかなか金額は言わない。そして「あっちでは3000円もらったよ」という。
あっちとは、大みそかから3日間お泊りしたお父さんの実家である。「エッ?3000円も?」「そりゃ無理無理」
そっけなく答えておいたが、小学1年生に3000円は多いよな~ それともこちらがけち臭いのかな~。

あんなに小さいころから、駆け引きの術を覚えて、これから先いろんな場面で実戦に使うのだろうか。
実際にお札を渡すと、まだまだ使い道が解らなくて「お母さんハイ」なのに、欲の皮だけは突っ張っている。

それにしても大いに物入りなお正月ではある。いつになったらもらえる立場になるんじゃろう。

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「信仰のお山から」

2017年01月04日 | 季節の移ろい・出来事

 
     信仰の山「阿品弥山」から見下ろす雲海          遠くの山と肩を並べる高さまで登ったのかな~

正月4日は、岩国の信仰のお山とも言われる「阿品弥山」の例大祭、つまりご縁日である。
これまで4回登ってきた。今年で5回目のお弥山詣で。景色バッチリ、気持ちスッキリ、爽やかな三社詣りとなった。

これまでの4回は、急峻な山道を、エッチラオッチラ青息吐息、汗を吹き出しながら歩いて登ってきた。
麓までクルマで行けば、登山道そのものの距離は250mそこそこである。が、なんせ昔からの獣道。這うようにして登る個所もあり、優に1時間はかかる。元気盛りの中学生なら30分か35分だという。

このところの運動不足、それに急な山登りの準備不足もあって、今年はクルマで上がることにした。
これまでとは違って、汗もかかずに頂上に着く後ろめたさもあったが、結果的には「阿品弥山」をPRする役割を持って登るのだから、
と勝手な言い訳をして、友が出迎えてくれる長楽寺をはじめ、赤瀧神社、日宛神社をゆっくりと巡った。

「クルマで来るのなら、離合が厳しい狭い道なので、早めに来た方がいいよ」という友の言葉を守って早めに出発。
途中で、なんとも美しい雲海が見えて来た。「写真を撮りたい」と思ってもクルマを停めるスペースがない。
「雲海よ消えないでおくれ」。祈りながら頂上へ、一目散に眼下が見下ろせる場所へ。かつがつ間に合った。
一人の目に収めるにはもったいない素敵なロケーション。消えかかった雲海ではあるが、お裾分けをどうぞ。

さて頂上におわす三社は、ともにそれぞれのの信仰の象徴として、地元の人に守られた来たということだった。
人口の減少と高齢化は、こういった田舎のお寺や神社を守り通すには、エネルギーが不足がちとなる。
千年の昔から修験者の修練のお山であったというこの阿品弥山でさえ、存続が難しいと、世話人代表は頭を抱えておられた。
どうすりゃいいの? 答えが見つからない。

地方創生という言葉をよく聞くが、企業を誘致して雇用を安定させる以外に、本当の地方創生はないんじゃないの?
信仰のお山三社詣での話がとんだ方向に行ってしまった。登りも下りも道は間違えなかったのに……。

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「穏やか初詣」

2017年01月02日 | 季節の移ろい・出来事

     
         ヨッコラショッ、石段を登って              賑わう神社 

元日、二日と、絵に描いたような穏やかで暖かい陽ざしに恵まれた。孫たちのいないチャンスを逃さず(笑)初詣に出かけた。
見上げる石段の向こうに、同級生が宮司を勤めていた昔懐かしい椎尾神社がある。
氏神様として毎年初詣に、節目のお祓いなどにお詣りしている。

年々参詣客が増える感じのこの神社。亡き同級生も奥都城(おくつき)の下で微笑んでいるかもしれない。
そこで、下賤ながら一句川柳が浮かんだ。
   ❝ 初もうで 禰宜(ねぎ)も坊主も 恵比寿顔 ” センスのない句だな~と自覚している。お正月に免じて許されて……。

     

神社の大鳥居近くから見渡す視線の彼方には、孤高の威厳を保ちながら岩国城がそびえている。
春夏秋冬、季節を問わず、ここからの眺めは、岩国城に秘められた遥かな歴史を思い出させてくれる何かがある。

次に訪れるのが、吉香公園内におわす吉香神社、そして、白山ひめ神社のいわゆる近場の三社詣で。
その帰り道、吉香公園を歩いていると、真っ白い清楚な花が目に留まった。
小粒ながら、白い清楚な花は紛れもない冬桜である。思わぬ花都の出会いは初詣客を楽しませていた。

そこでまた一句。 ❝ 初もうで いろどり添える ふゆざくら ”  まあまあかな? 見たまんまだね~
まあこんな調子で、今年もお手柔らかにお付き合いください。

 

 

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「ご来光、2017」

2017年01月01日 | 季節の移ろい・出来事

                   
                               2017(平成29)年元朝 瀬戸のご来光

明けまして お目出とうございます
  本年もどうぞごひいきに よろしくお願い申し上げます

暖かくて風もない、殊のほか穏やかな元朝を迎えた新年。
向こう一年が、この日のように波風のない平穏な日々であることを願いたいものである。
昨年から、あそこか、ここか、撮影アングルを探していて、ここぞ!と決めた場所へ出かけて撮った「ご来光・初日の出」

♪♪ 瀬戸の内海並みさえ静か~ ♪ と歌われる通り、鏡のような水平線から昇る太陽の見事さ。
実物はこれよりもっともっと美しく、真っ赤な太陽が少し顔を見せただけで、キュッと胸が締まる荘厳ささえ覚える。
写真の腕前がイマイチなので、全ての状況をお見せ出来ない面映ゆさはあるが、まあとくとご覧あれ。

いよいよ後期高齢者の仲間入り間近。
運転免許証の有効期間も、今まで5年かであったのに3年間に短縮される。
大晦日の夕方7時、NHKトップニュースが、他にニュースはないのかいと思わせる様な、立体駐車場からのクルマ転落で
3人死亡。などという暗く落ち込む映像が長々と流される。

それほどまでに、アクセルとブレーキを踏み違えるような事故が後を絶たない状況では、高齢者の運転がやり玉にあがることが多い。そこんところを今一度意識して、交「通事故を起こさないこと」を今年の第一目標に掲げよう。

ということで、健康と無事故に注意を払うこの一年、またよろしくお付き合いください。

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