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巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

認知症の母の介護

2011年10月05日 21時31分24秒 | 思考空間

 母は父が亡くなった後も、一人で住んでいた。ところが、出張のついでに寄ってみると、驚いたことに魂の抜けたような感情のない表情をしていた。これは人間と言うか人格と言うか、何かが壊れたなと思った。近くに家を持つ弟は老人ホームに入れるための準備を進めていた。私は反対した。幸い、母が住めるよう2世帯住宅にしてあったので、連れてくることにした。

 既に認知症が進んでいた。80歳を超える老人の住居を変えることは極めて難しい。弟が相談した医者も大反対したようだ。家内と用意周到の作戦を立てて、何とか連れてきたが、翌日、もう長居したから帰ると言う。不満たらたらだし。こちらは会社を立ち上げている途中で余裕が無い。行き詰まった。

 親しい親類に数日あずかってもらい、それで少しは時間を稼いだ。デイケアサービスに行かせようとするが、「追い出そうとするのか」と不満を言う。ひどい時は1時間ぐらいかかって、やっとデイケアの車に乗ってもらう。デイケアからクレームが入る。

 財布がなくなったと言いだす。色々無くなる。しかし、おばさんの報告でどこかにしまって、しまったこと自体を忘れていると聞いていた。家族が泥棒にされてしまう。全員で、探し回るが簡単には見つからない。何かの拍子に出てくることが分かってきた。

 広島の親類は何故か、みな認知症の母親、父親の問題で苦労していた。ただ事ではない。何でも忘れるから、持ち物がが無くなったと怒り出す。周りが泥棒になるのは当たり前。徘徊して行方不明になり、車で探し回り何とか見つけたら血がだらだらで歩いていたなど、苦労話はつきない。鍵をかけるとそれを壊して飛び出してしまう。

 うちの母は家内を説得して、夕食だけでも一緒にした。最初の晩、母はがつがつ、10代の若者のように全部平らげた。食べていないことを忘れて栄養失調になっていた。2回ほど救急車を呼んだことが有ったらしいが、要は栄養失調。ブドウ糖を点滴して返されたらしい。

 母は息子の名前すら言えないこともあった。やせ細って、立っていても足が震えていたが、今は太っている。顔は表情が無く非常にうつろだったが、こちらに来て、1か月で笑い顔が見えた。半年ぐらい経ったころだったか、石か何かを飛び越えた。言葉は、家内によると、殆ど単語を並べた程度だったのが、普通の会話が喋べれるようになった。

 ただ、良いことばかりではない。介護度は1から3まで進み、重傷へと向かっている。目の障害が明らかになった。

 話があべこべになったが、何故認知症になったか。父が亡くなったことも大きいが、誰かが泥棒に入ると勝手に考え始めたらしい。そのためか、夜は重要書類を抱いてまんじりともせず、朝を迎える。昼は昼で、追い立てられるように働く。寝ていない。強度のストレスが続いて精神状態がおかしくなった。私は最初母の言い分を半分信用していたが、おばさん(母の妹)が数日一緒に住んで、状況が分かった。

 母が来て以来、私が毎日、朝食を作って届けている。色々なことが有って、大変だが、老いた親の面倒を見るのは私のポリシーであり、自分の時に子供に求めるものではない。どう考えても今までより、今からの方が大変だろうとは、親類からも言われているし、そう思う。

コメント
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