ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

子どもにも大人にも勧めたい 「こども六法」(山崎聡一郎著;弘文堂)

2024-09-25 21:04:04 | 読む

これ、子ども向けにいい本だな、そう思った。

その本の名前を「こども六法」という。

 

著者の山崎聡一郎氏は、いじめや虐待に悩む子どもたちが「法律を知ることで自分を強くする」ことができるようにと願い、この本を作ったといっている。

著者自身が、小学校の高学年でひどいいじめにあい悩んでいた時、授業で「日本国憲法」に「人権」というものがあると知ったという。

その後、中学の図書館で読んだ六法全書の「刑法」を読み、「もっと前から知っておきたかった。知らないから自分で自分を守れなかった」と後悔したのだそうだ。

 

前書きでは、子どもたち向けにこう書いている。 

 この本では、たくさんある法律の中で、子どもたちにも関係のある法律、知っておいた方がよい法律をピックアップしました。ただ、法律は、ふだん聞きなれない難しい言葉で書かれています。そこで、その法律の文章を小学校高学年以上の人が読めるように、なるべくふだん使っている言葉に近づけました。

 この本の使い方はあなたの自由です。この本を書いたわたしとしては、すみずみまで読み込んでほしいところですが、おすすめの読み方は、まず10分くらいでパラパラと読み通すことです。そして、「おもしろいな」と思った部分をじっくり読む。または…(中略)。

 この本で身につけた知識は、いざというときに、きっとあなたのことを助けてくれるでしょう。

 

そういうなら、とパラパラとめくって読んでみた。

すぐさま、結構引き付けられて、読み進んでいった。

 

左側には、子ども向けに分かりやすいテーマが書いてある。

例えば、このページ。

気軽に『死ね』って言ってない?」と書いてあり、その下にはわざと動物にして問題場面を絵で表している。

そして、その下に、具体的な法律を載せる。ここでは、

第202条 自殺関与及び同意殺人

人に死ぬことをすすめたり、手伝ったりして自殺させた人、

または本人に頼まれたり、殺してもいいと同意を得たりし

て殺した人は、6か月以上7年以下の懲役か禁錮とします。

 

そして右ページには、それに関係した内容を載せている。

例えば、「199条 殺人」とか「204条 傷害」とか「205条 傷害致死」などの罪の内容とそれに伴う罰則が、子どもにもわかりやすいように具体的に述べられている。

 

次のページには、「ケガをさせなくても暴行になるよ」として、

第208条 暴行」を扱っているが、関連した内容で「206条 現場助勢」「207条 同時傷害の特例」「209条 過失傷害」「210条 過失致死」「211条 業務上過失致死傷等」などが並んでいる。

子どもに分かりやすいということは、大人も納得できる表現内容だ。

難しい表現でないので、大人がきちんと読んで理解しておくということも大事なことだよな、と思って、次々読んでいった私であった。

 

なお、「六法」というタイトルなのだが、本書では子ども向けに刑法・刑事訴訟法・少年法・民法・民事訴訟法・憲法・いじめ防止対策推進法の7つの法律が紹介されている。

困っている子どもを法律で助ける本、ということでの選択となったようだ。

 

大人もよく知らない法律の世界。

子どもではなくても、大人が読んで知っておくべき内容が多い本であった。

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「西遊記(1)おれは不死身の孫悟空」(作・呉承恩、文・吉本直志郎;ポプラ社文庫)

2024-09-17 20:06:45 | 読む

学校が 好き 好き 好き

勉強が 好き 好き

おそうじ 好き 好き 好き

留守番 好き 好き

そんなやつが 悟空の大冒険をいっぺん見たら

びっくりして ひっくりかえってドイン…(以下略)

 

小学生の頃、「悟空の大冒険」というアニメがテレビ放送されていた。

「鉄腕アトム」の後番組だったから、それなりに楽しんでよく見た覚えがある。

タイトルから、それは「西遊記」のアレンジ版だということが分かる。

冒頭の歌詞は、エンディングに流れていた歌。

自分でもまだ覚えていて歌えることに驚いてしまう。

子どもの頃のすり込みは強いものだね。

 

「西遊記」の歌といえば、そんなアニメのエンディングよりも、これだろうという人が多いだろう。

Godiegoが歌った「ガンダーラ」だ。

私がまだ学生だった時代のヒット曲。

この歌のヒットによって、「ゴダイゴ」の名前が知られるようになった。

それは、テレビドラマ「西遊記」の主題歌だったのだが、ドラマも歌も両方ともヒットしたのだった。

なにしろ、登場人物を演じた俳優陣が個性的だった。

主役の孫悟空が堺正章、三蔵法師が女優の夏目雅子、そのお付きの者に猪八戒が西田敏行、

沙悟浄が岸部シローだった。

ほかにも、観世音菩薩が勝呂誉、釈迦如来は高峰三枝子、太宗皇帝が中村敦夫と、不思議な顔ぶれでもあった。

それが当たっていたのも、人気の秘密だろう。

ただ、いくら俳優陣が豪華でも、内容が面白くなければ,ウケなかっただろう。

やっぱりもともとの原作、「西遊記」が面白くなければ、「悟空の大冒険」もこのドラマ「西遊記」も人気作品にはならなかったと思う。

 

このたび、小学校時代に読んだ「西遊記」を久々に読んでみた。

今、アラフォーとなった娘が、いろいろと片付けをしているのだが、子ども時代の本も片付けている。

その中の1冊に、本書「西遊記(1)」があった。

児童向けの本として、ポプラ社文庫で出ていた。

今はもう廃本だろうけれど…。

そうだったなあ。現職時代は、ポプラ社文庫の本を学級の児童向けに面白そうな本を次々と買って教室に置いておいたのだったなあ、などと思い出した。

「西遊記」かあ…と思ったら、ここまで書いてきたように、「悟空の大冒険」やドラマ「西遊記」のことを思い出した。

どんな話があるのか、少し思い出してみたくなった。

「西遊記」なんて読むのは、子どものとき以来だなあ…と思いながら、児童書なので比較的短い時間で読み終えることができた。

なかなか突拍子のない話ばかり出てくるので、想像力や創造力がないと、話についていけなくなる。

そのようなソウゾウ力(想像力・創造力)があれば、ワクワクドキドキしながら楽しく読めるんだなあ。

それが「西遊記」という話なのだということを再確認した。

 

家に置いてあったのは第1巻だけであったので、続きはなく、この読書はおしまいにする。

でも、西遊記には心おどる楽しさがあることを、もう一度確かめた思いだよ。

手塚アニメから、ゴダイゴ、夏目雅子まで思い出しながら、ね。

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「人は見た目が9割」(竹内一郎著;新潮新書)は、日本文化論の佳作

2024-08-23 19:51:50 | 読む

2005年に出た本、もうそんなに前になってしまう本だったか。

当時は、書名の「見た目が9割」というフレーズと、帯の「理屈はルックスに勝てない」を見ただけで、読む気は失せていた。

「見た目がよければいい」なんて容姿の話なんだろうか、興味ないなあ、と思っていた。

 

今回、本書を手に取る機会があって、読んでみた。

外見や容姿の話かと思ったら全然違っていた。

コミュニケーションの話だった。

特に、日本人独特のコミュニケーションに関するものだったので、私には非常に興味があった。

筆者は、言葉以外の情報すべてをひっくるめて、「見た目」と捉えて論を展開していた。

著者が最初に主張していたのは、「言語以外の伝達」にもっと目を向けるべきだということだった。

それは、話の内容より、誰が言ったかの方が、説得力に違いがあったりするからだ。

だから、「話し方」を勉強するより、一生使える「見栄え」を身につけた方が得、と主張する。

その、言葉によらないコミュニケーションを「非言語(ノン・バーバル)コミュニケーション」と呼び、そのコミュニケーション力を高めようというわけだ。

 

筆者は、マンガ家でもあり、演劇にもかかわっている。

それらの経験から、心理学、社会学からマンガ、演劇など、様々な知識を駆使して、日本人のための「非言語コミュニケーション」を説いている。

 

つま先の向きが、相手の方を向いていれば関心を持ってくれている証拠。

あさっての方向を向けば、興味がないということ。

言葉で嘘をつくのは簡単だけど、その行動や仕草で本心が分かる。

また、髭をはやしたりサングラスをかけたりするのは、自信がない証拠とも言っている。こういう具体例が多いのは説得力がある。

 

本書の中には、マンガにおける表現の効果的な技法についても、イラストを交えながら述べているのが面白い。

マンガの表現技法を飛躍的に発展させたのは手塚治虫、大友克洋、水木しげる、白土三平らとしてその手法を紹介したり、人物の内面を背景で表現するために、スクリーントーンを使ったりしていることを具体的に示している。

なるほど、日本のマンガのレベルが高いわけだ。

 

後半には、日本人のノンバーバル・コミュニケーションの大切さを述べているが、そこはまぎれもなく日本人論・日本文化論になっていて、興味深かった。

私の大学で書いた卒論は、「日本語と日本文化」に関するものだったから、重なる部分があって、懐かしく思い起こしながら読んでいた。

特に、文化人類学者の石田栄一郎氏の説が紹介された辺りはそうだった。

懐かしいな、氏の「日本文化論」読んで、参考にしたのは。

狩猟採集の文化から、弥生式農耕文化で定住するようになった時代から、日本人には語らずに察する文化が形成されていったというのだったなあ、などと思い起こしていた。

そんな日本人の文化の特徴として、筆者は、

「語らぬ」文化、「わからせぬ」文化、「いたわる」文化、「ひかえる」文化、「修める」文化、「ささやかな」文化、「流れる」文化

などを挙げ、日本人は無口な中でおしゃべり、つまりいろいろな伝え方をしているのだと説いている。

やんわりとした伝達の表現例に、京都にはぶぶ漬けを出して「そろそろお引き取りを」というサインを表す習慣もあるとしている。

 

コミュニケーションと言えば、言語によるものと考えがちだが、日本では単に弁舌が立つ人がコミュニケーション力が高いとは言われない。

幅広いノンバーバルコミュニケーションを操れる人ほど、コミュニケーション力が高いと言えるのだ。

日本人の表現力、日本人らしい表現力、日本の中で生きていくための表現力、そういうものがあることを再認識した。

20年近く前に出た本だったが、売れた理由がある、日本文化論の佳作。

意外と面白い1冊だった。

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「教師が教えない人になれる時間」(青木善治著;東洋館出版社)を読む

2024-08-04 22:17:58 | 読む

「教師が教えない人になれる時間」。

教育の専門書なのに、書名からして面白い。

「教師」という言葉には、「教える人」の意味がある。

その「教師」が「教えない人」になれる、とはどういう意味?

教えることをサボって得しようということか?

…なんて考える人がいてもおかしくはないだろう。

 

でも、その意味が分かる人は分かるはずだ。

意味が分かる教師は、きっと心ある教師だろうと思う。

ちなみに、帯には次のような方におすすめと書いてある。

 

本書は、表紙に「15分間の『朝鑑賞』が子どもの自己肯定感を育む」とある。

どういうことかというと、月に1,2度でいいから、15分間の朝学習の時間に、学級で美術作品を鑑賞することによって、子どもたちの力も、教師の力もつけていこうということなのだ。

そのために、「対話型鑑賞」の実施と、教師がファシリテーターに徹するということが求められる。

 

子どもたちの表現力や思考力は、教師が教え込んでも育つものではない。

では、教師にどのような配慮や役割が求められるのか。

その大切なものが、本書の実践の中に見ることができる。

 

著者の青木善治氏は、現在滋賀大学大学院教育学研究科高度教職実践専攻(教職大学院)教授である。

その前には、校長など新潟県の公立小学校の経験もある方である。

私も、かつて十数年前に一緒に勤めた経験がある。

物腰も頭脳も柔らかさを感じさせる人だった。

図画工作や美術を専門としていたが、当時よく実践論文などを書いていた方であった。

そのせいか、本書はかたい内容ではなく読みやすく分かりやすいのは、いかにも氏らしい。

「質問を投げかけてから、10秒は待つ」

「否定する言葉を使わない」

「オウム返しや言い換えをする(『〇〇ということですね』など)」

「事実と意見を分ける」

など、教師が「教えない人になる」ために大事なポイントが具体的である。

 

朝の短い時間の実践によって、

子どもたちに自分の思いを自由に表現する力をつける

みとめ合う力をつける

自己肯定感をつける

などができるということ。

そして何より教師の「子どもを支える力」「子どもの力を引き出す力」が育つことが期待できる。

すでに現職から離れて遠くなってしまったが、読みやすくいい本だと思った。

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「EPICソニーとその時代」(スージー鈴木著;集英社新書)

2024-07-19 22:11:52 | 読む

BS12の「ザ・カセットテープ・ミュージック」は、80年代の音楽を取り上げて、熱く独断で語り合う番組で、時々見ている。

スージー鈴木氏が、マキタスポーツ氏と2人で語り合う姿は、見ていて本当に音楽が好きな方なんだな、と思っている。

そんなスージー鈴木氏の著書を新書で見つけ、買ってきたのが、この本。

本の帯や表紙カバー裏には、次のような本書の紹介があった。

     

「80年代」と書いて、「EPICソニー」と読む――。

先進的な音楽性により80年代の音楽シーンを席捲したレコード会社「EPICソニー」。

レーベルの個性が見えにくい日本の音楽業界の中で、なぜEPICだけがひと際異彩を放つレーベルとして君臨できたのか?

そして、なぜその煌めきは失われていったのか? 

佐野元春《SOMEDAY》、渡辺美里《My Revolution》、ドリカム《うれしはずかし朝帰り》など名曲の数々を分析する中でレーベルの特異性はもちろん、当時の音楽シーンや「80年代」の時代性が浮かび上がっていく。

佐野元春ロングインタビュー収録。

 

80年代という時代は、私にとっては、社会人になったばかりの年代だったので、仕事をこなしていくのに必死で(?)、EPICソニーから出ていた歌については、あまり多く知らなかった。

だが、著者のスージー氏自身が高校生であったり大学生であった時代、本当に好んでよく聴いていたのが、EPICソニーレーベルの音楽だった。

その音楽をこよなく愛していたからこそ、追跡して書かれた本だということがよく分かった。

 

第1章では、EPICソニーの「音楽」。

大沢誉志幸、ラッツ&スター、大江千里、岡村靖幸、渡辺美里、BARBEE BOYSそして佐野元春その他の人たちの佳曲について、スージー氏独自の解釈を加えて紹介していく。

「そして僕は途方に暮れる」「め組の人」「目を閉じておいでよ」「SOMEDAY」ら、知っている曲も結構あった。

ほほう、そんな人たちのそんな曲には、そんなエピソードがあったのか。

いい歌を歌っていたんだね、ということを改めて知った感じ。

 

第2章では、EPICソニーの「時代」。

EPICソニーは、どのように始まったのかや、中心になっていたリーダーだった人の話など、その歴史が述べられる。

歌謡曲の受賞ダービーがいやで、逃げ出したかった、というのがきっかけというのは興味深い。

 

そして、面白いのは、EPICソニーの「意味」として、その素晴らしかった存在理由を次々述べているところだ。

EPICソニーとは「ロック」だった

EPICソニーとは「映像」だった

EPICソニーとは「タイアップ」だった

EPICソニーとは「東京」だった

つまるところ、EPICソニーとは「佐野元春」だった

これらの解釈が、スージー氏らしくていい。

なるほど、この文章たちが、この本の肝なのだと思った。

 

第3章は、EPICソニーの「人」

EPICソニーで重要な役割を果たした2人へのインタビュー。

小坂洋二氏そして佐野元春氏への貴重なインタビューで当時のことを掘り下げていく。

 

今までEPICソニーをよく知らなかった私でも興味深く読めた。

「ロック」を目指して、独自の戦略で意欲的に取り組み、当時音楽界をリードしたEPICソニー。

なるほどなあ。

歌好きな人なら、面白く読めるだろう。

また、1980年代に若い時代を過ごし、歌が好きでよく聴いていた人たちなら、懐かしさだけでなく初めて知ったエピソードも多く、さらに楽しめることだろうな。

著者のスージーさんが、最も楽しんでこの本を作ったような気がした。

 

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44年ぶりの再読「こころ」(上・下)(瀬戸内晴美著;講談社)

2024-07-04 21:23:11 | 読む

車庫の段ボール箱に詰め込んでおいた本が、2年前の出水で濡れてしまった。

濡れた本のほとんどは捨ててしまったが、数冊捨てられない本があって、何日か陽に当てて乾かして残したものもあった。

瀬戸内晴美の「こころ」という、上下巻ある本も、その一つだった。

 

この作品は、私の学生時代に、読売新聞で連載されていた。

「こころ」という名の小説は、夏目漱石の作品の中にもあった。

だが、それとどのようなかかわりがあるのかは知らない。

作者のみぞ知るところではある。

連載当時、読売新聞を購読していた私は、珍しく毎回この小説を読んでいた。

それなりに面白さを感じたのだろう。

だから、単行本化されたときには、購入して読んでみる気になったのだろう。

上巻、下巻の2冊で発行されたこの本を読み終えたのは、巻末のメモによると、上巻が1980年の9月21日、下巻が9月23日であった。

当時、社会人1年生だった私が、一気読みしたことがわかる。

 

だけど、今、その小説の内容をまったく覚えていないのである。

濡れた本を乾かしてまで取っておくことにしたのは、かつての自分が一気読みをしたのはどうしてなのかなあ、その面白さを知りたいと思ったからだった。

だけど、いざ読もうという気持ちにはなかなかなれなくて、それから2年もたってしまった。

バーコードもついていない古い本だし、汚れてしまった本だから、処分しよう。

でも、その前にもう一度読んでみよう、と44年ぶりの再読を決心したのだった。

 

いざ読んでみると、上巻も下巻も320~330ページの厚みがあった。

おまけに、案外文字がびっしり並んだページも多かった。

とてもじゃないが、かつてのように一気読みをする気力はなく、読んでは休みをくり返して2週間近くかけてようやく読み終えた。

 

どんな話なのかを紹介する帯に書かれている文章を紹介する。

【上巻;表】

愛することの真実を!

人はみな他人との愛の関係に生きる。ままならぬ「こころ」をめぐって俗情のうちに…。

【上巻:裏】

子供は成長すれば家を出て行く。長男はアメリカに長期留学中、次男は受験に失敗して流浪の旅へ、長女は妻子ある男と恋愛中のアパート暮らし。こういう失格家庭で、家族は互いに言うに言われぬ思いやりを示す。淋しく生きねばならぬ故に、絆の大切さを知る。

 

2つの家庭で登場する人物たち…結婚する前の若者である子どもたち一人一人や、その親たち―特に母親—…の行動や心情を描きながら、ストーリーが展開する。

これをかつて読んでいた頃は、私は、登場する若者たちと同年代であった。

その母親や父親から押し付けられる価値観は、たしかに私も感じたものだった。

それは、当時父親より意外と母親の方が特に強かった。

だから、小説では、既成の道徳観・価値観とぶつかる、登場人物たちの自由さに喝采を送りたいところがあった。

書かれてある当時の風俗や常識が、今では想像できないものもあり、読む方には懐かしく感じられた。

出てくる結婚観や喫煙シーンなどは、時代が変わったと思わされた。

 

再び、帯の紹介文。

【下巻:表】

新しい家庭小説の誕生!

切れてしまった家族のつながり。それぞれ社会に直面して傷つくことで初めて愛の光景が出現。

【下巻:裏】

ここには現代の家庭が持つあらゆる問題がある。夫の浮気に悩む妻、子供に苦労する母親。もっとも今様の風俗を描きながら、いずれの場合にも求めてやまないものとして「こころ」がある。それは、人が生きていくうえでの、闇の向こうのかすかな明るみを確信させる。

 

今改めて帯の紹介文の「こころ」の入った文章を見て、そういうふうに読む小説だったのだな、と思う。

今回再読しながら、登場人物たちの浮気や不倫の行方がどう展開するのか、大学受験に連続して失敗した若者がどんな道を進むのか、そんなところは気になった。

だが、読み終わって、意外性がありながらも、結果的には物足りない終わり方だと感じた。

若いときには、どうして面白く一気読みしたのか、今となってはわからない。

とりあえず上下巻の帯の文章から、「そうか。みな『こころ』を求めていたのか」と気付き、物足りなさはあるが、納得することにした。

 

著者はその後出家して、「寂聴さん」になった。

「瀬戸内晴美」の時代に出されたこの本にも、寺に嫁いだ女性や出家しようとする若者などが登場する。

仏教に多する著者の造詣の深さを感じ、その後の出家、寂聴さん誕生も分かるような気がした。

 

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「エルマーのぼうけん(3部作)」(ルース・S・ガネット著;福音館書店)を読む

2024-06-22 13:17:41 | 読む

先日、アメリカの児童文学作家ルース・スタイルス・ガネットさんが日死去したというニュースが新聞に小さく載っていた。

100歳だったそうだ。

「児童文学作家ルース・スタイルス・ガネットさん」と言われても、ピンとこなかった。

だが、児童書「エルマーのぼうけん」の作者だと知って、ああ、そうだったのか、と思った。

「エルマーのぼうけん」は、どうぶつ島にとらわれたりゅうの子を助けに行く、9才の男の子エルマーの冒険物語だ。

この本は、1948年に出版されたそうだが、私が子どもの頃、小学校の図書室にあったと記憶している。

図書室には、「エルマーのぼうけん」だけでなく、「エルマーとりゅう」の本も置いてあったのを覚えている。

だが、このシリーズは3部作で、もう一つ「エルマーと16ぴきのりゅう」もあったのは、記憶に残っていない。

でも、「エルマーのぼうけん」「エルマーとりゅう」の本は好きだったことを覚えている。

 

アメリカでは、1948年から51年にかけて、「エルマーのぼうけん」「エルマーとりゅう」「エルマーと16ぴきのりゅう」の順に出版され、世界的ベストセラーとなった。

日本でも累計780万部を記録したベストセラーなのだが、日本では、1964年初版で福音館書店から出版されていた。

私が小学生になったのは、1963年だったから、その頃新しい本として図書館に入ったばかりだったのだろう。

まさに低学年の頃だし、表紙絵からしても魅力的な本として目に映ったに違いない。

子どもの頃は冒険のお話は大好きだったから、「エルマーのぼうけん」には飛びついたことだろう。

さて、わが家には、30年近く前に、この3部作がセットで買ってあった。

子どものためだったのかもしれないが、大人でも手元に置きたい本だったのかもしれない。

話はすっかり忘れてしまっていたので、このたび順番に読んでみた。

 

9歳の少年エルマーが、家に出入りするねこから、とらわれた竜の子の話を聞き、遠い島まで助けに島に行く。

リュックに入れて持って行ったものが、チューインガムや桃色の棒付きキャンデー2ダースとか、じしゃくやむしめがね6つとか、「クランベリ行き」と書いた大きな袋…など、いちいち物の名前や数などが書かれているのも面白い。

やがて、それらがちゃんと使われるときがきたり、使われるときにはどういうことでいくつ使われるとか、子どもが気にしそうなことにもこだわってストーリーが展開するのは楽しい。

子どもの側に立って話が作られているから、読んでいて楽しいのだ。

 

想像をかきたててくれるのが、挿絵だった。

ふわっとした可愛い絵が多い。

「りゅう」というと、怖いイメージがあるが、エルマーと友だちになるりゅうは、とても愛らしい。

挿絵を描いたのが、作者ルース・S・ガネットの義理の母、ルース・C・ガネットだというのだから、その関係を思うとなんとなくほのぼのした感じにもなる。

 

様々な困難にあうたびに、エルマーは機転を利かして乗り越えていく。

自らの知恵を使い、手元の道具を生かして。

それは、相手を傷つけ痛めつけることなく。

そんなところが、子どもだけでなく大人受けするところなのかもしれない。

 

楽しい物語を与えてくれたことに感謝し、100歳で亡くなられたルース・S・ガネット氏の冥福を祈ります。

合掌。

 

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「となりの革命農家」(黒野伸一著;廣済堂出版)を読む ~「脱限界集落株式会社」(小学館)に続いて本書、そして「限界集落株式会社」(小学館)と黒野伸一氏の農業小説を3冊読む~

2024-06-08 21:41:19 | 読む

『脱限界集落株式会社』を読んでから、その前編に当たる『限界集落株式会社』を借りて読もうと思ったら、残念ながら貸し出し中。

そこで借りてきたのが、同じ黒野伸一さんの、「となりの革命農家」(廣済堂出版)。

何をやっても長続きしなかった和也が、夫の遺志を継いで有機農業にチャレンジする春菜と出会って、やがて2人で本格的に有機野菜作りに取り組み始める。

だが、しょせん有機農業の素人同士。

うまくはいかない。

だが、失敗し続けても有機農業にこだわって続けて工夫するうちに、少しずつ有機野菜づくりが軌道に乗り始める。

 

そんな2人のほかに重要な登場人物が、左遷されてその地域にある子会社アグリコジャパンにやってきた理保子。

彼女は、今まで通りの慣行農業とアグリパーク構想で、世界に勝てる農業を立ち上げ、本社に返り咲きをねらおうとする。

そうすることで、左遷にかかわった人たちを見返してやりたい、と思っていたのだ。

 

最初は、和也たちと理保子ではまったく方向性が違う農業を目指していた。

野菜の味などどうでもよいとしていた理保子だったが、やがて地域の農地が買収されそうになり、裏に大きな権力が隠れていることを知る。

地域の農業・農地を守るということで、地域の人々や和也たちとも結託して取り組むようになる。

 

前に読んだ「脱限界集落株式会社」もそうだったのだけど、この物語も、当初の主人公の活躍から、だんだん舞台がずれていき、金のない弱者対金のある強者の戦いになっていく。

登場人物は魅力的なんだけど、その戦いが中心になってしまうのが残念だ。

「となりの革命農家」というタイトルなんだから、有機農業にしても、新しい農業経営にしても、もう少しその難しさをえがいてほしかったなあ、と思う。

 

まあ、最後に、知恵を絞ってまとまってがんばった弱者が勝利する話なので、まるで水戸黄門を見ているような気分になれるのだが。

話の最後には、日本の農業のために、その地域に骨を埋める覚悟をしてとどまり、そのための経営的な仕事を選択した理保子が、格好よく好ましい。

 

気に入ったのは、

“有機農業は野菜が生育するのを人間が手助けしてやる農法。だから主役はあくまでも野菜“

ということに和也たちが気づいて、おいしい有機野菜を育てることができるようになったところ。

そうやって育てた有機野菜のおいしさに、理保子も目覚めていくのはほっとしたところだった。

 

本書を読了後、出発点の(?)「限界集落株式会社」も借りて読むことができた。

「限界集落株式会社」「脱限界集落株式会社」「となりの革命農家」。

3冊の本を読んで、著者の黒野伸一さんは、こうして農業でがんばる若者たちを主人公にして、痛快な小説を書いて、農業に携わる人たちに元気を与える作家なのだなあ、と実感した。

話がいずれもハッピーエンドになるのはちょっぴり安易かもしれないが、3冊とも読後感は爽やかである。

読んで心がほっとする作品、楽しかった。

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「物語の種」(有川ひろ著;幻冬舎) …10編の短編小説を楽しむ

2024-06-05 09:57:35 | 読む

COVID-19感染症禍の息苦しい期間に、読者から「物語の種」になりそうなものを募集し、そこから芽吹いた物語をネット上で発表するということに著者はチャレンジした。

本書は、そうやって10の種から生まれた10編の短編小説集。

 

1つ1つの話の終わりに、どんな物語の種だったのかも明かしている。

読者から提供を受けたものばかりでなく、担当編集者から、というのもあった。

種の種類には、お手紙あり、写真(ヤモリとか薔薇とか)あり、質問のような言葉あり(「胡瓜と白菜どっちが好き?」)、連続した単語あり(宝塚 双眼鏡 顔が良い 恥ずかしい 見れない)で、確かにいろいろな種をもとにしていた。

そういった種をもとに、想像を膨らませて小説を創造するのだから、やっぱりすごいわ。

しかも、登場するのは、私たちのように何気ない日常生活を送っていてその辺にいそうな人物が登場したり、日常生活の中でありそうなエピソードばかりをうまく使って、意外性のある物語を作っていた。

さすがは人気作家の有川ひろさんだと、ひたすら感心した。

 

そんななかで、本書で目を引いたのが、「宝塚愛」である。

短編集10篇のうち、3編も宝塚歌劇団が深く関わる短編が入っている。

その中で、「Mr.ブルー」と「恥ずかしくて見れない」という作品はつながっていて、続編に当たるとも言えそうだ。

登場する人物も、意外なほど宝塚にハマっているのだが、そのハマり具合がなんとも楽しい。

しかも、出てくるスターには、きっとモデルとなるスターが実在するのだろうな、そうでなければここまで詳しく書けないよな、なんて考えてしまった。

きっと、この感染症禍に有川さんも宝塚にどっぷりハマっていたのではないか、と思わせるものだった。

 

10編の物語は、短編なので読みやすかった。

それぞれの話を読み、それがどんな「種」から芽吹いたのかを1つ1つ知ることによって、日常の中で一人一人にさまざまな物語があるのだな、と思った。

きっと、自分の中や周辺にも、「物語の種」はたくさん存在しているのだろう。

だけど、その種が芽吹いていたり、実にまでなっていることに、案外気づいていないのかもしれないな。

 

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「脱・限界集落株式会社」(黒野伸一著;小学館)を読む

2024-05-27 20:05:04 | 読む

移住の一番の理由が住まいの提供があって、安価だということ。
そんなことで地方に移り住んだ、やる気があるとは言えない若者が、少しずつ変わっていく、というか成長していく。
そこには、太っ腹なじいさんやばあさんがなかなかの役割を果たしている。
そんな話で始まっていくが、やがて話の中心は、巨大資本をバックにした大型ショッピングモールと地元商店街との、駅前シャッター商店街の再開発をめぐる対決に移っていく。

主人公の一人である若者健太が、地方・田舎の人々とふれ合うことによって、商店街を盛り上げながら、少しずつ成長していく。
そこにはちょっぴり恋愛の要素も入るのだが、そういうことがまたいいアクセントになっている。

さて、巨大資本をバックにした大型ショッピングモール対さびれた地元商店街の一部の住民たち。
どうすれば後者が前者に勝てるのだろう、と思いながら読み進めていった。
田舎に住む人間にとって、都会への憧れや便利さは大きい。
大型ショッピングモールには、それがあるからそれを売りにする。

後者が大切にしていくものが、田舎そのもののよさ。
たとえば、農産物の食べ方、活かし方。
たとえば、若者から高齢者まですべての人に対する思いやり。

普通は、大型モールの一人勝ちになる地方が多いのが現実だろう。
最初は、対立の構図から、どうやって力のない者たちが力のある者に対して、逆転して勝っていくのだろうと思いつつ読んでいたが、途中で考えが変わった。
開発を打ち出す大型ショッピングモールも必ずしも悪いところばかりではない。
田舎の人間にはあると便利だし、助かる部分も多い。
だけど、みんながみんな大型モールみたいになる必要もない。
大型モールには出来ないことだってあるのだ。
だから、両立できるようにするのが理想なのだ。
どちらも、キーワードは「人を大事にする」ことなのだ。
そこから外れて行ったとき、破たんを招いてしまうのだ。
本小説は、そんなことを言ってくれているような気がした。

本書は「脱・限界集落株式会社」だったが、その後この話は続編にあたるらしいと知った。
同じ著者が、「限界集落株式会社」という小説を書いていて、それが前編になるようだ。
途中から重要な働きをする人物たちは、その前編でも活躍していたと聞いた。
順番が逆になったが、それでも「脱・限界集落株式会社」は、十分楽しめた。
そのうち、前編に当たる同じ著者の「限界集落株式会社」も読んでみよう。
コメント (2)
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