ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「となりの革命農家」(黒野伸一著;廣済堂出版)を読む ~「脱限界集落株式会社」(小学館)に続いて本書、そして「限界集落株式会社」(小学館)と黒野伸一氏の農業小説を3冊読む~

2024-06-08 21:41:19 | 読む

『脱限界集落株式会社』を読んでから、その前編に当たる『限界集落株式会社』を借りて読もうと思ったら、残念ながら貸し出し中。

そこで借りてきたのが、同じ黒野伸一さんの、「となりの革命農家」(廣済堂出版)。

何をやっても長続きしなかった和也が、夫の遺志を継いで有機農業にチャレンジする春菜と出会って、やがて2人で本格的に有機野菜作りに取り組み始める。

だが、しょせん有機農業の素人同士。

うまくはいかない。

だが、失敗し続けても有機農業にこだわって続けて工夫するうちに、少しずつ有機野菜づくりが軌道に乗り始める。

 

そんな2人のほかに重要な登場人物が、左遷されてその地域にある子会社アグリコジャパンにやってきた理保子。

彼女は、今まで通りの慣行農業とアグリパーク構想で、世界に勝てる農業を立ち上げ、本社に返り咲きをねらおうとする。

そうすることで、左遷にかかわった人たちを見返してやりたい、と思っていたのだ。

 

最初は、和也たちと理保子ではまったく方向性が違う農業を目指していた。

野菜の味などどうでもよいとしていた理保子だったが、やがて地域の農地が買収されそうになり、裏に大きな権力が隠れていることを知る。

地域の農業・農地を守るということで、地域の人々や和也たちとも結託して取り組むようになる。

 

前に読んだ「脱限界集落株式会社」もそうだったのだけど、この物語も、当初の主人公の活躍から、だんだん舞台がずれていき、金のない弱者対金のある強者の戦いになっていく。

登場人物は魅力的なんだけど、その戦いが中心になってしまうのが残念だ。

「となりの革命農家」というタイトルなんだから、有機農業にしても、新しい農業経営にしても、もう少しその難しさをえがいてほしかったなあ、と思う。

 

まあ、最後に、知恵を絞ってまとまってがんばった弱者が勝利する話なので、まるで水戸黄門を見ているような気分になれるのだが。

話の最後には、日本の農業のために、その地域に骨を埋める覚悟をしてとどまり、そのための経営的な仕事を選択した理保子が、格好よく好ましい。

 

気に入ったのは、

“有機農業は野菜が生育するのを人間が手助けしてやる農法。だから主役はあくまでも野菜“

ということに和也たちが気づいて、おいしい有機野菜を育てることができるようになったところ。

そうやって育てた有機野菜のおいしさに、理保子も目覚めていくのはほっとしたところだった。

 

本書を読了後、出発点の(?)「限界集落株式会社」も借りて読むことができた。

「限界集落株式会社」「脱限界集落株式会社」「となりの革命農家」。

3冊の本を読んで、著者の黒野伸一さんは、こうして農業でがんばる若者たちを主人公にして、痛快な小説を書いて、農業に携わる人たちに元気を与える作家なのだなあ、と実感した。

話がいずれもハッピーエンドになるのはちょっぴり安易かもしれないが、3冊とも読後感は爽やかである。

読んで心がほっとする作品、楽しかった。

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「物語の種」(有川ひろ著;幻冬舎) …10編の短編小説を楽しむ

2024-06-05 09:57:35 | 読む

COVID-19感染症禍の息苦しい期間に、読者から「物語の種」になりそうなものを募集し、そこから芽吹いた物語をネット上で発表するということに著者はチャレンジした。

本書は、そうやって10の種から生まれた10編の短編小説集。

 

1つ1つの話の終わりに、どんな物語の種だったのかも明かしている。

読者から提供を受けたものばかりでなく、担当編集者から、というのもあった。

種の種類には、お手紙あり、写真(ヤモリとか薔薇とか)あり、質問のような言葉あり(「胡瓜と白菜どっちが好き?」)、連続した単語あり(宝塚 双眼鏡 顔が良い 恥ずかしい 見れない)で、確かにいろいろな種をもとにしていた。

そういった種をもとに、想像を膨らませて小説を創造するのだから、やっぱりすごいわ。

しかも、登場するのは、私たちのように何気ない日常生活を送っていてその辺にいそうな人物が登場したり、日常生活の中でありそうなエピソードばかりをうまく使って、意外性のある物語を作っていた。

さすがは人気作家の有川ひろさんだと、ひたすら感心した。

 

そんななかで、本書で目を引いたのが、「宝塚愛」である。

短編集10篇のうち、3編も宝塚歌劇団が深く関わる短編が入っている。

その中で、「Mr.ブルー」と「恥ずかしくて見れない」という作品はつながっていて、続編に当たるとも言えそうだ。

登場する人物も、意外なほど宝塚にハマっているのだが、そのハマり具合がなんとも楽しい。

しかも、出てくるスターには、きっとモデルとなるスターが実在するのだろうな、そうでなければここまで詳しく書けないよな、なんて考えてしまった。

きっと、この感染症禍に有川さんも宝塚にどっぷりハマっていたのではないか、と思わせるものだった。

 

10編の物語は、短編なので読みやすかった。

それぞれの話を読み、それがどんな「種」から芽吹いたのかを1つ1つ知ることによって、日常の中で一人一人にさまざまな物語があるのだな、と思った。

きっと、自分の中や周辺にも、「物語の種」はたくさん存在しているのだろう。

だけど、その種が芽吹いていたり、実にまでなっていることに、案外気づいていないのかもしれないな。

 

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「脱・限界集落株式会社」(黒野伸一著;小学館)を読む

2024-05-27 20:05:04 | 読む

移住の一番の理由が住まいの提供があって、安価だということ。
そんなことで地方に移り住んだ、やる気があるとは言えない若者が、少しずつ変わっていく、というか成長していく。
そこには、太っ腹なじいさんやばあさんがなかなかの役割を果たしている。
そんな話で始まっていくが、やがて話の中心は、巨大資本をバックにした大型ショッピングモールと地元商店街との、駅前シャッター商店街の再開発をめぐる対決に移っていく。

主人公の一人である若者健太が、地方・田舎の人々とふれ合うことによって、商店街を盛り上げながら、少しずつ成長していく。
そこにはちょっぴり恋愛の要素も入るのだが、そういうことがまたいいアクセントになっている。

さて、巨大資本をバックにした大型ショッピングモール対さびれた地元商店街の一部の住民たち。
どうすれば後者が前者に勝てるのだろう、と思いながら読み進めていった。
田舎に住む人間にとって、都会への憧れや便利さは大きい。
大型ショッピングモールには、それがあるからそれを売りにする。

後者が大切にしていくものが、田舎そのもののよさ。
たとえば、農産物の食べ方、活かし方。
たとえば、若者から高齢者まですべての人に対する思いやり。

普通は、大型モールの一人勝ちになる地方が多いのが現実だろう。
最初は、対立の構図から、どうやって力のない者たちが力のある者に対して、逆転して勝っていくのだろうと思いつつ読んでいたが、途中で考えが変わった。
開発を打ち出す大型ショッピングモールも必ずしも悪いところばかりではない。
田舎の人間にはあると便利だし、助かる部分も多い。
だけど、みんながみんな大型モールみたいになる必要もない。
大型モールには出来ないことだってあるのだ。
だから、両立できるようにするのが理想なのだ。
どちらも、キーワードは「人を大事にする」ことなのだ。
そこから外れて行ったとき、破たんを招いてしまうのだ。
本小説は、そんなことを言ってくれているような気がした。

本書は「脱・限界集落株式会社」だったが、その後この話は続編にあたるらしいと知った。
同じ著者が、「限界集落株式会社」という小説を書いていて、それが前編になるようだ。
途中から重要な働きをする人物たちは、その前編でも活躍していたと聞いた。
順番が逆になったが、それでも「脱・限界集落株式会社」は、十分楽しめた。
そのうち、前編に当たる同じ著者の「限界集落株式会社」も読んでみよう。
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「フジ子・ヘミング真実の軌跡~ドラマでは描かれなかった物語~ 」(喜多 麗子著;角川書店)

2024-05-14 18:08:14 | 読む

フジコ・ヘミングの名前は知っていた。

その彼女が4月21日に亡くなっていたことが、この連休中、彼女の公式ホームページから発表されていた。

彼女が、聴力を失いながらも情熱的な演奏をするピアニストであるということは聞いていた。

波乱万丈な人生を送って来たということも。

だけど、恥ずかしながら、じかにピアノ演奏を聴いたこともないし、どのような人生だったのかもよく知らなかった。

そこで、図書館で彼女の名前を見た時に、その人生を知ってみたいと思って、本を借りることにした。

 

2003年秋に放送されたドラマ「フジ子・ヘミングの軌跡」は、菅野美穂が演じて話題となり、そこでフジコ・ヘミングを知った人も多かった。

その番組の制作にあたってインタビューを重ねた際、フジ子本人があらためて自身の足跡を吐露したという。

ドラマでは収まり切れない量の人生とわかったので、本書は、プロデューサーが、改めて本にまとめたのだということだった。

その本が出版されたのは、2004年のことになる。

もう20年も前の本ではあるが、書名の「真実」に変わりはないだろうと考えて、本書を選択した。

 

本書では、母の影響が非常に強かったことが描かれている。

それは、フジ子にピアノを教える以前の母・投網子の生き様まで書かれていることからも分かる。

その母から厳しくピアノをたたき込まれ、幼少の頃から天才ピアニストとして脚光を浴びてきたフジ子。

厳しさに逃げ出す彼女だが、幼少期はアカマンマが一面に赤く咲く原っぱが心のよりどころだったという。

だが、時代もあって、素晴らしい才能を持って生まれながら、決して恵まれているとは言えない境遇に育つ。

外国人の父は、日本から出た後、帰ってくることがなかった。

その後も、様々な苦難が彼女を襲う。

右耳の聴力を失ってしまった。

ピアノで生きるために外国に渡ろうとしたら、国籍がなかった、という問題も起こったりした。

それでも、ピアノの演奏を通じて、なんとか乗り越え、ようやくピアニストとして生きる道が開けようというときに、いつものように起こるアクシデント。

そして、きわめて貧しい生活の連続。

そんな生活に追われながらも、彼女の心の奥底で厳しかった母が支えになっていた。

 

やがて、母の死を契機に35年ぶりに移住した日本で、彼女は奇跡の復活を遂げた。

なんという波乱に満ちた人生だろう。

 

本書では、その彼女の言葉が、2つ心に残る。

①本書の始まりのページに、次の文章があった。

母からは、強く生きること……「忍耐」を教わった。

「母は、世の中で一番好きな人だったけれど、天国では、一緒に住みたくない」

と彼女は微笑んだ。

 

②ピアノの上に乗った猫が、フジ子の頭に向かって、手を丸めて軽くたたくようななでるような様子を見て、〝この子は頑張れと言っているんだ。励まそうとしてくれているんだ″

と気づく。涙が止まらなくなったフジ子は、この子を飢え死にさせないためにもしっかりしなければいけない、と決意した。

後に出てくる言葉がすごい。

「どんな悲しいことがあってももう涙は出ない。だから今、泣いている人なんて、まだ苦労が足りないのよ」

…ははあ~、すみません、そのとおりですぅ~…と心の中で返事をしてしまった。

彼女は、想像を絶するような人生をピアノとともに送ってきたからこそ、なおのこと深く豊かな感性に満ちた音楽を奏でることができたのだろう。

 

彼女の公式ホームページを見ると、今年もたくさんのコンサートの予定が入っていたようだ。

もちろん、すべて中止となってしまったが、多くのファンがいただけに、彼女のピアノの演奏を生で聴く機会が失われてしまったのだなあ、と残念に思う。

たくましく人生をピアノとともに生きてきた彼女の演奏を、今後なんらかの方法でゆっくり聴いてみたいと思っている…。

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珍しいチェスを題材に繰り広げられる若者たちの生きざま~「エヴァーグリーン・ゲーム」(石井仁蔵著;ポプラ社)~

2024-05-10 20:26:43 | 読む

この「エヴァ―グリーン・ゲーム」は、第12回ポプラ社小説新人賞受賞作であり、昨年秋に出版された本だ。

著者の石井仁蔵氏は、ご当地新潟県新発田市出身の小説家。

1984年生まれで、東大文学部出身なのだという。

 

日本では競技人口が少ないチェス。

そのチェスを題材にして描かれた小説。

「相棒」で右京さんがよくやっていましたけどね。

チェスなんか知らないよ、やったことがない。

それなのに、登場する人物がチェスを通して、本当に生き生きと活躍する。

最初は、1章ごとに登場人物が変わる。

難病で小児病棟で入院生活を送っていた小学生の透が、チェスに没頭する少年と出会う。

ある日、チェス部の部長のルイに誘われた合コンで、昔好きだった女の子と再会チェス部の実力者である高校生の晴紀。

全盲ゆえに母からピアノのレッスンを強要された全盲の少女・冴理が盲学校の保健室の先生に偶然すすめられたチェスにハマる

児童養護施設で育ち天涯孤独の釣崎は、晴紀への暴行事件からチェスに興味を持つ。少年院を出た後、単身アメリカへ渡り、マフィアのドンとチェスの勝負することになる。

この4人が、大好きになったチェスにかかわりながら懸命に生き、残り2章で行われる大会で、優勝をかけて激突していく。

 

4人とも抱えている事情が違い、生き方がそれぞれ違うが、誰からもチェスは楽しい、チェスで負けたくない、もっと生きてチェスがしたい!ということが、がとてもよく伝わってくる話だった。

 

特に、破天荒でありながら最強の釣崎は、「ただ、チェスを指すこの一瞬のために、生きている」という生き方。

負けると命を取られる可能性もあった釣崎。

だが、決勝で命をかけて対戦しながら倒れる透に対し、釣崎は罵声を浴びせるが、それはチェスが好きで好きでたまらない人間にしか言えない叫びだった。

そこには、深い感動があった。

チェスをすることと、生きること、人生をうまく重ね合わせて読み応えがあった。

チェスをまったく知らない私でも、大会がどういう終わり方をするのだろうと、物語に引き込まれてしまった。

なるほど、新人賞を獲得するだけのことはある佳作だ。

面白かった。

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50年以上たっても、本質的な問題は変わっていない ~「恍惚の人」(有吉佐和子著;新潮社)を今さらながら読む~

2024-04-25 19:48:54 | 読む

50年以上も前にベストセラーとなったことを知っていたが、読まずにいた。

それは、自分が若かったからだし、老人を描いた小説なんて読みたくなかった。

なにしろ、1972年の作品だったから、その頃自分は高校1年生。

恋バナとかもっとワクワクするものを読みたかったのである。

だが、自分が高齢者となって、読まずにおいてはいけない気がして、今回初めて読んでみた。

それが、この有吉佐和子の「恍惚の人」。

 

姑の突然の死によって、認知症になってしまっていた舅を、家族として介護せざるを得なくなってしまった主人公の昭子。

1972年の頃であれば、たしかに嫁が老いた舅の世話をしなければいけない時代であった。

時代を反映するように、話の始まりから、人が亡くなった時に家庭で一般にどのような手順を踏んでどんなことを行いながら葬式まで行うか、まったく知らなかった昭子を追いながら、それらを示していく。

今は、葬儀会社に連絡すれば、つつがなく行ってくれはするが、あの時代はまだ各家庭で行っていたのだった。

そんなふうに時代を感じながら、読み進んでいった。

 

途中途中ではさまる情報が、当時の様子を伝え、と未来(われわれが生きている現在)の姿を示唆してくれていた。

 

例えば、会話に現れる、当時の平均寿命。

「なるほど、女の方が平均寿命が長いんですからな。七十歳でしたかね」

「七十四歳ですよ、あなた」

(略)

「男の平均寿命は何歳でしたかな」

「六十九歳」

…そういえば、このくらいだった。

現在では、2022(令和4)年のデータで、日本人の平均寿命は男性が81歳、女性が87歳というから、ずいぶん長命になったものだ。

 

そして、1970年頃には、明治時代に生まれた人間も元気な人が多かった。

明治生れが全人口の三パーセントに減少しているというのに、我々の会社は未だにこの三パーセント族に押さえこまれているではないかと一人が嘆けば、日本人口の老齢化が我が社においても顕著であると一人が和す。

 

本当か嘘か知らないが、今から何十年後の日本では、六十歳以上の老人が全人口の八十パーセントを占めるという。

昭和八十年には六十歳以上の人口が三千万人を超え、日本は超老人国になる運命をもっているという。

 

文明が発達し、医学の進歩がもたらした人口の高齢化は、やがて恐るべき超老大国が出現することを予告していた。

そして、現にほとんどそれに近い形になっている。

現在、年老いて長生きすることは、幸福につながっているのだろうか。

物語で、昭子の息子の高校生敏は、祖父にあたる茂造の姿を見るたびによく言うのであった。

「パパも、ママも、こんなに長生きしないでね」

 

小説では、時間の経過とともに認知症の程度が深まる舅の茂造の様子が、具体的で詳しく書かれてあった。

そして、介護に取り組む嫁の昭子のかかわり方や心の移り変わりも。

 

本書では、認知症となった高齢者の症状や、その介護についての問題、嫁姑の問題、夫婦間の問題、働く女性の家庭との両立の問題など、たくさんの問題があぶり出されていた。

それらの問題は、50年たった今でも、少しも色あせずに残っているのが何とも言えない。

本質的な問題は、何も変わっていないのだ。

 

昔この本を読んでも、ちっともピンとは来なかったかもしれない。

だが、自分も60代後半まで生きて経験を重ねてきたから、今になって本書の登場人物の心情がわかるようになったと思うことも多くあった。

 

幸い自分の場合、自分の両親も妻の両親も、認知症の問題には直面せずに済んだ。

齢を重ねることは誰でも経験することだが、さて、自分は今後どうなる?

昭子が茂造の様々な行動に疲れ切ってしまいながらも、しっかりと対応していたのは立派であった。

私自身はどうだろう?そんな訳の分からない状態になったら、彼女のような対応を周囲の人にしてもらえる自信がない。

自分の身に置き換えて、様々なことを考えさせられた。

 

とにもかくにも、ずっと気になっていた「恍惚の人」という小説を読み終えることができた。

「恍惚の人」にならないようにするには、どうすればよいのかは分からないが、自分なりに「終活」を意識しながら、日々生活を充実させて生きていきたいものだとは思うのだが…。

 

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「いつか君が運命の人 THE CHAINSTORIES」(宇山佳佑著;集英社)を読んで

2024-04-21 20:25:53 | 読む

学生の頃、NSPが歌っていた曲に「赤い糸の伝説」というのがあった。

運命の人と赤い糸がつながっている、という伝説をもとにした歌だった。

あの歌の出だしは、

♬ あなたと僕の 小指の糸が ほどけないように 結びましょ

だったなあ。

そんなことを懐かしく思い出しながら、間違いなく若者向けの本なんだけど、このオレンジ色の表紙にひかれて、本書を手に取った。

 

まあ、ファンタジーだと思いながら読んだわけだけど、その指輪をつければ、「運命の赤い糸」が見えて、自分と赤い糸で結ばれた運命の人が分かる。

この本は、そんな指輪を巡る、6つの連作短編集だ。

 

①僕らはあの頃と変わらない

②どうして機嫌のいいときしか好きって言ってくれないの?

③わたしのものって思っていいですか?

④わたしを失望させないで

⑤わたしが求めているもの

⑥今、誰を愛してる?

…という6編から成り、それぞれに指輪が絡んでストーリーが進む。

そんな不思議で素晴らしい指輪なんだけど、1か所にとどまらないで、次の話に登場してつながっていく。

さすが、CHAINSTORIESというだけある。

 

読んでいて途中でびっくりしたのは、第1ストーリーの終盤に、それまで主人公だと思っていた登場人物が亡くなってしまったこと。

こんな展開をする話は、今まで読んだことがなかった。

 

そして、決して確実にハッピーエンドとは言えないような予想外な結末になるのは、どの話も同じ。

短編の1つ1つが、読んでいた自分の想像をはるかに超えた結末になりながらも、読み終えるとどこかしみじみした思いになって、次の話に移ることができるのだった。

その締めくくりが、最終話では、最後に第1話につながる展開になって、しんみりした思いも抱かせられた。

 

 

個人的には、認知症になってしまった母との関係をめぐって話が展開する、まるで赤い糸とは関係ないような第5話が、好きだ。

 

まあ、およそ67歳の男が読むのにふさわしい本かといえば、NOだろう。

でも、恋の話で、自分が忘れていた若いころの不安な感覚を思い出したりするのも悪くないし、第5話のように遠からぬ自分を感じさせる(?)高齢者の登場だってある。

 

夕日は、人を感傷的にさせる。

そんな夕日が描かれた表紙絵からの感傷で、珍しくこのような本を読んだが、個人的には面白かったなあ。

宇山佳佑氏の本、いつかまた違うものを読んでみよう。

心を若くして…?

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名所案内かと思ったら、マスコットキャラクターの写真集!?~「ぐんまちゃんとお散歩」(中経出版)~

2024-04-18 20:20:41 | 読む

ぐんまちゃんは、群馬県のマスコットキャラクター。

2012年12月21日から群馬県宣伝部長に就任して、群馬県のPR活動に励んでいるのだそうだ。

本書「ぐんまちゃんとお散歩」は、2013年に出版された写真本。

図書館で見かけて、表紙の写真が可愛らしく、目が引き付けられて、借りてきた。

「群馬のいいとこ、めっけた」と副題がついていた。

だから、ぐんまちゃんが群馬県内の名所めぐりをして、観光案内をする本だと予想できた。

上信電鉄の下仁田駅に行ったり、

碓氷峠のめがね橋に行ったり。

ほかにも、群馬県だけに、富岡製糸場とか草津温泉、伊香保温泉などいろいろ載っている。

名所とぐんまちゃんの可愛らしさと両方たのしめて、よいなあ。

なのに、名所の詳しい住所が載っていないのだから、実は、単なるぐんまちゃんの写真集で、名所はおまけ?

 

そう考えていい理由は、ほかのページ。

「保育園で子どもたちと」とか「学生たちとスポーツ」なんてページもあって、ぐんまちゃんと交流する写真が、たくさん載っていた。

マスコットキャラクターの可愛さを前面に出して、プラスして名所案内。

10年以上前の本だったけど、可愛いキャラクターは、色褪せないね。

新潟県のマスコットキャラクターはトッキッキだけど、ここまで可愛い写真集はできないかな?

 

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益田ミリさんの著書2冊、好感をもって読む ~「世界は終わらない」(幻冬舎文庫)・「永遠のお出かけ」(毎日新聞出版)~

2024-04-09 20:08:31 | 読む

先週、COVID-19感染症になる前から借りていた本を返しに図書館に行った。

図書館に行く以上は、また別な本を借りようと思いながら、少しうろついた。

春になったということで、花の本や桜に関係した小説などが並んでいた。

それらの本の中で、表紙は確かに春の野草の花の絵ばかりだったが、タイトルは「永遠のお出かけ」。

著者は、益田ミリさん。

イラストライターらしい。

手に取ってぱらぱらとめくってみると、エッセイ本だった。

エッセイも書くのだな。

この本は、どうやら身近な人との永訣を巡って書かれたものらしい、と分かった。

ま、とりあえず、また元の場所におこう。

 

その場所を離れて、返却本が並んだコーナーを通り過ぎた。

何気なく背表紙の書名を見て行ったら、ある文庫本にまた「益田ミリ」の名前が目に入った。

書名は、「世界は終わらない」という。

世界か…、何か大きく出たなあ、と思いつつページを開いてみた。

すると、中身は…。

マンガじゃないか!!?

タテに4コママンガが連続しているが、普通なら起承転結があり4コマ目で短く話が完結するものだ。

だが、この本はそういう構成にはなっていなくて、次のコマ次のコマへとダラダラと(?)話が続いていくのだった。

 

今まで読んだことがなかったけれども、こうして短い時間に2冊もめぐり逢うということは、益田ミリさんの本を読んでみろという神の思し召しか?

…なんて考え、2冊を一緒に借りてきた。

 

COVID-19感染症の後遺症か、まだすっきりしない体調。

だから、「世界は終わらない」のマンガ本はあまり頭を使わなくてもよくて、スイスイ読めた。

発行元の幻冬舎による本書の紹介には、こんなふうに書かれていた。

書店員の土田新二・32歳は、後輩から「出世したところで給料、変わんないッスよ」と突っ込まれながらも、今日もコツコツ働く。どうやったら絵本コーナーが充実するかな? 無人島に持って行く一冊って? 1Kの自宅と職場を満員電車で行き来しながら、仕事、結婚、将来、一回きりの人生の幸せについて考えを巡らせる。ベストセラー四コマ漫画。

本書の男性主人公が、勤める書店の仕事を一生懸命にしながら送る毎日の生活を描いている。

そして、32歳の独身男性として、生活の中で抱く様々な思いを率直に描いている。

結婚する前ってこうだったなあ、などと自分の若かった頃の昔を思い出したりもした。

日々の暮らしの中で、漠然とした将来に対する不安を抱きながらも、自分らしく生きていくのがいいのだ、ということに気づかせてくれる良質のマンガだった。

 

そして、「永遠のお出かけ」。

この本の紹介は、次のような文章。

「大切な人の死」で知る悲しみとその悲しみの先にある未来。 誰もが自分の人生を生きている。 益田ミリ、新たな代表作! 珠玉のエッセイ20編を収録。

 

「大切な人」とは、益田ミリさんの父親のことだった。

叔父さんが亡くなった話から始まって、そこから最後まで父のことについて綴っていく。

父が癌となり入院し、告知されて退院してから亡くなるまでの心の揺れ方、そして亡くなったときや、居なくなった後からも押し寄せる思い出と悲しみ。

そのあたりの心の表現が、とてもリアルな感じがした。

ああ、自分も父や母を亡くしたときに、これと同様なことを思ったっけ…などという自分の過去の経験を思い出したりもした。

 

2冊をまとめて一気に読んで、マンガにせよ文章にせよ、飾らない素直さにとても共感できた。

みんな悩みながら生きている、そのことはとても大事なんだよ。

ごく普通の一般的な人間が、何か大きなことを成し遂げる訳でなくてもいいんだよ。

人生はその人その人なりでいいんだよ。

小さい自信をもって生きていこうよ。

 

そんなことが伝わって来た。

益田ミリさんの作品、初めて読んだけど、とても好感がもてたのだった。

 

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「あの頃ボクらは若かった」(わたせせいぞう著;毎日新聞出版)

2024-03-29 18:08:41 | 読む

病で元気が出ないでいるときに、難しい本や字数の多い本は読みたくない。

絵が多くて、さりげない内容だけど、なんとなく見ていて元気になれる。

できれば、ぼうっと昔のことなんか思い出したりしながら…。

そんな本がいい。

 

そんな本に該当したのが、本書。

2018年に発行されたものであるが、1964年~1995年までのことを対象にしている。

わたせせいぞう氏の絵は、キラキラした若者が描かれていて、それでいてわれわれが過ごしてきた時代の若者が「あの頃」を感じさせてくれる。

表紙には、グループサウンズを思わせるエレキギターの青年が描かれていて、なによりその書名。

本書の書名は、「あの頃ボクらは若かった」。

このタイトルを見ると、われわれ世代は、ザ・スパイダースの名曲を思い出す。

そう、「あの時君は若かった」。

その曲を脳内に流しながら、この本の各ページを楽しんだ。

 

この本は、第Ⅰ部として1964~1979年の、第Ⅱ部として1980~1995年を取り上げ、当時のできごとや若者の暮らし、風俗を描いている。

わたせ氏は、学生生活後、保険会社に就職して若い時代を過ごした。

氏の年齢は、私よりもひと回り上になるのだが、描かれているエピソードは、ほとんど「うん、うん、そうだった、そうだった」とうなずけるものが多い。

「スキー帰り上野駅」「合格電報」「学生時代」「学生の下宿」「新郎!胴上げ!新婚旅行」「学生街の飲食店」…。

…自分にも重なる経験のあれこれを思い出していた。

この本の絵(イラスト)に関しては、当時の報道写真をベースにしたというが、たしかにそれだと色が付いていないから絵に着色する時に困っただろうなあ、と思う。

でも、私たちの若かった時代、やっぱり周りがきらきら輝いていたから、明るい色なら多少どうってことはないのだ。

過ぎてきた時代を懐かしく、若かったころに経験してきたことたちを誇らしく思いながら読み終えた。

うん、病の体に少し元気が出てきたぞっ…と。

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