ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

娘よ(30)

2014-01-13 23:03:32 | 生き方
難病だ、と改めて思う。
午後1時10分過ぎ、昼食を終えトイレに立った後、頭痛・顔痛を訴えた娘。
妻が寝かしつけると、間もなく娘を痙攣が襲った。
11月末以来、ひと月半ぶりの痙攣である。
なぜ?
痙攣止めの薬D剤も3.7であり、さほど低くない。
それ以外に毎食たくさんの薬を飲んでいる。
昨日は、少しよくなってきたねと、家族で喜んでいたところだった。
だから、昨日のように明るい気持ちでいることを記せたのだった。
なのに、また今日、急転直下の状況になるとは思わなかった。

妻から娘に痙攣が起こったというメールをもらったとき、私は、RUNに出ていたところだった。
帰ってからそれが分かって、14時50分頃、大あわてで病院に駆け付けた。
その直後、娘を今日2回目の痙攣が襲った。
「顔がチクチクする」「心臓がおかしい」と言い出した。
ナースコールを押して看護師さんを呼ぶと、ほどなく顔から腕にかけて痙攣が始まった。
マスクをかけられて酸素吸入が行われた。
30分もすると、意識も取り戻し、「おはよう」などと言った。
また、今日が1月13日であることを知ると、「どんな正月をしたのか、全然覚えていない。」などと言う娘だった。
とんちんかんなことを口にすることは少なかったが、やはり様々なことを忘れてしまっている娘だった。

妻が家に帰った後、16時30分頃、またしても娘が頭痛を訴え始めた。
顔から左半身に力が入らないと言う。
またナースコールを押し、なかなか看護師さんが来ないことにじりじりした思いを抱きながら娘を見守った。
看護師さんが駆け付けてくると、娘の
呼吸の仕方がおかしくなり、今日三たびの痙攣が娘を襲った。
顔、腕、脚まで。
見たくもない娘の苦しむ姿をまたしても見せられてしまった。
回が増すごとにダメージが大きくなるように思えた。
呼吸が戻り、意識が戻り、いくらか落ち着いてきた頃、看護師さんから連絡を受けた当番医が駆け付けてきた。
「どうですか?」
などと聞きながら、自分の手で痙攣止めのD剤の点滴を最高濃度の8.0に上げた。
その医師の動作があまりにも無造作に見えて、なんだか娘が可哀想になった。

その後も、娘は頭痛を訴え続けていたが、幸い痙攣にまでは至らなかった。
夕飯も、食欲がないと言ってかなり多くを残したが、とりあえず食べることができた。
就寝時間まで様子を見るために、自宅から再び病院に戻ってきた妻と交代したのは、19時半過ぎだった。
あっという間の4時間半だった。

11月には、1日に5回も痙攣が起こったこともあった。
予断は許さない状況であると思う。
せっかくここまできたのに、という思いは、入院以来何度目だろう。

難病だ、とまたも思う。
でも、最も苦しんでいるのは娘のはずなのだ。
娘が病と闘っている。
それを支え続けるのが、家族である私たちの責務だと思う。
最もつらい娘の気持ちを和らげ、回復に向けて明日に向かう気持ちを高めるのが、私たちの仕事だ。
娘とともに、あること。
私たちも、負けない。
コメント (2)
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