今年初めてとなる痙攣に、一度に三回も襲われた娘。
心配なので、この3日間は、昼食時間帯から家族の誰かが付き添うようにしてきた。
昨日は、昼過ぎに妻が病室に行くと、少食の傾向が強い娘が、完食していたと言う。
おまけに、衣類を入れるバッグに、周囲の様々なものを詰め込み、飾られていた千羽鶴も外し、すっかり自宅に帰るつもりで準備していたのだと、妻からのメールで知った。
妻にも仕事があり、ずっと付きっきりという訳にはいかないので、代わって私が休みをとり、妻の退室2時間半後、娘の病室に行った。
あれまあ!
やっぱり、黒いバッグやその中に入っていた手提げ袋を上手に使って、身の回りのものがしっかり片付けられてあった。
ただし、妻の時とは違って、千羽鶴は外されていなかったけれども。
どうしたのか、やわらかく聞いてみると、誰も知っている人がいないから、早くこのカラオケボックス(病院ではなくカラオケと認識したらしい)から帰らなくちゃ、と思ったのだそうだ。
だけど、財布もケータイもなくて、どうしようかと思っていたのだそうだ。
なるほどなあ…。
こんなふうに、娘は考えているのか、と思った。
そこで、ゆっくり説明すると、自分の状況が少しずつ分かってくる。
病院に入院していることも、脳の病気になっていることも。
だけど、時々また忘れて、母や弟がいなくなった、と口にすることがたびたびある。
でも、ちゃんとまた説明していると、分かってくる。
そのことは、今までの時よりおだやかに感じられる。
今日も不安だったので、昼食時間帯から私が付き添ってみることにした。
今日は、病室内に帰り支度の様子はなかったことにほっとした。
コンビニで見つけた、娘の好きな担々麺を昼食に持って行ってみた。
しっかり娘は食べてくれた。
ついでに、家から持って行ったミカンも1個ぺろりと平らげた。
歯みがき等を終えた娘は、しばらく得意のお絵かき(幼稚な表現で申し訳ないが、自分の思いをキャラクターに喋らせるというお絵かきなのである)をしていた。
娘の描く絵は、看護師さんたちには評判が良い。
前の日は、主治医の先生を描いていた。
それを見た看護師さんが、「似てる!」と、大笑いしていた。
今日は、その先生の髪が、「父ほどではないけど、後ろ頭の毛が少ない」と気付き、わざわざ絵に、文字でそのことを知らせる注意書きを描いていた。
「それは、秘密にしておいてね。」と、苦笑した今日の看護師さんに言われていた。
その後眠気を催した娘は、2時間弱の昼寝をした。
目覚めた娘は、昼に担々麺やミカンを食べたことは、すっかり忘れていた。
やはり、時間がたつと、すっかり忘れてしまうのだ。
痙攣が起きる前と起きた後では、さすがに忘れる度合が違う。
今は、簡単に忘れてしまう。
ただ、習慣とは恐ろしいもので、朝夕の食後には9錠1包の薬を飲むのだが、飲む前から「この中に苦い薬がある」のだと言う。
物忘れの激しい病気になりながら、こういうことは忘れていないことが、不思議である。
娘に付き添って、娘の周りにはゆったりした独特の時間が流れていると感じた。
ただし、ゆったりながら、その流れは流されることもあるような厳しさもあるようにも感じている。
なんてったって、7か月以上も流されているのだから。
心配なので、この3日間は、昼食時間帯から家族の誰かが付き添うようにしてきた。
昨日は、昼過ぎに妻が病室に行くと、少食の傾向が強い娘が、完食していたと言う。
おまけに、衣類を入れるバッグに、周囲の様々なものを詰め込み、飾られていた千羽鶴も外し、すっかり自宅に帰るつもりで準備していたのだと、妻からのメールで知った。
妻にも仕事があり、ずっと付きっきりという訳にはいかないので、代わって私が休みをとり、妻の退室2時間半後、娘の病室に行った。
あれまあ!
やっぱり、黒いバッグやその中に入っていた手提げ袋を上手に使って、身の回りのものがしっかり片付けられてあった。
ただし、妻の時とは違って、千羽鶴は外されていなかったけれども。
どうしたのか、やわらかく聞いてみると、誰も知っている人がいないから、早くこのカラオケボックス(病院ではなくカラオケと認識したらしい)から帰らなくちゃ、と思ったのだそうだ。
だけど、財布もケータイもなくて、どうしようかと思っていたのだそうだ。
なるほどなあ…。
こんなふうに、娘は考えているのか、と思った。
そこで、ゆっくり説明すると、自分の状況が少しずつ分かってくる。
病院に入院していることも、脳の病気になっていることも。
だけど、時々また忘れて、母や弟がいなくなった、と口にすることがたびたびある。
でも、ちゃんとまた説明していると、分かってくる。
そのことは、今までの時よりおだやかに感じられる。
今日も不安だったので、昼食時間帯から私が付き添ってみることにした。
今日は、病室内に帰り支度の様子はなかったことにほっとした。
コンビニで見つけた、娘の好きな担々麺を昼食に持って行ってみた。
しっかり娘は食べてくれた。
ついでに、家から持って行ったミカンも1個ぺろりと平らげた。
歯みがき等を終えた娘は、しばらく得意のお絵かき(幼稚な表現で申し訳ないが、自分の思いをキャラクターに喋らせるというお絵かきなのである)をしていた。
娘の描く絵は、看護師さんたちには評判が良い。
前の日は、主治医の先生を描いていた。
それを見た看護師さんが、「似てる!」と、大笑いしていた。
今日は、その先生の髪が、「父ほどではないけど、後ろ頭の毛が少ない」と気付き、わざわざ絵に、文字でそのことを知らせる注意書きを描いていた。
「それは、秘密にしておいてね。」と、苦笑した今日の看護師さんに言われていた。
その後眠気を催した娘は、2時間弱の昼寝をした。
目覚めた娘は、昼に担々麺やミカンを食べたことは、すっかり忘れていた。
やはり、時間がたつと、すっかり忘れてしまうのだ。
痙攣が起きる前と起きた後では、さすがに忘れる度合が違う。
今は、簡単に忘れてしまう。
ただ、習慣とは恐ろしいもので、朝夕の食後には9錠1包の薬を飲むのだが、飲む前から「この中に苦い薬がある」のだと言う。
物忘れの激しい病気になりながら、こういうことは忘れていないことが、不思議である。
娘に付き添って、娘の周りにはゆったりした独特の時間が流れていると感じた。
ただし、ゆったりながら、その流れは流されることもあるような厳しさもあるようにも感じている。
なんてったって、7か月以上も流されているのだから。