Gwoooo!Gwooo!Gwoo!
およそZZZとはかけ離れた音。
なんともすさまじいいびきの音である。
私でもわが家でもない。
娘の病室である。
止むことなく、ずっとカーテン1枚を隔てた娘の隣のベッドから響いて来る。
大部屋の娘の病室は、他の3名の患者さんと一緒である。
であるが、他の患者さんとの交流は、ほとんどない。
脳に関する病で入院している方々、というのは、ほとんどが高齢者である。
うちの娘のような例は、珍しい。
脳梗塞等で入院した方々ばかりが、入れ替わり立ち代わり娘の同室となる。
だから、静かに寝て過ごしている方が多い。
ただし、すぐ隣の女性は、数日前に入院して来られたが、一言も発することなくずっと大きないびきをかいて眠るばかりである。
病院には、様々な患者さんがいる。
その患者さんの家族にとってみると、やはり回復に向けて少しでも明るい話題がほしいものだ。
隣の患者さんの娘さんと思われる方が来室すると、いびきをかいて眠るその方に一生懸命語りかけている。
少しはよくなった?
誰それも心配していたよ。
ねえ、聞こえてる?
…だけど、いびきの音はやまない。
聞いていると、切なくなる。
やがて、来室された方は、看護師さんを呼び、どんな治療をしているのか、他の検査はできないのか、転院した方がいいのではないか等、様々な相談を持ちかけていた。
身内の人に訪れた災難を何とかしたいという気持ちが、痛いほど伝わってくる。
その気持ちは、とてもよくわかる。
こんな環境の中でも、うちの娘は、淡々と時を過ごしているようだ。
時折は「うるさすぎる」と感じることもあるようではあるが。
娘に隣の人のことについて聞くと、「まあ、私は、介護の仕事をやっていたからねえ…。」と、5年余り前まで自分がやっていた仕事のことを挙げ、いびきの喧騒を我慢できるというそぶりを見せている。
病院では、インフルエンザ感染予防策による面会制限がずっと続いているため、他の人と会って刺激を受けるということがない。
いびきのことがよい刺激となるとは、とうてい考えられない。
そんな状況の中、けいれん止めのD剤の濃度は、2,3日前に1.5にまで下がってきた。
幸いけいれんの発作は起こってはいない。
ただし、記憶や認識は、去年の秋のようには戻って来ない。
時折、病室からトイレに行くとき、トイレへの標示を時々は見逃して動き出すこともある。
少し前のことでもすぐに忘れることが多いのは相変わらずである。
だから、下着を1日に2回も替えてしまったりすることもあるのだ。
少し目の前の物から目をそらしていて、再び見ると、「ものが増えている」とか「位置が変わった」ということなども、まだまだ普通にある。
それでも、自分が1年近く(「以上」と思う時もあるようだが)入院しているということは感じられることが多くなったように思う。
また、ガンバ大阪のGKが誰だっけ?という質問に、「東口。」(正解!)と言えるようになっている。
そして、今まで何度もしてきた話ではあるが、入院した時の話を聞きたがることがある。
その際には、それらのことを自分が全く覚えていないことにがく然として、涙をこぼすことが多い。
家のピアノをお返しした話をしたら、先日は、涙をポロリとこぼした。
「最後に1回弾きたかった…。」
同室者のいびきを許すことやこうして涙をこぼすことなどから、感情に関する部分は、まったく普段通りの娘になっている、と思える。
まずは、けいれんの発作が起きないようになること。
主治医が毎度話す通りなのである。
短期記憶力が少しでも回復することはその次になる。
課題は変わらないままだが、娘の入院は、まもなく300日を迎えようとしている。
およそZZZとはかけ離れた音。
なんともすさまじいいびきの音である。
私でもわが家でもない。
娘の病室である。
止むことなく、ずっとカーテン1枚を隔てた娘の隣のベッドから響いて来る。
大部屋の娘の病室は、他の3名の患者さんと一緒である。
であるが、他の患者さんとの交流は、ほとんどない。
脳に関する病で入院している方々、というのは、ほとんどが高齢者である。
うちの娘のような例は、珍しい。
脳梗塞等で入院した方々ばかりが、入れ替わり立ち代わり娘の同室となる。
だから、静かに寝て過ごしている方が多い。
ただし、すぐ隣の女性は、数日前に入院して来られたが、一言も発することなくずっと大きないびきをかいて眠るばかりである。
病院には、様々な患者さんがいる。
その患者さんの家族にとってみると、やはり回復に向けて少しでも明るい話題がほしいものだ。
隣の患者さんの娘さんと思われる方が来室すると、いびきをかいて眠るその方に一生懸命語りかけている。
少しはよくなった?
誰それも心配していたよ。
ねえ、聞こえてる?
…だけど、いびきの音はやまない。
聞いていると、切なくなる。
やがて、来室された方は、看護師さんを呼び、どんな治療をしているのか、他の検査はできないのか、転院した方がいいのではないか等、様々な相談を持ちかけていた。
身内の人に訪れた災難を何とかしたいという気持ちが、痛いほど伝わってくる。
その気持ちは、とてもよくわかる。
こんな環境の中でも、うちの娘は、淡々と時を過ごしているようだ。
時折は「うるさすぎる」と感じることもあるようではあるが。
娘に隣の人のことについて聞くと、「まあ、私は、介護の仕事をやっていたからねえ…。」と、5年余り前まで自分がやっていた仕事のことを挙げ、いびきの喧騒を我慢できるというそぶりを見せている。
病院では、インフルエンザ感染予防策による面会制限がずっと続いているため、他の人と会って刺激を受けるということがない。
いびきのことがよい刺激となるとは、とうてい考えられない。
そんな状況の中、けいれん止めのD剤の濃度は、2,3日前に1.5にまで下がってきた。
幸いけいれんの発作は起こってはいない。
ただし、記憶や認識は、去年の秋のようには戻って来ない。
時折、病室からトイレに行くとき、トイレへの標示を時々は見逃して動き出すこともある。
少し前のことでもすぐに忘れることが多いのは相変わらずである。
だから、下着を1日に2回も替えてしまったりすることもあるのだ。
少し目の前の物から目をそらしていて、再び見ると、「ものが増えている」とか「位置が変わった」ということなども、まだまだ普通にある。
それでも、自分が1年近く(「以上」と思う時もあるようだが)入院しているということは感じられることが多くなったように思う。
また、ガンバ大阪のGKが誰だっけ?という質問に、「東口。」(正解!)と言えるようになっている。
そして、今まで何度もしてきた話ではあるが、入院した時の話を聞きたがることがある。
その際には、それらのことを自分が全く覚えていないことにがく然として、涙をこぼすことが多い。
家のピアノをお返しした話をしたら、先日は、涙をポロリとこぼした。
「最後に1回弾きたかった…。」
同室者のいびきを許すことやこうして涙をこぼすことなどから、感情に関する部分は、まったく普段通りの娘になっている、と思える。
まずは、けいれんの発作が起きないようになること。
主治医が毎度話す通りなのである。
短期記憶力が少しでも回復することはその次になる。
課題は変わらないままだが、娘の入院は、まもなく300日を迎えようとしている。