ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「踊り子」4曲

2025-01-11 21:28:24 | うた

年が明けて10日余りがたった。

年が明ける前夜、恒例の紅白歌合戦があった。

元旦マラソンに出なくなったから、ゆっくり見ることはできる。

でも、遅くまで起きていると体調を崩すことが多いから、後半は録画して年が明けてから何回かに分けてゆっくり見た。

全体を通して、昔の曲や何十年ぶりの出演者なども多く、われわれ年配者にも楽しめる楽曲の構成になっていたのはうれしかった。

 

それとは別に、今はやりの歌で「いいね!」と思える歌に出合うのも楽しい。

われわれには、カラオケでとても歌えないような、Creepy Nuts の「 Bling‐Bang‐Bang‐Born」やこっちのけんとの「はいよろこんで」などは、やっぱりパワーを感じ、売れるだけあるな、と思った。

 

ほかに気に入ったのが、Vaundyの「踊り子」という曲だった。

YOUTUBEのプロモーションビデオで、こんな歌。(なお、出てくるこの女性は、VAUNDYじゃないからね。VAUNDYは男性だから。)

 

回り出した あの子と僕の未来が止まり

どっかで またやり直せたら

というフレーズが何度か繰り返されるところをみると、これもきっと失恋の歌なんだろうな。

とぅるるる とぅるるる とぅるる」のくり返しもいろいろ思わせてくれる。

これを擬音だと仮定すると、まるで何度鳴らしても出てくれない電話のようでもある。

まあ、最近のスマホだとどう感じるか、分かんないけどね。

そうなら、いささかつらいなあ…。

でも、この曲はメロディも口ずさみやすく、紅白の番組の中で一番気に入ったのだ。

 

ところで、「踊り子」という曲名を聞いたときに、私は、懐かしいな、と思ったよ。

なぜかと言うと、ほかに3曲知っているからね。

まずは、学生時代に聴いた歌に、同名の曲があったのだ。

それは、下田逸郎の「踊り子」(1974年)。

恋の終わりはいつも同じ 

だけど今度だけ違うの なにかが

まわる人生のステージで

踊るあなたの手震えて きれいね

…と始まる歌。

あなた愛して気づいたことは

そうね私もいつかは死んでゆくこと

…という部分には、愛と死がくっついていて、暗さがあり、メロディーからもこの歌は悲恋を歌っているのだと感じていた。

震えるような声で歌う下田逸郎の声が好きだった。

 

1976年に4人組が歌った曲にも「踊り子」はあったのだ。

その曲は、フォーリーブスが歌った「踊り子」。

私は踊り子よ 振る舞いのお酒にも

気軽く酔うような 浮草の踊り子

阿久悠の作詞、井上忠夫の作曲だった。

この歌は、まさしく踊り子を職としている女性の歌。

1番でも2番でも、「このまま別れて行きましょう 短い夢と割り切って

というフレーズがある歌だから、やはり別れを歌った歌。

 

私自身としては、一番せつなかった「踊り子」は、1983年に出た村下孝蔵の曲。

同年に「初恋」がヒットした後に出た曲がこの「踊り子」。

私はこの歌が好きで、よくカラオケで歌ってきた。

 

答えを出さずに いつまでも暮らせない

バス通り裏の路地 行き止まりの恋だから

…と始まるが、のっけから「行き止まりの恋」なものだから、せつなさが歌われている。

つまさきで立ったまま 二人愛してきた

狭い舞台の上で ふらつく踊り子

…と歌っていたが、そのあとは、

若すぎたそれだけが すべての答えだと

気づいた

…と歌っている。

「若すぎた」と結論を出しているから、これまた悲恋だということか。

 

紅白歌Vaundyの「踊り子」から、過去の3曲を思い出した。

このように、「踊り子」という曲を4曲知っていることになるが、不思議なもので、すべて別れにつながる悲しさのある歌だという共通点がある。

「踊り子」=「悲恋」ですか…。

まあ、恋や愛を歌う歌には別れがつきもので、それがあるから歌がインパクトのあるものになるのだけどね。

下田逸郎の曲のように「まわる人生のステージ」で生きている私たちは、

村下孝蔵の曲のように「狭い舞台の上でふらつく踊り子

でもある。

あぶなっかしくても、自分の人生という舞台を踊るように生きていかなくては、ね。

 

「踊り子」というと、このドガの絵も連想してしまう…。

 

コメント
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