ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

誕生日、18歳から半世紀経過を思う ~見つけたCDから歌を思い出しながら~

2025-02-28 21:29:07 | 生き方

また1つ齢をとった。

68歳。

去年、息子が新婚旅行で買ってきた薩摩焼酎を開けて、自分の誕生日を祝った。

このブログは、あと半年くらいで17年になるのだけれど、始めたときにはまだ51歳だったから、旧名は「五十路 ON MY WAY」だった。

それを60代突入から「ON MY WAY」に名称を変えたのだった。

なのに今はもう、六十路もだいぶ少なくなってきた。

そのことに、改めて年月の過ぎ行く早さを感じ、がく然とする。

 

さて、68歳というこの年齢、高校を卒業してからなんと半世紀となる。

半世紀前と言えば、1975年だ。

50年前にさかのぼれば、今ごろの私は高校卒業直前だった。

あの当時は、3月上旬が国立大学の入試だった。

だから、まだ受験勉強は続いていたはずだった。

だけど、受験した某国立大学は、ABCDEでいえば、模試はE判定の私だったから、奇跡を待つだけではあったのだった。

そして、3月。やはり奇跡は起きなかった。

奇跡は起きないから、奇跡というのだと知った。

 

でも、幸いにも、関西の某私立大学に合格していたから、4月からの学生生活が決まっていた。

あの当時、自分の未来がどうなるのかわからないから、不安と期待があったっけ…。

受験に行った先、大学入学した先でよく流れていたのは、かまやつひろしの「我が良き友よ」や風の「22才の別れ」だった。

それらの曲を耳にするたびに、私は18才の春を思い出すのだ。

あれから、もう50年か…と思うと、人生は儚いものだと思えてきてしまう。

 

やがて私は、夏に4か月通った大学をやめて、また故郷新潟に戻って、別な大学に入学すべく自宅浪人生活に入った。

一度は言った大学をやめる必要があったのか?と、その後何度も思った。

よく考えれば、そこまでする必要はなかったのかもしれない。

でも、あの18歳の自分には、それしか自分を生かす道はないように思ったのだった。

 

大学をやめて帰ってきたころ流行っていたのは、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」だった。

そして、苦しい自宅浪人中、よく聴いた歌がバンバンの「『いちご白書』をもう一度」やアリスの「今はもうだれも」、ハイファイセットの「卒業写真」だった。

 

18歳は、間違いなく人生の大きな分岐点であり、自分の周囲で流れる歌たちが本当に好きになった年齢の時代であった。

 

昨日、最寄りの蔦屋書店に寄ったら、封が開いてないのに「80%OFF」のシールが貼られたCDのコーナーがあった。

そのワゴンの中に、「ラジオの時代 1975年」というCDがあった。

どうやら2013年に出たものらしい。

自分の誕生日近くにこんなCDを見つけるなんて、と思いながら、入っている曲名を見た。

和洋混在(?)の曲目が並んでいたが、その中に「我が良き友よ」や「22才の別れ」、「いちご白書をもう一度」、「今はもうだれも」、「卒業写真」などをも見ることができた。

このCDの1曲目が「タイムマシンにおねがい」というのは、なんだか意味ありげだと思った。

これは、私に買えということだな、と思い、18歳から半世紀経過の記念として、自分の誕生日祝いに買ってきた。

 

さっそく聴いてみると、名曲は50年たっても色あせないな、と思った。

それは、自分の人生を彩ってくれたものだからなのだろうな、きっと。

今年は、18歳の自分から半世紀、50年ということを強く意識づけ、当時の歌を思い出させてくれた誕生日であった。


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