今日、懐かしい木の実を見かけた。
それが、この写真にある木の実だ。
この木は、少年時代住んでいた、わが家の庭の一隅にもあった木である。
わが家では、この木の太い枝に、父がロープを結んでブランコを作ってくれた。
幼少の頃、よく弟とブランコ乗りをして遊んだものだ。
ところで、この木の名前は、漢字で書くとこんな字。
「榎」。
そう、この木は、エノキなのである。
このエノキの実が、実はさらに懐かしいのである。
私が育ったところには、エノキも多くあった。
今ごろの時期には、3,4mmの固く小さな実がなっていた。
その実を使って遊ぶのだ。
「えのみでっぽう」の弾として使うのである。
「えのみでっぽう」とは、「榎の実鉄砲」と、おそらく書く。
同級生たちは、「イノミデッポウ」と、訛って言っていたが。
細い種類の竹を使って、紙玉鉄砲のようなものを作って、その実を弾にして遊ぶのだ。
パンッといい音を立てて、実の弾丸が飛び出していく。
その音が実に気持ちのいいものであった。
私が子どものころ住んでいたところには、細い種類の竹がたくさん生えていた。
あの頃の男の子ならだれでも持っていた、鋸歯付きの肥後守(ナイフ)を使って、竹を切って、えのみでっぽうをよく作ったものだった。
竹のひと節を切り、筒の部分と柄の部分を作る。
柄の部分はやや短めに、筒の部分は長めに切る。
柄の部分にさらに細い竹を差し込み、軸を作る。
軸は、筒より1cm弱短く作る。
そうすると、圧縮された空気で弾が発射された後、次の弾が筒の先端に残ることになるのだ。
うまく作れた時はうれしかった。
パンパン音を立てて遊んでいたのが懐かしい。
今は、かつて自分が住んでいた集落にも、エノキの木はほとんど見かけなくなった。
当たり前のように、今は、えのみでっぽうを作って遊ぶ子なんか、いない。
50年前の遊びを思い出させてくれたエノキの実であった。
それが、この写真にある木の実だ。
この木は、少年時代住んでいた、わが家の庭の一隅にもあった木である。
わが家では、この木の太い枝に、父がロープを結んでブランコを作ってくれた。
幼少の頃、よく弟とブランコ乗りをして遊んだものだ。
ところで、この木の名前は、漢字で書くとこんな字。
「榎」。
そう、この木は、エノキなのである。
このエノキの実が、実はさらに懐かしいのである。
私が育ったところには、エノキも多くあった。
今ごろの時期には、3,4mmの固く小さな実がなっていた。
その実を使って遊ぶのだ。
「えのみでっぽう」の弾として使うのである。
「えのみでっぽう」とは、「榎の実鉄砲」と、おそらく書く。
同級生たちは、「イノミデッポウ」と、訛って言っていたが。
細い種類の竹を使って、紙玉鉄砲のようなものを作って、その実を弾にして遊ぶのだ。
パンッといい音を立てて、実の弾丸が飛び出していく。
その音が実に気持ちのいいものであった。
私が子どものころ住んでいたところには、細い種類の竹がたくさん生えていた。
あの頃の男の子ならだれでも持っていた、鋸歯付きの肥後守(ナイフ)を使って、竹を切って、えのみでっぽうをよく作ったものだった。
竹のひと節を切り、筒の部分と柄の部分を作る。
柄の部分はやや短めに、筒の部分は長めに切る。
柄の部分にさらに細い竹を差し込み、軸を作る。
軸は、筒より1cm弱短く作る。
そうすると、圧縮された空気で弾が発射された後、次の弾が筒の先端に残ることになるのだ。
うまく作れた時はうれしかった。
パンパン音を立てて遊んでいたのが懐かしい。
今は、かつて自分が住んでいた集落にも、エノキの木はほとんど見かけなくなった。
当たり前のように、今は、えのみでっぽうを作って遊ぶ子なんか、いない。
50年前の遊びを思い出させてくれたエノキの実であった。
ガキのいたずらに全力で走って追いかけてくる(陸上部顧問)ので逃げ切れるはずもなく取り押さえられて御用となるわけですが、みんな先生のことが好きでかまって欲しかったからだったのでしょうね。
楽しいエピソードの書き込み、ありがとうございました。なんだかほほえましいです。中学生でもこういういたずらっぽいいたずらができたのは、よき時代だったと言えるかもしれません。現代だと、大きい問題にされそうな気がします。先生をかまいたいし、かまっても許してくれる、という安心感がもてた時代だったと言えそうです。きっと、いい先生だったのでしょうね。