終戦から76年。
60代半ばの自分は、もちろん戦後生まれの人間だ。
とはいうものの、自分の年齢が上がるにつれ、近ごろは戦後から「わずかひと回り」しか違わないときに生まれた人間であると意識するようになった。
戦争の時代に「近い」時に生まれた人間と言えるのかもしれないとこのごろは思う。
昭和ひとケタ生まれの両親は、もちろん戦時中を生きてきた。
父は、15,6で兵隊に行くことを志願して入隊し、軍事訓練を受けた。
酒に酔って、そのころの厳しい体験談を、われわれ兄弟に語る時もあった。
母は、戦時中のことをあまり話すことはなかったが、女学校時代はほとんど勉強はなく、工場で働くなどの作業ばかりしていたと聞いたことはある。
そんな戦争を知っている父も母も、もうとっくにいなくなってしまっている。
今となっては、もっとたくさん話を聞いておくべきであったと時々思うこともある。
そして、太平洋戦争の話をたくさん書いてきた半藤一利氏も鬼籍に入ってしまわれた。
今月8月は、広島・長崎に原爆が投下された後、終戦を迎えた月でもある。
戦争のことを考え、半藤氏の本を読んでみるべき時ではないかと考えて、1冊、本を手にとった。
それが、「日本のいちばん長い日」(文春文庫)である。
本書では、8月15日をめぐる24時間を、1時間ずつ区切って描いている。
プロローグでは、ポツダム宣言の受諾の決定がなされる。
そして、8月14日の正午から本章が始まり、8月15日の正午までのことが書いてある。
非常にたくさんの実在した人物が登場するが、とても詳しく取材してあって、事実を正確に描こうとしている。
読んでみて、スムーズに8月15日の玉音放送に至ったのではなかったことがわかった。
それは、ポツダム宣言の受諾に納得しない陸軍の青年将校たちがクーデターを企てたからである。
玉音放送の内容が決まるまでのことや、クーデターがどのように進められたのかなどが細かく書かれている。
昭和天皇の国民に対する思いや、国を愛するが故の軍人たちの思いや行動は、それぞれに深いものがあった。
また、当時の陸軍大臣や陸軍の上層部の人間たちがもっていた軍人精神は、現代に生きるわれわれには想像しがたいものがあった。
クーデターが失敗に終わったが、1945年8月15日の玉音放送は、そんなバタバタによって、かなりギリギリのところで行われたものであった。
そのような事実は、今まで知らなかった。
終戦を刻んだ日の歴史の重さを、初めて知ることができた。
世界のあちこちで、自国や自民族、自宗派を第一とするが故の争い等が頻発している。
日本でも、戦争を知る人たちが、年々少なくなっていく。
史実に学び、平和を実現・持続しようとしていく姿勢をもって生かなくては、と改めて思うのだ。