kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

直虎が竜宮小僧になる時三十三

2017-08-30 17:48:55 | おんな城主直虎

 

 

 (8月29日 21時前の月) 

 

夕方からそうだったのですが、遠くの景色がぼんやりしていて、 

とっぷり暮れれば闇の中に、ぼんやりした月が見えました

 

 

 

” 宵闇せまれば 悩みは涯なし 

 

  みだるる心に うつるは誰が影… ”

 

(君恋し・歌、フランク永井)

 

 

その後の直虎を見ていて、こんな歌を思い出しました

 

 第34回 隠し港の龍雲丸 

 

 

無いものが見える

 

思いつめれば思いつめるほど、

 

見えるはずのないものの気配を感じる

 

これ、分かります

 

そして夢に出て来て、現実かどうか区別がつかない

 

これも分かります

 

直虎自ら、政次に止めを刺すなんて

 

とにかく、想像もつかない事が起きて、ただ、泣けるばかりでした

 

 

 

白黒をつけむと君をひとり待つ天つたふ日そ楽しからすや  政次

 

 

龍潭寺の昊天さんは

『良い歌ではないですか。あの世でゆるりと待っておるゆえ、案ずるなと』

 

また、傑山さんは

『鶴らしい』

 

この歌どう解釈すればいいのかと思っていましたが、これで分かりました

 

政次さん、直虎も碁盤を用意していつもの部屋で待ってるのですよ

 

当然のことながら、ものすごく苦しんでる様子です

 

直虎はまだ知らないけど、気賀のお城も危なくなってきたのです

 

この上、もし龍雲丸まで失うことになれば…

 

 

 

” …君恋し おもいはみだれて

 

    苦しき幾夜を 誰がため忍ばん ”

 

 

 

薄い影でもいいので、直虎の前に現れてあげて下さい、政次さん


 

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直虎が竜宮小僧になる時三十二

2017-08-25 17:07:36 | おんな城主直虎

 

 

第33回 嫌われ政次の一生

 

 

 

『俺は行かぬ、 俺一人の首でたくさんの血を流さずに済むなら…

 

それこそ、小野の本懐、 

 

井伊に嫌われ、井伊の仇となる

 

私はこのために生まれてきたのだ』

 

処刑を前に助け出しに来た龍雲丸に牢で政次が伝えた言葉、

 

この言葉で、南渓和尚や、直虎は政次の覚悟を思い知ったのでしょうか

 

でも、刑場に足を引きずりながら入ってきた政次と直虎の目があった時、

 

政次にためらいはなかっただろうか、

 

直虎も、やはり政次を救おうと思わなかっただろうか

 

……

 

残念ですが、

 

そもそも、史実として残されたものは、

 

今川の犬として井伊に入り、井伊を落とすことを目論んでいた

 

政次が、井伊を追い立て、井伊谷城を奪い城主となり、

 

わずか34日間、徳川家康が攻め来て捕えられ処刑となった

 

これが歴史上の小野但馬守政次

 

 

ドラマが、史実を変えてしまう事はありませんでしたね

 

少しは期待してたのですが…

 

≪政次が処刑されて死んだ≫

 

この主軸はそのままでしたね

 

ただ、おんな城主直虎の脚本家、森下佳子さんは

 

嫌われ政次にしなかった

 

政次を悪人にして地獄に送ることはしなかった

 

森下さん、ありがとうございます、です

 

 

人知れず大切な人を守り抜き、悪者になることもいとわない

 

まるで、竜宮小僧のように…

 

直虎に捧げる一生でした

 

とても切ない一生ですね

 

 

 

 

『地獄へ落ちろ、小野但馬、地獄へ

ようもここまで我を欺いてくれたな

遠江一、日の本一の卑怯者と未来永劫、語り継いでやるわ!』

 

『笑止!未来など元より、女頼りの井伊に未来などあると思うのか

生きぬけるなどと思うておるのか

家老ごときに、たやすくたばかられるような井伊が、

やれるものならやってみろ

地獄の底から…見届けて……』

 

ふたりの最期に交わした言葉

 

これが、

『我をうまく使え、我もうまく使う』

ということだったのでしょうか

 

 

最期まで心の中を見せなかった政次、

 

それはまるで子供の頃、腰にさげていた能面のように…

 

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時三十一

2017-08-22 16:16:15 | おんな城主直虎

 

 

 

白黒をつけむと君をひとり待つ天つたふ日そ楽しからずや  政次 

 

牢屋の中に、政次が残した辞世の句

 

 

天とは、

から、一生をかけて行うべき天命が与えられているというが…

 


 

碁を打つことで戦略を考えるふたり

 

この時間は政次にとってこの上ない喜びとなった

 

穏やかに、ありのままの自分で直虎に向き合えたのかもしれない

 

そんな思い出を胸に政次は、直虎を助けるため

 

自ら捕えられようと隠れ里を 後にしたのだろう

 

直虎は徳川軍に弓を引いた、政次を逃がしたという

近藤による策略で、捕えられていた

 

何とか牢屋から救い出そうと龍雲丸を呼んだ南渓和尚

 

『政次が死ねば、あれは死んでしまう…、翼がひとつでは鳥は飛べぬ

ふたりして落ち延び、そこで再起を計ればよい』

 

と、近藤との約束の政次を渡すことは実行しなかった

 

 

しかし、政次は自ら捕えられに来てしまった

 

自分一人の首と引き換えに、民や、井伊の館の皆が助かるのなら 

 

直虎は、悪態を突いてくる政次の真意に気付いたろうか…

 

信じろ、おとわ… そんな声が聞こえてくる…

 

なつが政次の着物の袖に見つけた、ひとつの白い碁石は、政次に

 

政次から龍雲丸に、龍雲丸から直虎に

 

受け取った直虎は考えた

 

『政次、我は何をすればいいのじゃ、今さらそなたに何を…』

 

政次はすでに、牢から助け出してもらう事を拒否している

 

『俺は行かぬ…、それこそ小野の本懐、

井伊に嫌われ、井伊の仇となる。

私はこのために生まれてきたのだ』

 

そんな言葉を、牢に助けに来た龍雲丸に政次は投げ掛けていた

 

政次の父、政直は

『おまえも必ず我と同じ道を辿ることになる…』

と言って、数日後、亡くなった

そんな、父の呪縛を解くことは出来なかったのか

 

 

南渓和尚は、『誰よりもあやつのことが分かるのはそなたであろう』 と

 

先のことを直虎に委ねた

 

直虎は、いつかふたりで交わした言葉を思い出していた

 

『我を上手く仕え、我もそなたを上手く使う』

 

直虎に、もう迷いはなかった

 

『私が送ってやらねば…』

 

 

 

 

あとは、もう文字には出来ません…

 

が、政次が本懐を貫いて、この世を去った証しに…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時三十

2017-08-19 19:02:53 | おんな城主直虎

 

第32回  復活の火 

 

 

直虎の書いた一通の手紙は、傑山により徳川家康の手元に届いた

 

” *井伊はまだ取り潰されていない

*虎松の首と偽り、どこの誰とも分からない幼子の首を差し出した

*今川の直轄になると見せかけ、徳川が攻めて来たら徳川に城を明け渡す

 

*その後、徳川方として井伊は挙兵し関口の首をあげ、徳川に差し出し、

徳川のもとで再興し、蘇る ”

 

この様な計画をしている直虎に、家康は興味を持ち、

一度会いたいとまで言ってくれた、

そんな返事を持って傑山は龍潭寺に帰って来た

 

 

しばらく連絡の取れていなかった直虎と政次

 

久しぶりに碁盤をはさみ、話し合う

 

もう井伊が今川にも振り回されず、復活できると、

 

安堵の気持ちも久しぶりに味わっていただろう

 

直虎は政次に井伊の城主に留まってもかまわぬ、と言うと

 

政次は、直虎のような城主は日の本のどこにもいない、

 

殿を降りる道など、もはや許されませぬ、と

 

 

暗い部屋からぬれ縁に碁盤を移し、ふたりは穏やかに月を見る

 

『もうじき陽の光のもとで、打てるようになるのう』

 

戦乱の中、束の間の安らぎの時間が流れていた

 

きっと、このまま、井伊は徳川のもとで蘇るのだろう

 

と思いきや、近藤康用(ヤスモチ)が家康に告げた言葉に事態は変わった

 

あの、近藤~です!

井伊の山から木が盗まれた時、同じく近藤の山の木も盗まれた

そんなことがありましたよね

犯人は龍雲丸でしたが…

そんなこんなで、近藤は井伊に恨みを抱いたままだったのですね

 

 

 

話を戻します

 

徳川と折り合いがついていると信じ、

 

城門の向こうから迎え出ようとした政次に矢が!

 

近藤、菅沼、鈴木、(後の井伊谷三人衆)

によって、政次は罠にはめられた

 

 

『但馬、罠じゃ、門を閉めよ!』 

 

 

政次は、上手く逃げることが出来るのか?

 

 

 

 

今まで、耐えて耐えて、嫌われ者を演じてきた政次だが、

 

それもこれも、井伊のため、如いては直虎のため

 

きっと、すべて直虎のためだったと思う

 

ここで、どうしても避けて通れない史実とされている政次の最期を書きます

 

” 城主だった直虎を失脚させて井伊谷城を専横した政次は

、その34日後に徳川家康の軍勢に攻め込まれると山中に逃亡し、捕えられて

処刑されたという

今、お墓は井伊谷川にかかる北岡橋付近にあり、ここは当時の

蟹淵刑場にあたる ”

 

確かに、龍潭寺には政次のお墓はありませんでした

 

弟の小野玄蕃のお墓はあったのですよ

 

間もなく、ドラマから政次はいなくなる…

これは、受け入れがたいですがほんとみたい

 

そんな~~

 

でも、政次悪者説に異論を唱える学者さんもおられるとのこと

井伊谷を専横は出来なかったと思われるとか、その他にも

 

徳川氏などの大義名分のため、政次を悪者にしたて

「井伊谷伝記」はかかれている、というもの

 

どうせなら、そちらを信じたいですね

 

ですからやっぱり、

おんな城主直虎のシナリオを見つめて行きたいと思います

 

 

 

永禄11年12月13日、

 

井伊谷の目付の三人を水先案内に徳川が井伊谷城に来たのと同じくして

 

奇しくも、今川館は武田に攻められ、焼け落ちました

 

 

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十九

2017-08-13 16:20:52 | おんな城主直虎

 

 

第31回 虎松の首

 

政次は刃を直虎の首にあてて、俺を信じろ、おとわ…

 

そう言われ、直虎は信じましたが、

 

それは徳政令を受け入れ、井伊がお取りつぶしになることでした

 

 

ひとまず井伊の隠し里に虎松はじめ、皆を逃がします

 

ところが、政次が、虎松の首を改めに来るようにと、まさか!

 

その柩に入った虎松の首と称するものは、厚化粧で、

 

一体誰の首なのか分からない状態でした

 

その事をまず、関口の家来が指摘しますと、

 

政次は、虎松は疱瘡にかかっていたので、かようにするのが礼儀かと、と

 

関口に言います

 

それを聞いた直虎と、南渓和尚は、事の顛末を察したのでしょう

 

政次の真実を見てとったのでしょう

 

直虎は、首に頬を寄せ抱きしめ、お経を上げはじめました

 

それに続き、南渓和尚も

 

虎松が、助かった

 

それだけではなかったと思います

 

どこの誰ともわからない幼い子の命が失われたのです

 

その子にとっては浮かぶ瀬もないこと

 

政次も耐えられないほど、苦しんだことと思います

 

短刀で幼子の命を奪った時、

 

さすがに政次の家来も驚いたが、政次は、

 

『関口殿もいなくなり、名実共に井伊が小野のものとなる、悲願じゃ』

 

『 地獄へは俺が行く 』

 

政次の顔を伝っていったのは、雨なのか、涙なのか

 

こうまでしてでも政次は井伊を守り、直虎を守りたかったのですね

 

しかし、どれほど辛かったことか

 

こんな政次に温かく接してくれたのが、年端もいかない、なつの長男の小野亥之助

 

『かけがえのない友を、かたじけのうございます』

 

龍潭寺で、共に学ぶ間柄ですものね

 

二人とも、父の顔も知らず育った者同士ですものね

 

虎松の首のことで事実を聞かされ、叔父政次の本心を理解した亥之助

 

この場面、じ~んときました

 

 

 

さて、

  

直虎が徳政令を出すことを同意した証しの書状を書く場面がありました

 

それには、直虎の「花押」が入っています

 

直虎の花押の入った書状は、ただひとつ、だそうです

 

ということは、

 

 

井伊直虎・関口氏経連署状

 

永禄11年(1568)11月9日付  蜂前神社文書

 

これは5月に行った「浜松地域遺産センター」に展示されていたものです

 

 

 

実際は、蜂前神社が所蔵するもので、これは?

 

本物かどうか、確認できなかったのですが

 

美しく力強い文字ですね、かっこいいですね花押って♪

 

本来、花押は男性しか使わなかったと言いますから、

 

一通しかないのも、うなずけます

 

 

以前徳政令を出されてから、二年目、結局出さねばならなかったのですね…

 

 

さて、これからが、大きな策略を実行する時ですね

 

真田丸の時も策略だらけでした。

 

生きるか死ぬかしかない戦国の世を渡るには、

 

策略でも、調略でも、謀略でも、進むしかない

 

今、城を追われたおんな城主直虎は、如何に石を進めるのか

 

龍潭寺で碁を打ちながら政次と策を練る事も出来ず…

 

ただ、虎松を大将とし、大将が生きることで井伊谷の皆が

 

生きる力をつけることが出来る、

 

それを信じて、直虎は虎松を守り育てることに命をかけるしかない

 

竜宮小僧は、出て来てくれるのか?

 

今夜のお話は、如何に

 

ではまた

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十八

2017-08-03 15:08:03 | おんな城主直虎

 

第30回  潰されざる者

 

 

 

 

 

 

『俺を信じろ。 信じろ、おとわ』

 

 

 第30回 「潰されざる者」は

切っ先を直虎の首元に向けた政次が、こんな言葉を低く言う場面で

終わりましたね

 

 政次は、一か八かの大きな賭けに出たようでした

 

すでに、こういう状況におちいることもある…と考えていたのでしょうか

 

井伊に関わることで、今川から政次に知らされていないことが

増えてきたことに気付き、橘の木の井戸のほとりで、

 

『ひとつこちらから、仕掛けてみるか…』

 

と言ってましたよね

 

そしてこの後はどう出るのか?

 

直虎を傷つけることは有りえないし…

 

とにかく、関口を使わし今川は井伊を潰して、井伊の領地を直轄にして

 

この先の近郊の大名の動きからして、三河をがっちり護りたい

(井伊はいつ寝返るか分からないからと、疑っているのでしょう)

 

これが狙いですし…

 

政次は、瀬戸、祝田の民百姓が

 

『徳政令は望まんに!』 と訴えに来ている今、

 

ある種、一揆を起こしている民百姓たちを捕えないから

 

徳政令を出すように、

 

そう、直虎に言うのかもしれないなあ~

 

あくまでも、表向きは今川寄りの目付の立場として…

 

来週が早く見たいです

 

 

  

政次は、方久も様子がおかしい、と見ていました

 

方久が氏真から何か言い含められていると感じ、賭けに出ました

 

龍雲丸の手助けもあり、方久が隠し持ってる今川からの書状を見つけ、

 

『徳政令を井伊に出し、潰したなら、瀬戸も祝田も気賀も安堵する』

 

そんな事を氏真が方久に言ってるのを知った上での政次の行動です

 

 

あの、死の帳面に書かれていた井伊直虎の名ですが、

 

寿桂尼は、直虎のふたごころも政次のふたごころも見抜いていました

 

ただ、他の城主のように、その場で討たれることがなかったのは何故なのか?

 

(それは、寿桂尼は、直虎に自分自身を重ねて見ていたのでは、

情が移っていたのでは…、と想像するのですが、どうでしょう)

 

 

政次は、今川にとって都合のいい存在という立ち位置を装っていましたが、

 

さすがの政次も、寿桂尼は欺けなかったのですね

 

今川家の全盛期を築き、女戦国大名との異名も取った人、

 

そんな女の一生を送った人ですから…

 

”わがむくろ うしとらに葬るべし

 

死してなを今川の家 護らん”

 

(うしとらの方角は今川の館の鬼門だったとか)

 

遺言となりました

 

 

 

ほんとに、寿桂尼は直虎にとって、敵だったのか、味方だったのか?

 

 

 

またまた、想像できないような何かが起こるのか…

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十七

2017-07-24 17:12:47 | おんな城主直虎

 

第29回  女たちの挽歌

 

挽歌、元は中国で葬送の時、柩を挽く者が歌った歌。

転じて、悲しみを歌った詩・歌・楽曲のこと

 

万葉集では人の死を悲しみ悼む歌

古今和歌集以後の哀傷歌

 

とありました

 

私は、挽歌というといちばんに、「石狩挽歌」を思います

 

” …あれから鰊はどこへ行ったやら

おんぼろろ おんぼろぼろろ… ” 

 

さて、戦国の女たちの挽歌は、如何に歌われたのでしょうか

 

 

直虎は戦をせずに済むようにと手段を講じ、

徳川に書状を出しました

 

『戦をここでとどめるというお考えはないか、

例えば、御家が上杉家と結ぶなどして…』

 

ところが、情勢は刻々と代わり、この書状は功を奏すどころか、

三河がもめる引き金となったというのです

 

こんな時に今川は大切な人をなくしてしまった

 

寿桂尼がみまかられたとの知らせが入り、

畏怖の念もあれば、敬愛の人でもある、

直虎にとってすべてだった人の死に、経を捧げるのでした

 

徳川に出入りしている山伏の松下常慶が龍潭寺にやって来て、

井伊は今川か徳川かどちらにつくかと迫られます

 

「人間万事塞翁が馬

禍福は糾える縄の如し

沈む瀬あれば浮かぶ瀬もあり」

 

すみません、しつこかったですね(^_^;)

 

事の発端は、直虎が徳川に出した書状だというのです

直虎が半ば仕方なく徳川につくと答えると、

常慶は、虎松の母しのを人質にと伝え、去って行きました

 

庭の暗がりの中でこれを聞いていた政次は

 

『勇み足になってしまいましたな』

 

しのに自分から伝えようかと言った政次に、直虎は自ら告げると

 

覚悟をしていた直虎に、しののののしりは覆いかぶさって来ましたね

 

『要するに殿が大それたことをおやりになったせいで、

私を人質にという話になってしまったということにございますか』

 

『何ゆえ、かような小さな国衆が戦の勝敗を動かせるなどと思うのですか

思い上がりにも程がございましょう

気賀が手に入り、図にのられたのではございませんか』

 

しのさん、言うよネ~

 

でも、覚悟はしてくれたようで、受けてくれました

 

が、それを聞いた虎松は、そうはいきませんでした

 

母は行きたくないと言っているから、取り消してほしいと、

子供ながらにも、たいしたもので、あの手この手を考えだし

母の人質となることを阻止しようと努力します

 

すごいですよね、賢いのですね、

私でも、私の息子でも、あんな知恵はとうてい浮かびません!

 

母しのも、この出来事をもう一つの大切なことのため、利用していました

それは、いずれ頭首となる虎松のため、

大切な人を人質に出さねばならぬということを考えるための機会だと、

そのため敢えて行きたくないと虎松に言ったのだと

 

転んでもただでは起きないしのさん、

直親、直虎、しの

この三角関係の時も、この方は直虎よりも強烈でしたものね

母となってもそれは衰え知らずです

 

一方、母の愛は揺るぎないものと伝えておきたくて、

虎松に心のよりどころをしっかり残して、人質として旅立ちました

 

そりゃあ、もう二度と会えないという事も考えなければならない世ですものね

 

ここにもまた、戦国の理不尽が…

 

しのを送る代わりにひとつ望みがあるとし、

徳川が攻め入った折り、城は明け渡す

その先、兵を出さない

井伊と気賀以上の安堵は望まない

 

目指すのは、喜びに満ちた日、

民百姓、ひとりたりとも殺さぬこと

 

 そう、直虎は常慶にしっかというのでした

 

 

こうして、しのは松下家へと旅立ちました

 

虎松はこれからは、直虎と同じ館で暮らすことになりました

直虎は、虎松の父として

 

 

 (於:龍潭寺)

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十六

2017-07-24 17:12:11 | おんな城主直虎

 

 

第28回  死の帳面

 

例の如く、この題名は何かのパロディやないか? と

 

黒皮の手帖? ドラマが始まると、

 

「デスノート」

 

そのまんまでした

 

そして、その死の帳面の持ち主は、寿桂尼

 

 

今回は、今川尽くしでした

 

寿桂尼さま、心の臓を患いながらも、今川家のため、

死の帳面をしたため始めたのですね

 

和綴じの、黒と銀鼠色がきれいに配色された上に金片を散らしたような

渋い帳面でした

この帳面の表紙、ほんとカッコいいですね♪

 

 

 

名前が書きこまれていましたが、そのひとつが

「×尾張国・知多~水野弥平大夫」

その名前の上に、真っ赤なバツ印

 

この人は別名水野忠勝、今川義元、氏真の2代に従った、戦国武将

また於代の方(徳川家康の母)は義兄

 

直接話をした寿桂尼は、今川に対する寝返りの兆候が見えたらしく

その場で、バッサリ、命を奪いました

 

 また、直虎の名前もありました

「×遠江・井伊谷~井伊次郎直虎」

   

井伊谷の城主であること

父は直盛、目付に小野但馬、

徳政令を無いことにしてほしいとの申し出を聞き入れたとのこと

みたいなことが書かれてあるのかな?

 

寿桂尼は、直虎を駿府に呼び、過去にあった直親の暗殺のことを

どう思っているか問うた

 

『家を守るということは、きれいごとだけでは達せられませぬ

大方様のなさったことを責められる者がおりましょうか』

 

『狂うてでもおらねば、手を汚すことが愉快な者などおりますまい

汚さざるをえなかった者の闇はどれほどのものかと』

 

この率直な言葉が、寿桂尼にどう響くか、心配なところです

 

その場では、寿桂尼は、直虎に過去を謝り、

これから先も今川を見捨てないでほしいと涙ながらに訴えていました

 

直虎も後見を許してもらったことや、

寿桂尼の書いた「仮名目録」が励みになったことを感謝した

 

のですが、やはり、表向きと本心は違っていました

 

直虎が娘だったらどれだけよかったか、と寿桂尼が思う分だけ、

直虎を敵にまわせば今川にとって良いことなどないと思うことなど

容易に想像つきます、私でも…

 

死の帳面に記されたことは筋書き通りに運ぶことに変わりはなかったのです

 

すごいな、戦国の世を生きる女性は…

 

井伊谷に戻った直虎は、

『それでも我らは寝返るのじゃの、すべての恩を忘れ…』

 

これが、井伊の判断でした

 

今川、武田、上杉、織田、徳川、北条

戦国ほぼオールスターキャストではないですか

 

この間を井伊はどう渡るか、南渓和尚、政次と直虎と、

話はもつれて行き、井伊は絶対戦を避けるはずが、

戦の真ん中へ引きずり込まれる可能性が濃くなって行きました

 

直虎、戦のこととなるとちょっと優しさが邪魔してるような…

 

政次、南渓和尚、全面的バックアップお願いしますよ!

 

 

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十五

2017-07-16 18:32:36 | おんな城主直虎

 

 

第27回  気賀を我が手に

 

 

『おとわが、気賀をとったぞ…』

 

 

 

政次は井伊家の始祖の誕生した井戸に、お神酒を供え、

井戸のそばにある橘の木に向かって静かに話しかけていました

 

おとわが、気賀をとったぞ、

この言葉は、誰に向けて言っていたのでしょうか?

 

きっと、亀の丞(井伊直親)だと思います

 

幼なじみの三人のひとり、井伊直親は今川から元康(徳川家康)と

内通しているのではないか?

という疑いをかけられ、今川のもとへ申し開きにいく途中、

今川の手の者に、不意を突かれて亡くなっている

それは、直虎がまだ、次郎法師として龍潭寺にいた頃のことでした

 

 

 

 

 辛いことばかりだったおとわ(直虎)に、ようやく明るい出来事がおとずれ、

難しい立場ながら、影から直虎を助けてきた鶴丸(政次)は、

幼かった頃の三人の絆を思いだし、亀に伝えたのでしょうね

 

 

 

そんな三人の様子をずっと見てきた南渓和尚も、

鶴は一番つらい立場のまま、

ここまで来たことを労をねぎらうようにそっと見やっているのです

…と私は思います

 

こうして、「堀川城」の城主となった直虎ですが、

ここに来るまでには、井伊の者たち、気賀の者たちの働きがありました

 

宗久が、城主となることを提案すると、時を同じくして

中村屋さんはじめ、気賀の商人たちも、お願いに来ていました

 

そもそも新しい城は、大沢基胤が兼任することになっていたのですが、

そこを、首をすげ替えようと、井伊家は考え、

方久は大沢を、政次は今川氏真を、説得に駆け回ったのです

 

大沢は、たくさんの城を兼任しているから楽をしたいらしい

氏真は妹の夫、武田義信が自害したことを聞き、自暴自棄になっている

こんなこと言うのは、ひんしゅくを買うかもしれませんが、

おかげで井伊に気賀を任せることは簡単に決まったのです♪

 

 

龍雲党は、城の普請をぜひやりたいと中村屋に申し出ていたので、

建築業者もすんなり、龍雲党に、 

 

ガッツポーズ!

 

 

 

堀川城

 

龍雲丸の考えた城は、ひとくちに行って、逃げるのに都合のいい城

元々盗賊ですから…ですって(^_^;)

 

満潮にならないと、城には近づけない

 

万が一、攻めて来れば、隠してある船で、裏から逃げる

 

そんな、水上の城郭でした 

 

 

直虎が、政次に感想を聞くと、

Good!

よかったですね♪

 

 

この堀川城は、都田川の現在のみをつくし橋の下流

浜名湖河口近くにあったのですが今は、ありません

 

 

みをつくし橋

 

この橋よりもう少し向こうだったと思います

 

 

気賀と関わりの深い、井伊家と気賀の商人たちは、これで、

今川の家臣に惑わされず、気賀に繁栄をもたらすことだろうと思います♪

 

さて、これで気賀はまずは落ち着きましたが、

武田義信の自害により、今川と武田の関係はどうなるのでしょうか?

 

時は戦国時代、

刻々と、世の中が変わって行きます

いつ命を落としても不思議でないのはすべての戦国武士です

 

ドラマも、中盤ですがこのあと、どう動いていくのか

 

今日、私は夜8時に見ます

 

ひと足はやく、BSをご覧の方、どんなですか?

 

ではまた

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十四

2017-07-06 14:28:08 | おんな城主直虎

 

 

敵に塩を送る

 

そんな言葉がありました

 

語源は戦国時代に端を発するとか

 

1567年、武田信玄は今川氏との同盟を破棄し、東海方面への進出を企てます

 

それに怒った今川氏は北条と結託し武田の領内に塩が行かないようにします

 

これが「塩留め」

 

海に面した土地の無い武田の民は苦しみました

 

この様子を見た信玄のライバル、上杉謙信

 

義を見てせざるは勇無きなり

 

謙信は越後から信濃へ塩を送り、武田氏とその領民を助けました

 

そこから、

たとえ敵でも、相手が苦しい立場にある時は助けてあげることを

 

「敵に塩を送る」 と言うようになったのだそうです

 

 

松山千春さんのコンサートで、本人がこの言葉を使ったことがあります

 

前日からの雨がやまないまま、野外コンサートを迎えたのですが、

リハーサルも終え、とうとう本番という時になって、空が晴れてきたのです

 

野外コンサートにとって、お天気は、どれだけ重要なことか

 

それで、

 

『塩を送ってくれた』 

 

天に?ライバルに?周りの人に?

 

ここまで来るのに、いい出会いも悪い出会いも和合も衝突もあったでしょうし、

 

今まで関わった人達みんなに、感謝してたのかもしれません

 

1982.7.24 札幌真駒内競技場でのコンサートの日でした

 

 

  

直虎に話を戻します

この塩留めから波及した危機を乗り越えたものの、 

気賀では尋常でないことが再び起きていきました

 

気賀の町

(セットですが、雰囲気ありますね) 

 

 第26回  誰がために城はある

 

 

 

「井」の字の焼き印のついた材木で

 

今川氏が気賀に城を造る話が広まってきました

 

龍雲丸としては、そんなことになれば気賀で商売をしようにも窮屈でならない

 

 

井伊は今までの恩をあだで返すのかと、怒鳴り込んで来ました

 

直虎が、今川に楯突く力など無いと言ったものだから

 

龍雲丸は、『何が世を変えるだ!』

 

と言い放つや、去って行きました

 

直虎は、何か力になってやれることはないかと考えます

 

 

政次に、あれこれ言えば、政次、堪忍袋の緒が切れたましたか、

 

『お前は一体どこの当主なのだ!』

 

 

この目線の先に何がある…

 

 踏んだ、

 

 

 

政次が直虎の打掛の裾を、バンッと踏みつけたものですから、

直虎は、その場に見事にこけましたね~

 

直虎はこのまま龍雲丸と仲違いのままになることは避けたい

 

政次はいつも龍雲丸にこだわる直虎を見るのが悲しかったかも

 

龍と鶴、恋敵ですから…

 

実は…私、気付いたのですが、政次は龍雲丸に相対する時、

 

凄みますでしょ?

 

気賀の龍雲丸のアジトに行った時もそうでしたよ

 

あのポーズそうですよね♪

 

右腕の手首辺りを、左から右に向けて突き出ている刀の柄(ツカ)に

だらんと乗せます (↓写真参照)

(何か前に段や台がある時は、そこに右足を乗せます)

 

 

こんな感じ?

 

ここは突っ張っておこう、てとこかな(^_^;)

 

直虎のためなら、なんでもします政次

 

 

とうとう気賀の町の人が築城反対派と賛成派に分裂です

 

(反対) 

城が出来れば当然武士の誰かが、もれなく付いてくるから

思うように商売も出来ない

 

(賛成)

そこを好機とばかりに城主候補トップの大沢基胤(モトタネ)に

上手く取り入ろうとする者

 

中村屋与太夫さん、そんな両派をいさめたがため、

両方からつまはじき、 方無しですね アラマ!

 

直虎は、ここで両派に文を出し集合をかけました

 

材木のことと言われれば、放ってはおけず、大手の商人に加え、

 

海賊、でもいい人の龍雲丸もやって来ました

 

やっぱり話はそう易々とまとまるものではなかったんですね~

 

会議を終えて、これ以上関わりようがないと

 

館に戻った直虎は六左や方久に泣き言ともとれることをぶっちゃけてます

 

『こ~~ん』

 

そんな中、金の亡者、方久は閃きましたね~

  

『もっと関わるという手はございませぬか』

 

他の役人が入る代わりに井伊が城に入れば、という案でした

 

思いのほかの方久の言葉に、直虎はどうするのでしょうか?

 

そこには大きな壁、駿府が立ちはだかっています…

 

 

直虎と政次、碁を打ちながらいいアイデア出してニャ~ン♪

 

ではまた

 

 

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