kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

じゃっどん西郷どん26

2018-09-22 18:30:28 | 西郷どん

 

 

第35回 戦の鬼

 

 

 

 

 

 

 

ここは「酢屋」

 

「近江屋」で暗殺される少し前まで、 

龍馬は幕府に狙われ、点々と住まいを変えていました 

 

酢屋の二階にも龍馬は住んでいました

京都三条大橋からさほど遠くない所にあります

 

そして、貿易・海運業を営んでいた「海援隊京都本部」でもありました

今は、一階が酢屋の木工芸品を販売し、

二階が「ギャラリー龍馬」として龍馬に関する資料を展示されています

享保年間から「酢屋」は材木商を営み、

今も千本銘木商会の名前で、JR二条駅の近くで材木商をされてます

 

 

大政奉還の成った頃、龍馬は近江屋という醤油屋に移っていました 

 

 

 

近江屋跡

 

近江屋跡(この2枚の写真は古いです)

 

慶応三年(1867)11月15日 暗殺される

 

あっという間に亡くなってしまうなんて…

 

 

 

 

龍馬の記した、新政府綱領(船中八策)

 

後ろから6行目

 

”〇〇〇自ら盟主となり…”

 

船中八策に、龍馬は誰を書き込むつもりだったのだろう…

「〇〇〇に誰が入るべきか」

西郷も桂も、龍馬を怪しむ反面、真剣に考え始めていたかもしれない

 

政治に関わるよりも、大きな船で世界中を駆け巡りたい

龍馬は、そう思っていた!

という意見に一票です

 

この頃の本当のことは、分かっているのか分かってないのか

文書もいろいろ残っているというのに

肝心なところが明らかになってないのは、誰かの都合で隠してるの?

誰?

 

よく言われているのが

 

暗殺の黒幕は?

「京都守護職」「紀州藩」「薩摩藩」

 

実行犯は?

「新選組」「京都見廻り組」

 

薩摩藩黒幕説はなぜか?

 

薩摩は武力による倒幕を主張

だが、龍馬の提示の策を元に大政奉還が成った

そうすると、薩摩の意に反し、徳川家が存続するかもしれないので、

龍馬が邪魔

それで人斬り半次郎こと中村半次郎が、実行犯か?

 

慶喜に関して、龍馬と西郷は意見が割れましたもんね

龍馬は寂しそうに、西郷どんから去って行きました…

 

他の説にも、それ相応のいきさつがあるとか

 

私には、何が正しいのか分かりませんが

ものの本に、ほぼこのように書かれていました

 

じゃっどん、西郷どん、優しいはずのあなたが戦に逸るとは

 

な~に しちょっとか 

 

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じゃっどん西郷25

2018-09-22 18:27:15 | 西郷どん

 

第34回 将軍慶喜

 

 

徳川の時代の2トップが、相次いで亡くなられました

 

14代将軍 徳川家茂

そして、孝明天皇

 

これを受けて、一橋慶喜が15代将軍に

天皇は、睦仁天皇へ(のちの明治天皇)

 

そしてこの人、坂本龍馬

もう時間がないと覚悟をしてしまっていたのか

 

 

 お姉さんの乙女(とめ)さん宛ての手紙の一節

     

「日本を今一度 せんたくいたし申候事に いたすべく」

      

日本を変えるという大志をお姉さん宛てに、簡潔に書いてあります。


また、


慶応2年(1866)1月 薩長同盟が結ばれましたが、その時の

龍馬による薩長同盟の文書の裏書です


Img_0011_3


薩長同盟が交わされた時、会合だけの密約だったため、

桂は西郷との間の密約を書き起こし、それに龍馬の記名を求め

龍馬は朱墨で裏書きしたのでした

2月5日付けで、書いています

よく分かりませんが、個性的な文字です

大胆な書きよう…

まるで、血文字…


     

数度に渡る戦闘で長州藩をたたいた薩摩藩

それはそれは長州藩の憎しみはどれ程のものだったかと思います

 

それでも新しい国づくりを成し遂げるには薩長両班が手を組むことが必要と、

龍馬は桂と西郷の説得に成功して、薩長同盟が結ばれたのです

大きな分岐点になったのではないかな      

 

それから、龍馬と言えば「船中八策」


坂本龍馬は土佐藩の重役、後藤象二郎 に「大政奉還」の提案を含む

政治綱領を託しました


土佐藩主は単独で、「大政奉還建白書」を将軍徳川慶喜に提出しましたが、

の大政奉還の建白書の元となったものが船中八策と言われています

龍馬と後藤正二郎が、帆船「夕顔丸」の中で、


”日本を今一度、せんたくいたし申候こと…”

との思いで、

日本の夜明けへの願いを込めた「船中八策」


それぞれの吐き出す幕末のエネルギーは、大きくなってきましたが…


あ~予告編、見てしまった…


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じゃっどん西郷どん24

2018-09-08 17:42:29 | 西郷どん

 

 

第33回 糸の誓い

 

やっぱり~~

糸さんは控えめで、西郷どんには、

三尺下がって師の影を踏まず

で、ただひたすら仕えるだけ? と、

ちょっと首をかしげていたのですが、

愛加那さんのこと、思い悩んでたのですね♪

 

そら~そうですよ

じゃっどん、糸さん偉いね~エライ!

西郷どんから、一度死んだ自分自身を生かしてくれた、

命の恩人だということを分かってほしい

 

この言葉だけで、

嫉妬していた自分が恥ずかしいって、切り替えれる糸さん

すごいなあ~

 

京から来たお龍さんに、糸さんはかなり刺激受けましたね♪

『二人とも、難儀な男に惚れたものやね』

添い遂げることを誓って、お龍さんが龍馬のあとを追うのを

見送りました

 

お龍さんは相当の度胸の持ち主で、糸さんがお龍さんみたいになったら、

西郷どんは…、  ひったまがったあ~!

ちゅうきに

 

三度目の結婚は、落ち着くところに落ち着き

なんちゃあ心配ないきに

 

 

昨年の春、句会仲間と伏見に吟行に行きました

と言っても、ほぼオフ会なので、お昼からちょっと飲んでる人もいて

6人でぶらぶらと伏見を物見遊山気分で♪

その時、龍馬が現れたと伝わる場所にも行きました

 

旅籠寺田屋(庭からの角度で)

寺田屋騒動のあった所

伏見の月桂冠や黄桜の記念館の近くにあります

 

 

 

 

旅籠寺田屋 (表通りからの角度で)

 

庭には、坂本龍馬にまつわる話が刻まれた石碑が、

倒れたのかな?

 

その横に、旅籠とここの女将のお登勢の由来を書いた石碑も

 

 

 この伏見の酒蔵が立ち並ぶあたりに、何本かの川があります

大体は、伏見から大坂への運搬船が通り、伏見港と呼ばれる

京都で重要な港でした(北は、高瀬川の二条辺りから運河が引かれていました)

 

その運河沿いに、龍馬とお龍の像があります

「龍馬とお龍、愛の旅路」と書かれています

ドラマでも、薩摩へ二人は行きましたが、

この旅は、一般に新婚旅行と言われています

 

このふたりの旅が、日本で初めての新婚旅行とされています

1500m~1700mの霧島山に、お龍さんも登ったとは、仰天!

ギネスに載ってるの?

 

昭和のしばらく、新婚旅行と言えば霧島や宮崎が人気だったとか

今の天皇と、美智子皇后が旅されたのも鹿児島や宮崎で

その影響と言われていますが、その前に、

龍馬夫妻が行ってたのですね♪

 

 

新婚旅行とは言いながら、実は、寺田屋で襲われた龍馬は、

銃を持っていた手に深傷を負い、

それを治療することと、襲撃から身を隠すため

安全と思われる、薩摩藩の領内に、一時避難だったのですね

 

 

 

すんでのところ、お龍の機転で逃げ隠れた材木小屋のあった所を示す、

石碑が、川沿いにありました

この酒造蔵のある川沿いに逃げたんだと思うのですが、

川が何本かありまして???

どの川か??? <m(__)m>

 

 

元気になって薩摩から京に戻った龍馬ですが…

明日の「西郷どん」、どうなるんでしょうね

 

そうそう、「半分、青い。」の律も手に怪我してました

はやく、な~おれ。

律役の佐藤健さんは、大河ドラマ「龍馬伝」の時、

岡田以蔵の役でした、人斬り以蔵

すごい俳優さん! と思った

余談でした(^-^;

 

 

 

刀痕は以づ古寺田屋宝柱  野風呂 

 

寺田屋の前の道沿いに立ってます↑

 

この旅籠の建物は、その当時のものではないはずで、

刀痕はないかもしれませんね

(入館しなかったので、はっきり分からなくて…)

 

 

花の命は短くて…

 

さて、 龍馬は  

 

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じゃっどん西郷どん23

2018-09-01 18:27:18 | 西郷どん

 

 

鹿児島中央駅の前に建つ、「若き薩摩の群像」

 

慶応元年(1865)異国へ密航した留学生、通訳の銅像です

五代友厚、森有礼、畠山義成、他14名

 

 

 

銅像はないですが長崎と土佐からの2名の名前が、銘盤にあるそうです

 

「西郷どん」 第32回薩長同盟

 

やれ、公武合体だの、やれ、長州再征だの

何と難しい話の多いことでしょ

 

でも、龍馬さん、ひとつの糸口を手繰り寄せましたよ♪

 

 

薩長同盟をなんとか実現させたい龍馬ですが、

このドラマでは、その決め手となったのは、

龍馬が、英国の貿易商のグラバーからもらった一枚の写真だったと思います

「遠い異国の地で、薩摩と長州の留学生同士が

友情を育んでいる」

と、写真を見せながら、龍馬が語りました

西郷どんは、

皆日本というひとつの国の人間だ、と気付く

龍馬は、

留学生のように、手を取り合うことが日本を救うことになる

 と言うことで、ようやく薩長同盟締結と、相成りました

 

なんだか、道徳のお手本のお手本みたい…反対はしませんけど

 

このシンプルな答えにたどり着くまでには色々ありましたね

 

英蘭仏の連合艦隊が兵庫沖に来たことを、慶喜が利用したり、

それを大久保が見抜いて、

「長州再征など勅命でない」を拡散させたり、

西郷どんと桂の間では、武器とお米の売買

これだけどろどろした中での、写真一枚からの逸話で決着

  

おやっとさあ~♪ 

 

犬猿の仲だった、薩摩と長州が仲良しになりました

 

 

坂本龍馬は、銃や大砲や、船や、大商いを勧めて、

上手くいきちゅうか~?

 

どうやら、こけてもただでは起きんタイプ?龍馬さん

でも、薩摩やの、下関やの、京都やの、出張続き

新幹線も、飛行機もないのに

 

おだれさまやった♪

 

応援しちゅうきに♪ 

 

 (おまけ)

 

上から小松帯刀、坂本龍馬、大久保利通、西郷隆盛、畠山義成、五代友厚

と大スターのポスターが♪

 

「ゆくさ おさいじゃした♪」

(ようこそいらっしゃいました)と、維新ふるさと館

・鹿児島市加治屋町にありました

西郷隆盛、大久保利通や、東郷平八郎まで、皆さん加治屋町の出身だそうです

 

維新ふるさと館 

 

甲突川にかかる南洲橋、ここを渡れば維新ふるさと館

 

甲突川

西郷どんがウナギを捕ってた川

 

糸さんをおんぶしたのも、下駄が頭に当たったのも、

離縁する初めの奥様を、見送ったのも

甲突川にかかる橋の上でした…

 

 

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じゃっどん西郷どん22

2018-08-03 19:05:46 | 西郷どん

 

 

 

出ました! 

 

西郷どんと坂本龍馬、会いましたね~

 

けんど、ちっくと出番が少なくないかね

 

じゃっどん、おはんは主役では、ありもはん

 

なんてことは私が勝手に言ってます

 

インパクトありますね

 

 

小栗旬さんの坂本龍馬、適役ではありませんか♪

飾り気がないし、無邪気だし、天衣無縫ってとこでしょうか♪

 

 

いいですね、坂本龍馬♪

 

実物は

 

 

じゃっどん、やっぱりここは「西郷どん」でございもす

持ち上げないと(^-^;

 

 

 

とても大きな背中、鎌倉の大仏さんを思い出します

 

このシーンは、禁門の変のあと朝敵の長州征伐の軍が出た時、

軍の総督である徳川慶勝が、煮え切らない中、

西郷どんは、戦わずして終わらせようと、

長州藩の入り口、岩国領、吉川監物のところへ

一人で乗り込んだものです

(ということは、錦帯橋の裏山の岩国城?)

 

男は度胸

内心、ひやひやだったかもしれませんが…

 

西郷どんの背中は、人間の大きさと優しさを感じさせます

島送りにされ、やっと薩摩に戻れて日も浅いのに、

西郷どんは、たいしたもんじゃき、龍馬さん♪

 

それから、これが西郷どんのほんと。ではないでしょうか

 

 お虎さんが心配してくれて、この笑顔

 

他の人にこんな顔見せてましたか?

愛佳那さんを見る時は、優しいけれど切なげで、

申し訳ない申し訳ないと、眼が言ってました

 

お虎さんとなら、しがらみから解かれて、

こんな安らぎの笑顔になるんだなあ~(@_@。

 

 

 

 

龍馬と西郷どん、どんな風に描かれるのでしょうね

 

今のところ、龍馬が、わんわん吠えてるかな?

勝海舟先生・命 みたいな

何しろ、海軍操練所で、勝海舟は軍艦奉行、

龍馬は教え子であり、護衛役ですものね

尾っぽ振って付いて行ってる感がまだあったかもしれません

 

 

一方、西郷どんは、薩摩藩の軍を采配してます

 

勝海舟は、龍馬に西郷どんにあった感想を聞いた

 

 

 

”大きゅう揺れちょりました

小そう打ったら 小そう響く

大きゅう打ったら 大きゅう響く”

 

勝先生に龍馬は言われましたね♪

 

”小さく打ったおまえがまだ小さい”

 

さてさて、周りの者は、西郷どんを大きく打つのか?

それとも、響くなよ、と、そっとして置くのか?

 

西郷どんには、勝先生は、こんなこと言ってましたね

”斉彬様ならこう言う…

幕府なんぜ、見限るこった”

 

 

もひとつ大事なことがありました

 

”これでもう、昔の縁は断ち切り申した

我ら、ここまででございもす”

 

 徳川の安泰だけを考えた慶喜は

時代おくれ

になってしまった…

 

きばったのう 西郷どん

 

はあ~今回は、中身がぎゅっと詰まってたです~(;´Д`)

 

  

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じゃっどん西郷どん21

2018-08-03 19:05:23 | 西郷どん

 

突然、居酒屋さんの写真、入ったことはないのですが

 

 

Img_4984_2

      

京都市中京区三条通木屋町西入る北側

 池田屋事件の跡の石碑(数年前に撮ったものです)

今、同じ名前の居酒屋さんがあって、

どんな方々が、どんな話をされてるんでしょ

 

     

元治元年(1864)6月、旅籠池田屋に集まった長州藩士らが

新撰組の襲撃を受け、多数の死傷者と逮捕者を出した


  発端は、当時倒幕派に場所を提供していた、

炭薪商の枡屋喜右衛門(古高俊太郎)が、新撰組に逮捕される

実は古高は攘夷派の志士であり、

古高を奪還しようと池田屋で会合をもっていたところに

新選組が襲撃したのであった


     

この池田屋事件をきっかけに、翌7月、蛤御門の変(禁門の変)が起きる

 

今回の登場人物、スポットが当たっていた人は

なんと、乞食姿で登場の桂小五郎

天下の桂小五郎もこんな格好して…

ちょっと切ないけどこの先の小五郎さんの変身に期待します


もうひとり、中村半次郎

西郷どんと同郷

子供の頃から、腕がたつ武士の子で、

っきれを刀に、大人を負かしてさつまいもを盗んでいったシーンがありました

あの剣法は確か、薩摩の「自顕流」でしたね


鹿児島市加治屋町の・維新ふるさと館にて


「野太刀自顕流顕・のだちじげんりゅう」

次郎少年は、このようには道場へは行けなくて、

自分で剣の腕を磨いたのでした


その後、極貧だった一家は夜逃げをしようとした

そんなところを西郷どんに見つかってしまった


幕末の武士は、仕事がなかった、

なにしろ戦が起きなかったから


そんな子が、京都で

「人斬り半次郎」の異名で恐れられるほどの武士になっていて、

西南の役まで西郷どんのそばに仕えたという、

幼い頃に受けた西郷どんの優しさを一生忘れなかったんでしょうね


でも、どこをどう京に来て、西郷どんに巡り合ったのか?

ドラマではちょっと分からなかった…

状況説明ありましたか? 私聞き逃したかな?


 

さて、吉之助は、どうしても戦を避けたかったが、

長州軍が御所に向けて進軍し、「禁門の変」は勃発した


薩摩、会津、桑名の諸藩、新撰組などの

公武合体派連合軍

長州及び諸藩浪士


蛤御門で、薩摩軍は長州軍の大将・来島又兵衛を討って

戦は一日で終わったかに見えたが、

慶喜は、天皇に歯向かうものを斬るようにと命じ、また、

幕府は、逃げようとする長州軍に火を放った

長州軍も自分たちの藩屋敷に火を放って逃げた

その二か所の火は大きく広がって、京の町を火の海にしてしまった

 

長州藩邸から出た火によって、京の町の多くが燃え尽きました

今この地は、京都ホテルオークラが建っています

また敷地内には、桂小五郎の銅像があります

 

他にも多くのお寺、神社も焼失しました

東本願寺、本能寺、六角堂、それに祇園祭の山や鉾が

それぞれの鉾町で、焼けてしまいました

山鉾には近年になるまで復興できなかったものもあったのです

「どんどん焼け」

京の町の人は、禁門の変による大火をこう呼んでいました

とにかく、どんどん焼け広がったからだそうです

幕末の動乱期です,市中そう簡単に被害から立ち直ることは出来ませんでした

その5年後には東京遷都が行われ,天皇はおられなくなるし、

京都の衰退は、留まることがありませんでした


京都は、どのように復興していったのか知りたくなりました

 

 

 

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じゃっどん西郷どん20

2018-08-03 19:04:51 | 西郷どん

 

西郷どん、舞台はすっかり京都になりましたが、

なんだか急に、有名人「西郷吉之助」になったように思えます

 

坂本龍馬も、桂小五郎も、岩倉具視も、そして、名もない志士たちも

みな、

「あの、西郷か」「あの西郷どんにお会いしたい」

という次第

その背景には、在りし日の島津斉彬公がいつもあるみたいです

斉彬公に認められた西郷どんとはどんな人物なのか、会ってみたい

そんなことが、囁かれていたそうな

 

あちこちに売り込んでおられたのですね、斉彬さん♪

こんな上司、いいですね~

斉彬公は吉之助に、自分自身を見ていたからなのか…

 

「斉彬公に吉之助は似てきやがった」

と言ったのが、ひー様こと一橋慶喜

 

ひー様は、煮え切らなかった

今の状況から逃げていた

開国すれば孝明天皇に背を向けることになり、

攘夷に走れば異国との戦争は免れない

 

西郷どんは、そんなひー様に、

「今こそ逃げずに手を取り合うべき、

徳川も諸藩も関係ありもはん!」

 

西郷どんの実行力でしょうか、

大きな心で世の中をよくしようという考え方でしょうか

とにかく、斉彬公に似て来たと、慶喜は感じた

 

数日後、慶喜の籠が襲われ、身代わりに平岡円四郎が殺された

それに怯え、怒った慶喜は薩摩藩と手を結ぶと決めるのでした

 

この、慶喜の籠を襲った犯人が思いもよらぬ者だったと分かり、

慶喜の心は、ぐっと動いたのかもしれません

 

じゃっどん西郷どん、その慶喜のその裏側に

何かがありそうな…

と、信じられなかったとは

 

私、疑ってなかったんですけど…

甘いですか?

 

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じゃっどん西郷19

2018-07-15 15:56:17 | 西郷どん

 

「いざ、革命へ」

 

 

いよいよ、坂本龍馬が登場しますね♪♪♪

 

じゃっどん西郷どん、龍馬は好かんと、? 

 

これから、幕末といえばこの人でしょ、という方々が出てくるようですね♪

勝海舟、桂小五郎、岩倉具視、

俳優さんも、

遠藤憲一、玉山鉄二、笑福亭鶴瓶、そして龍馬には

小栗旬

と、わくわくします

 

「西郷どんスペシャル」を見ましたが、

あの、磯田道史さんが、言っておられましたが、

 

龍馬は、うなぎ、ぬらりくらりと捉えどころがない

金言:変わることを恐れるな

 

勝海舟は、テキ、敵が大好物

金言:100%の敵も100%の味方もいない

 

岩倉具視は、ヤモリ、策をめぐらし這い上がる

金言:すべての未来は妄想から始まる

 

桂小五郎は、カメレオン、変幻自在に姿を変えて逃げる

金言:逃げるは恥だが役に立つ

 

とまあこんな具合に、いきなり、バッサリと斬っておられましたね

 

街角インタビューで、龍馬って何をした人?

と聞きますと、知らない人が多かったとか

 

坂本龍馬とは(磯田道史さんの解説による)

土佐の下級武士で、初めは外国人排斥の考えを持っていたが、

のちに、開国論に傾く

それは、おそらく勝海舟との出会いが影響しているのだろうと

勝海舟と、意気投合したのか、どんどん懐に入り込み、

知識を吸収していった

元治元年(1864)  江戸幕府軍艦奉行であった勝海舟の門下生として、

神戸海軍操練所の設立に尽力した

 

龍馬は海運の知識を得て、今の総合商社のハシリと言える、

「亀山社中」を起こし、銃などの売買に着手していた

「ミニエー銃」という一丁が十八両、数百万円くらい?の銃を

討幕派に売り、大儲けしている

この銃は、武士の世を終わらせた銃…と、磯田道史氏はおっしゃいましたよ

 

また、薩長同盟、船中八策など重要な役割を担った

私は、龍馬は幕末のスターという磯田氏の意見に一票です♪

 

とにかく、誰の懐にでも入り込み、知識を吸収してしまう、

柔軟、フリーランス、

だから捉えどころのない、ウナギのようだ!

ということだそうです

それから、「自分は運が良い」 と考えていたらしく

これは、かの、松下幸之助氏もそう言っているとか

でも、志半ば、近江屋で暗殺されて…

 

大河ドラマ「龍馬伝」というのが過去にありましたが

「龍馬点」ともじって、ブログに書いたことがありました

懐かしく思い出します

龍馬の夢って何やったん?

と思いました

決して、新政府のお偉いさんになって日本を動かすことではなかった

大海原を駆け巡り、色々な国を見て回ること

そうだったような…

今更いくら聞いても、答えてはくれへんし、

面白いこと考えてる歴史学者さんの話を聞いてみるくらいかな?

 

「西郷どん」では、また違う龍馬の登場でしょうね

 

そうそう、そうなんやもんね~と思うか、

違うやん!と怒るか?

どっちでしょうかね~(^-^;

 

じゃっどん西郷どん、おはんのことも応援してうよ♪

 

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じゃっどん西郷どん18

2018-07-03 19:08:20 | 西郷どん

 

じゃっどん西郷どん、

 

まこち、ひったまがったあ

 

その人生の壮絶さと言ったら、今までの西郷どんのイメージを

バンバン壊していってます

 

結局、3つの島に流されていたのですね

① 最初が、奄美大島(ま、救済処置でもあるとか)

愛加那さんと結婚して子供もできたのに、

② 薩摩へ戻る

 

次は、藩に逆らったとして、切腹を久光から言い渡された

しかし小松帯刀の助言のおかげで

③ 徳之島へ遠島

しかし、結局更に厳しい罰が与えられ

④ 遠い遠い沖永良部島へ

 

今、フェリーで行くと、大体ですが、

鹿児島~奄美大島 11時間

鹿児島~徳之島  15時間

鹿児島~沖永良部島 17時間

かかるらしい

当時、どんな船だったか分かりませんが、何日もかかったのでは?

ましてや、奄美には、1月に着いてるらしいので…

想像しただけで、生きた心地がしません

 

でも、西郷どんはどこへ行っても、温かい人が支えてくれる

結婚もしたし、

沖永良部島では、「土持政照・つちもちまさてる」

命の恩人でした

西郷どんの人柄が好きで、尽くしてくれました

義兄弟の約束までしたんですよね~♪

 

西郷どんはそれだけ皆に好かれる人だったんでしょうか

 

沖永良部では、大変印象深い人物が登場しました

 

ナポレオンです

ウソです(^-^;

 

川口雪篷(せっぽう)

この人は、10年前にこの島に流された、薩摩藩士

ドラマでは、お由良騒動の時にいわれのない罪を着せられ遠島となった

友が呼び戻してくれると思っていたが、叶わず、酔いどれています

 

しかし、この人の信念を西郷どんは聞いて、びっくりした

 

”ある人が言うておられた

「今は異国の強さを学び、日本を異国に負けぬ国にする時、

決して異国と戦うてはならぬ」と”

 

西郷どんは、斉彬の言葉だと分かった

 

また、雪篷は「大革命の英雄」ナポレオンが大好きで、

子供にナポレオンの素晴らしさを話したりもした

 

 

文久2年(1862)の生麦事件、それに端を発して起きたのが

文久3年(1863)薩英戦争、これはわずか2日で終結した

 

薩摩は、この戦争を期に、近代化の必要性を感じ、

開国論へと転換していくが、その時、西郷どんの存在を認めたのか

薩摩へ呼び戻されることとなった

 

 

 

 

 

 

西郷どん、愛加那さんのために、残ってほしかったなあ~

西郷どんが、安らかな日々を送ることが出来るのは島だと思ったけど…

島の暮らしは、一時の仮住まいでしたか…

西郷どんの大きな体には、大きな志があるんですね…

 

  

 

 

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じゃっどん西郷どん17

2018-07-01 18:06:37 | 西郷どん

 

 

 

京阪電車の中書島(ちゅうしょじま)駅で降りて

しばらく歩いたところに、寺田屋があります

 この旅館は、藩士たちがよく利用していました

ここ、京都の伏見は、その頃「伏見港」があり高瀬川で、

京都の町の中心に舟で行ったり

大阪との間の水運も発達していました

 

                                  2017.4.5 伏見

 

 

   ただ、寺田屋の建物は鳥羽伏見の戦いで焼け、今のはその後に再現されています

坂本龍馬ゆかりの地、ということで観光客も多い所です

周りには、酒蔵がいくつもあり、その見学と合わせて訪れる人が

絶えません

 

                             2017.4.5  伏見の酒蔵 

 

春には濠川沿いの桜並木が美しく、酒蔵に映え、

また、再現された十石船も情緒たっぷりです♪

 

 

 

じゃっどん西郷どん、びっくりしました

私が今まで「寺田屋騒動」として知っていたのとはまた違うことが

ドラマの中に展開されていました

 

それが、文久2年(1862)の寺田屋騒動

島津久光が派遣した家臣により、尊王派の薩摩藩士を粛清

 

あと一つは、慶応2年(1866)の寺田屋事件

坂本龍馬が伏見奉行所の捕り方に襲撃され、

お龍さんの機転で命からがら薩摩藩邸へ逃げ込んだ

ですが、この事件はもう少し先のこと

 

 

幕末の重大な事件が2度も、この寺田屋で起きていたんですね

いやあ~知りませんでした(@_@;)

 

西郷どんの深くかかわっていた騒動は、いわば仲間打ちだったのですね

久光が、倒幕に走る薩摩藩士を粛清ということですか

 

西郷どんが、血気盛んな薩摩藩士を思い留まらせるため

命令に背いて下関を離れたり、

倒幕を計画している他藩の者たちと会ったり

久光は、自分勝手な行動をすると怒り心頭

結果、西郷どんに切腹の命が下ったのでした

 

そして、徳之島へ、

更に沖永良部島へ、

遠島また遠島で、島の人たちも、もうこの人は助からないだろう…

 

吹きっさらしの牢に入れられ、それでも頑なに久光からの命令を守り

地の果てで、壮絶な年月を送る

 

”おはんにしかできんこつが、まだあっとじゃ  生きろ”

 

人間は、生きよう!と思うのと、もう死んでもいい!と思うのと

 

命を長らえるのに、ほんとに差はあるのでしょうか…

 

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