第35回 戦の鬼
ここは「酢屋」
「近江屋」で暗殺される少し前まで、
龍馬は幕府に狙われ、点々と住まいを変えていました
酢屋の二階にも龍馬は住んでいました
京都三条大橋からさほど遠くない所にあります
そして、貿易・海運業を営んでいた「海援隊京都本部」でもありました
今は、一階が酢屋の木工芸品を販売し、
二階が「ギャラリー龍馬」として龍馬に関する資料を展示されています
享保年間から「酢屋」は材木商を営み、
今も千本銘木商会の名前で、JR二条駅の近くで材木商をされてます
大政奉還の成った頃、龍馬は近江屋という醤油屋に移っていました
近江屋跡
近江屋跡(この2枚の写真は古いです)
慶応三年(1867)11月15日 暗殺される
あっという間に亡くなってしまうなんて…
龍馬の記した、新政府綱領(船中八策)
後ろから6行目
”〇〇〇自ら盟主となり…”
船中八策に、龍馬は誰を書き込むつもりだったのだろう…
「〇〇〇に誰が入るべきか」
西郷も桂も、龍馬を怪しむ反面、真剣に考え始めていたかもしれない
政治に関わるよりも、大きな船で世界中を駆け巡りたい
龍馬は、そう思っていた!
という意見に一票です
この頃の本当のことは、分かっているのか分かってないのか
文書もいろいろ残っているというのに
肝心なところが明らかになってないのは、誰かの都合で隠してるの?
誰?
よく言われているのが
暗殺の黒幕は?
「京都守護職」「紀州藩」「薩摩藩」
実行犯は?
「新選組」「京都見廻り組」
薩摩藩黒幕説はなぜか?
薩摩は武力による倒幕を主張
だが、龍馬の提示の策を元に大政奉還が成った
そうすると、薩摩の意に反し、徳川家が存続するかもしれないので、
龍馬が邪魔
それで人斬り半次郎こと中村半次郎が、実行犯か?
慶喜に関して、龍馬と西郷は意見が割れましたもんね
龍馬は寂しそうに、西郷どんから去って行きました…
他の説にも、それ相応のいきさつがあるとか
私には、何が正しいのか分かりませんが
ものの本に、ほぼこのように書かれていました
じゃっどん、西郷どん、優しいはずのあなたが戦に逸るとは
な~に しちょっとか