時々、訪問させて頂くぴんくリーダーさんに頂いたコメント、
『源氏物語ゆかりのお寺のことを知りたい』に、お答えして
「清凉寺」のこと、少し書かせて頂きます。(ぴんくさん、遅くなりました)
(http://blog.auone.jp/fl3585uco/)←ぴんくリーダーさん
> 光源氏のモデルとされる源融の山荘があった所でした。(写真は現在の山門)
お邸は京のまん中、山荘は別荘として、嵐山の船遊びなどの時に利用していたのですね。実に優雅で風流な平安貴公子です。まあ、嵯峨天皇の子ですから当たり前ですか…(^_^;)
この、”船遊び”の模様は5月の第3日曜日に「三船祭」として再現されます。(車折神社の祭事)
嵐山渡月橋付近で”龍頭鷁首”(りゅうとうげきす)の船の上で”雅楽”や”胡蝶の舞い”が奉納されたり、”扇流し”が行われます。
この優雅なお祭りの中、観客は”扇流し”された扇が岸に流れ着くのを待って、激しい争奪戦が繰り広げられます。私は以前、扇に手を伸ばしたがために、ちょっと段の高い岸から「ドボ~ン」と川に落ちられた方を目撃したことがあります。(光の君よりも水も滴るいい男性になられました(^_^;))
>融公の没後、寛平7年(895)、阿弥陀堂を建立し、棲霞寺(せいかじ)と号し、阿弥陀三尊像を本尊として祀ります。(本尊は国宝)
この阿弥陀さんのお顔が融公の顔に似せてあるそうです。
>天慶8年(945)重明天皇が、新堂を建立。僧、奝然(ちょうねん)が、宋より招来した釈迦如来像一体を安置する。こちらは、お釈迦様のお顔だそうです。
これより「五台山清凉寺」と呼ぶようになります。
”五台山”を勅許により号され、格式高いお寺になります。
この釈迦如来像は、”五臓六腑”を持つ仏像として有名です。(国宝)
昭和28年、レントゲン撮影により体内に絹製五臓六腑が、額には銀製の仏様、目には黒水晶、耳には水晶がいれてあることを発見。解剖学的にも貴重な資料とされます。千年以上前の中国の医学の進歩は凄かったんですね\(◎o◎)/!
(写真の五臓六腑、どれが心の臓で肝の臓で??)
三国伝来(インド→中国→日本)の釈迦如来です。ヒマラヤ越えです。(ヒマラヤ、3回言って下さい。……、世界で一番高い山は) ふるッ(^_^;)
清凉寺(浄土宗)の年中行事
3月15日:お松明式(おたいまつしき)
まだ寒いこの頃、夜8:30より大松明に点火されると、空高く、火柱が立ち上がります。火の勢いは、恐ろしい位に激しいです。
4月8日:花まつり
白い模型の象といっしょにこども達がお花を持って練り歩きます。私も甘茶頂きました。(ホントに甘い)
4月(日時未定):嵯峨大念仏狂言
11月第2日曜日:夕霧祭
江戸時代の島原の太夫、夕霧さんの供養祭。島原太夫による太夫道中が境内にて行われます。お墓が境内の墓地にあります。(お墓は見ることは出来ません)
今、光の君、源融の生きた頃の栄耀栄華を偲ぶものは無く、境内の片隅に融公の墓とされる石塔がひっそりと、安置されています。(合掌)
追伸:先日ご案内しました、”湯豆腐竹仙”はこのお寺の”お茶所”だった所に出来ました( ^^) _U~~