久しぶりの夕焼け
湖面が夕日で赤く染まっています。
この分だと、きっと瀬田の唐橋辺りも赤く染まっているはずです。
「近江八景 勢多の夕照・せたのせきしょう」
ここからは、見えません、橋も瀬田の唐橋ではありません。
ひとつ前の写真から向かって右にカメラをずらしました。
比叡山です。
山頂からの眺めはどんななのでしょう。
明日、晴れたらいいね
久しぶりの夕焼け
湖面が夕日で赤く染まっています。
この分だと、きっと瀬田の唐橋辺りも赤く染まっているはずです。
「近江八景 勢多の夕照・せたのせきしょう」
ここからは、見えません、橋も瀬田の唐橋ではありません。
ひとつ前の写真から向かって右にカメラをずらしました。
比叡山です。
山頂からの眺めはどんななのでしょう。
明日、晴れたらいいね
九度山での蟄居生活から11年、昌幸は病死しました。
最後に叫んだ言葉が、親方様(武田信玄)。
九度山を降りて、上田に帰る夢を抱きつつ…
秀吉に「表裏比興の者」と言わしめた昌幸ですが、
それは、死ぬか生きるかの戦国時代に真田を残すためという
一本の筋が通っていたと言えます。
二度にわたる上田合戦で、徳川の大軍に勝利。
その間、織田、北条、徳川、上杉、豊臣など、次々と主君を変える。
など、知略を持って真田を守ってきた。
あきれるほど、憎たらしい。
でも憎み切れないんですよね。
大博打じゃあ~の口癖もあっけらかんとして。
確かに、「真田」は残りました。
九度山で生活する真田の皆さんに比べ、昌幸の奥方の薫様。
江戸で、けっこう気楽に過ごしておられたような。
でも、これで良かったのかもしれません。
残った信繫、台所事情が大変な中、様々なコトを考えておられます。
ひょっとして、「武士の家計簿」も付けてたかな、んてね。
「真田紐」 と言うものを考え出したのですね。
サナール転じて真田紐。
番組の後の紀行集の時映った真田紐と比べると、ドラマの中の真田紐は
折り方も荒く発色も地味でしたが、とても味があって、私も
「一本おいくらですか?」
なあんて、聞いてみたかった。
ね、佐助さん♪
真田丸、私は楽しみにしてる事があるのです。
それは、ドラマのそこここに散りばめられた、会話の中に
歴史的会話に混じって、その時代、こんな事は言わんやろ~
と言うようなセリフです。
例えば、九度山に訪ねて来た信之に、信繫が父の形見の
戦略の奥義を記したものの束を見せた時、
理解不能的なマークばかりで書いてあることに
『全部こんな感じか?』
『全部こんな感じです。』
兄さん、弟さん、真面目な顔してしれ~っと言うなんて。
真田紐検査後の佐助も。
貧しいながらも、戦もなく常に家族が一緒に暮らしていられる、
そんな九度山の生活は、信繫、人生の中で
いちばん穏やかな時だったのではないでしょうか。
武田信玄が亡くなり、迷走を始めた頃、その渦中で信繫は、
たとえ領主が変わろうとも、信濃の山々は変わらずそこにある、
その景色が好き…
九度山より信州の方がいいに決まっているけれど、
束の間の安らぎを九度山での暮らしの中で、感じていたのではないかと。
息子との険悪な感じも解消したのですし。
そんな時に、あの編み笠の武士は何を伝えに来たのか?
宇喜多さんということは豊臣方?
いったい誰が使わした者なのか?
まさか、蕎麦がき買いに来たわけではないだろうし…?
また来週見ましょ♪