南渓和尚が手を打ってくれたことで、おとわが今川の人質から解放されました。
が、南渓和尚の提案で龍潭寺に入り修行をすることになります。
名前は 「次郎法師」
でも…
井伊存続のため得度すると言った舌の根も乾かぬうちに
禅寺の厳しい修行に根を上げ、脱走!
でもまあ母上様、なだめつすかしつ、おとわをお寺に帰らせました。
南渓和尚は、次郎法師をがんじがらめにするのではなく、
少し泳がせて、自ら考え行動させるように仕向けていました。
さて、
どんなことが起きて、どんな風に解決するのか?
と私、見ておりましたが、なるほどね。
南渓和尚が 「托鉢」 を促しました。
ここでまた、『竜宮小僧』 のお話になりました。
伝説の中の竜宮小僧は心優しい妖怪で、
そっと現れて、そっと人助けをしておいてくれるという。
おとわは、亀ちゃんの竜宮小僧になって助けると言ってました。
和尚さんは、竜宮小僧になりたければ、竜宮小僧の様に振る舞えと。
素直に聞き入れ市に行き、水汲みをそっとしておき、
お餅?お焼き?のお店のおじさんから、食べ物を頂くことに成功。
第一関門、突破!
そうそう、こんな言葉が出てきてましたね。
” 一日作(な)さざれば一日食らわず ”
唐の禅僧、百丈の言葉だとか。
私にも分かり易い言葉です。
「働かざる者食うべからず」 ですね。
また、僧侶が食事をする時、ごはんを一口食べては、
数粒のごはんを除けていましたが、
” 餓鬼道に落ちた者に施すのが僧の務め ”
これを 仏教儀式の「施餓鬼」 というそうです。
この動作ですが、
禅宗では、毎食の前に「生飯~さば」という作法をします。
お茶碗から7粒ほどお米を取り分けて、手のひらで3回まわし御膳の隅に置く。
食後回収して餓鬼に施す。
知りませんでした。
また、「餓鬼道」 とは、(飢えと渇きに苦しむ世界)
「六道」のひとつで、他に
天道 (苦しみがほとんどない世界)
人間道 (苦しみと楽しみが混ざっている世界)
修羅道 (争いが絶えない世界)
畜生道 (獣や虫に身を落とす世界)
地獄道 (極苦の世界)
と怖いですね。
ラストシーンで、成長した次郎法師が現れましたね。
南渓和尚は 『蝶よ花よと育てる者ではない』 と言ってました。
『女子にこそあれ次郎法師』
蝶の様に花の様に、なんとも美しい次郎法師
男子ならずとも、ワクワク致します。
ではまた、井伊谷にて
三人には楽しませて頂きました、ありがとう。