西郷隆盛は、名前を何度か変えています
奄美大島に潜居させられた時は、菊池源吾
大久保一蔵(正助)によって薩摩に呼び戻されると、大島三右衛門
大きな転換点に立つごとに変えていきました
その名前ごとに納得できないことを、西郷どんはしている
と、私は思っています
「西郷吉之助」の月照さんとの入水
どれほどの決心だったのか分からないけど、自分だけ生き残るなんて…
無念な思いだけが残ったのでは
「菊池源吾」の奄美大島の娘との結婚し、結局は別れの時を向かえた…
アンゴのままのほうが傷を深くせずに済んだかもしれない
そんな気持ちでドラマ「西郷どん」を見ています
西郷どん、まこち、腹立たしか気持ち分かってくいやんせ
結局大久保によって奄美大島から薩摩に呼び戻された…
呼び戻されたことを私は諸手を挙げて喜べなかったが、
西郷どんは、薩摩にとってどうしても必要な人、と大久保は言ってるけど…
腐敗の進んだ幕府は一向に改善されず、
不満の声は倒幕へと、藩士たちを逸らせたのでした
大久保一蔵は、
血気に逸る若い薩摩藩士をいさめることが自分では出来ないと、
西郷どんを薩摩に帰還させることに手を尽くしたのでした
西郷どんは、生前の島津斉彬に大いに期待されてました
「明日からおまえが我になれ」
とまで言われてました
西郷どんは太かお方でごあんそ♪
まずは、薩摩の若い藩士、その中には弟の西郷もいましたが、
説得をなんとか聞き入れてくれました
倒幕のために京へ向かって倒したところで
そのあとは誰がどうする?この日本を!
説得力がありました
斉彬公なら、日本を腐敗から救う術があったかも…
早逝が悔やまれます
じゃっどん、西郷どん、若者を説得したまではよかったけれど、
国父となった島津久光が!
「幕政を正し世の中を変えてやる」
と意気込んでいた久光に、西郷どんは久光では無理だと
正面切って言ってしまいました
それはそれは、大久保さんも焦ったでしょうね
西郷どんは、更に
久光には幕府にも他藩にも同志がいないとか、
慶喜たちに会ったこともないとか、言い放つ始末
これが、西郷どんの一本気なところなのでしょうか?
何だか、悪い予感がします
薩摩を出たことのない久光ですが、「地ごろ」扱いされたと、
激怒です
斉彬のいた頃、久光は斉彬を慕っていましたし、
その才能には尊敬の念を持っていたのに…
確か、お父さんの斉興に斉彬のようにはなれないとか言われ、
自尊心をずたずたにされたことがありましたが、
あれから、荒んできたかな
さあ、西郷どん、久光がどう出るのか
ただでは済まないでしょうね
せっかく薩摩に戻れたのに、どうなるのやら
次々、南国にやって来る台風のように振り回しますが、
西郷どん、気張いやんせ!
ところで、この頃島津藩は斉彬の造った集成館の事業が
上手く行って、武器をはじめいろいろな物を造っていたとか
そのおかげで、久光は京へ兵を送れたようです
先日鹿児島へ行って、集成館の跡を見ました
島津氏の館、「仙厳園」の一角に
第28代島津斉彬公は、日本最初の洋式工場群を設置しました
今は、「明治日本の産業革命遺産」として
世界文化遺産に登録されています
尚古集成館 本館
「旧集成館機械工場」です
今は島津家八百年の歴史文化を紹介する博物館になっています
尚古集成館の別館です
島津家代々の当主が紹介されたり、
今も残る美術品などが展示されています
集成館は撮影禁止で、残念でしたが、さすが、江戸時代の大藩
素晴らしい調度品、書画などがいっぱいでした
本館のほうは、大きな機械から、小さな機械まで、
こちらも、立派なものでした
武器にも力を入れていたのが分かります
というか、武器がいちばん、だった?
大変失礼な言い方ですが、日本の南の端の方の藩なのに、
これだけのものを揃えるだけの莫大な力があったのですね
すごいです
今度は、その薩摩藩の財力の源について、勉強してみたいと思います
では。