青天を衝け
第三回 栄一、仕事はじめ (その2)
”青は藍より出でて藍より青し”
中国の荀子さんとか言う方がおっしゃったのだそうで
てっきり日本で生まれた言葉と思ってました
中国はこれに関わる本が散逸してしまっていたそうで
それが金沢文庫に一冊あった
日本の文化的財産が外国に流れていて、日本はどないやねん
と思っていましたが、その逆もあったんですね
”学ぶ時は自分勝手でなく、信頼できる師のもとで
且つ、正しい礼を学び身につけて
そんな君子をめざそう!”
みたいな、
表現が幼稚ですみません
時代変われば考え方も変わりますし…どうでしょか
ま、そんな偉いお方の言葉にも用いられた藍
好きな色です
あのお蚕さんが出てこなくてさみしいですが、
一段落したのでしょうか
渋沢さんちでは藍の葉を「すくも」にして
そして、すくもを江戸の紺屋さんへ買ってもらいに
渋沢さんちは、栽培~加工~販売
一貫して扱ってるのですね
栽培だけに終わらず、その先の商いも携わっていたのですね~
その最後の販売に、栄一は初めて、お供させてもらえた♪
家業を継ぐのを嫌う跡取りも多いのに、
栄一は父親の仕事の全てが好きみたい
江戸城下に、藍問屋の集まっている紺屋町へ来ました
川の水に晒していますね
京都に堀川という川がありまして、子供の頃
友禅の染め上がった生地を川の水に長く流して洗っているのを
見たことがあります
川の水に色とりどりに染まった生地が揺れるのは
きれいでした
でもこの光景はあっという間に見なくなりました
染料が流れ落ちてそれで川が汚れるのが駄目になったのだと思います
鴨川もそんな風でしたね~
ずいぶん昔の話です
例えば「両替」「釜座」などの町名や通り名が京都に今もあります
東京にも紺屋町という町名は残っているのでしょうか
そんな、紺屋町を見て栄一は、
この町は商いで出来ている、お武家様は脇役
なんて大きな声で言うものですから、
ひとりのお武家さまに聞かれてしまいましたね
三十六計逃げるに如かず
今では
逃げるは恥だが役に立つ
なんて言いますから、いいではないですか
このお武家さまが、「直言の臣」ですね♪
この紺屋町の遥か彼方、うんと高い所に見えたお城は
江戸城
慶喜は、病床に臥している義父の家慶を見舞っていました
栄一が江戸から帰って来て3か月
かわら版がスクープを
「黒船来たり」
栄一の通う道場も、黒船だ、ぺルリだと炎上
しかし血洗島に切羽詰まった、
それこそ村の皆の生き死にに係るくらいの大変なことが起きた
藍が虫にやられちまった!
もう収穫間近なのに
栄一の父は、上州や武州に買い付けに行くことになった
しかし、栄一は連れてもらえなくて、
「あてにされねえのは淋しいもんだに」 とがっかり
一方
「あてにされても困るのです
私にはこの先、将軍になる望みはございませぬ」
この世は思うようにはいきませんね(^-^;
嘉永六年(1853)六月二十二日
十二代将軍家慶、逝去
江戸城では、緊急会議
福井藩主、松平慶永(春嶽)が慶喜を目で追っています
慶喜、自分の意志ではないものの将軍の座へ近付いてゆく
栄一の、仕事はじめ、買い付けは、父に高評価
遠く離れた所で、このおふたりは、次のステージへ
快なり快なり~!