手前の賤ケ岳の頂上から北を見下ろすと余呉湖
反対に南を見下ろすと琵琶湖です
頂上から湖が二つ見えます
今回は「賤ケ岳」がドラマに出て来ました
地図で余呉町の南の端が余呉湖なんですがこれでは分かりませんね
申し訳ありません
信長の仇を討ったのは
羽柴秀吉だった
「中国大返し」と言われる驚異的な動き
毛利攻めをしていたさ中、知らせを聞いて京へ
それも毛利と和睦しておいてからの
三万の兵を連れてという、G難度級の大技
ひねってますね~
ん~、戦っていた相手と
そんなに簡単に和睦できるくらいの戦なら
始めからしなくてもいいのに、やっぱり領土拡大のためだったですか
信長亡き後の体制を話し合う「清須会議」が開かれた
既に、秀吉が先輩風吹かしてますけど
柴田勝家
羽柴秀吉
丹羽長秀
池田恒興
この四人の合議であって
家康は参加出来なかったのでしょうか
決定事項を承諾しただけとは何故かなあ~
家臣ではなかったのでしたっけ?
決定事項
1:亡き信忠の嫡男、三法師を当主とする
2:成長するまでは、家臣が
秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興が政を支える
なんと言っても、お市さんは立場が苦しくなったでしょうね
そして、柴田勝家と結婚
秀吉の動きに警戒してのことなのか
戦国時代に一番輝いた三姉妹、出て参りましたね
長女、浅井茶々(1569~1615)淀君とも
出身 小谷城(現長浜市にあり)
父 浅井長政 母 お市の方
茶々の表情から、心に闇を持ってるようです
父長政は伯父信長に攻められ自害
その後、あちこちで保護されのちに信長の岐阜城へ
本能寺の変の後、母は柴田勝家と再婚
越前北の庄城(現福井市)へ
義父勝家が秀吉との戦に敗れ,お市の方と勝家は自害
三姉妹、秀吉の保護下に
こんだけ、大人に振り回されれば、幼いこころは
絶対傷つきますよね
そして、三姉妹は強くなり歴史に残る三姉妹となりました
この先、「どうする家康」でも三人のことは取り上げられるでしょうね
どのように描かれるのか、そこが問題
伊賀越えのあと城に戻った家康ですが
本多忠勝が、怒っているのを家康は見て取りました
忠勝「出陣していれば明智の首を捕り、しいては天下もとれたはず
それをなんでもたもたしておられたか、知りたい」
相手が殿でもズバッといいますね、忠勝さん
家康「他に成すべきことがある、目下の難題は、隣国
甲斐、信濃、上野、旧武田領だ
この三国を北条より先に手に入れること
秀吉はお市様に任せてその間に
揺るぎない実力をつけよう、さすれば
天下も自ずと近づいてくる」
昔、窮地には必ず助けに参ります
というようなことを、お市さんに言ったその口で
お市様は秀吉に任せて徳川の実力アップに力を注ごうとは!
あかん、お市さん家康はあきません
真っ直ぐ!がありません
さて、本多正信も加わり、隣国を北条から奪取する話が進む
最中に、井伊直政に思いがけないことが
武田敗北の中から召し抱えた武田の兵を直政に預けると言う家康
直政は嬉しそうな表情、まだ幼さの残る顔
家康は、その中に光るものを見つけたんでしょうか
その兵の居る辺りは、井伊家と関わりのある所
直政に地の利があると、見込んだかもしれません
うんジモティ、地元ですから
井伊の赤備え、そのルーツは武田の赤備えだったのですね
関ケ原の合戦で直政率いる赤備えの兵多数
屏風図でよく見かけますが
これはもっと先に延ばしてもらって、直政の活躍を
たっぷり見せて下さいね、小沢良太さん♪
隣国三国、そこにはつわものがいます
上野の真田氏
相模の北条氏
家康は真田氏を抱え込んだ
続いて、北条氏が和睦を申し出るまでに追い詰めた
家康、強くなりました
それもこれも、信長に鍛えられた故、かな
しかし、そんな中、足元に火が付いた
羽柴秀吉 VS 柴田勝家
秀吉と織田信雄
勝家と織田信孝と三法師
このメンバーで始まった
秀吉が長浜城、さらに岐阜城を落とした
そして、決定的なのが
「賤ケ岳の合戦」
びわ湖八景の一つ「新雪賤ケ岳の大観」
今も冬は雪深い所です
琵琶湖の北側にある余呉湖
琵琶湖と余呉湖の間に賤ケ岳がある
そこにて柴田勝家は、能登の前田利家の裏切りを受け敗戦
越前の北の庄城へ撤退したが、秀吉に敗れた
勝家は、お市と共に自害、三姉妹は秀吉の元へと行きました
悲しい、三姉妹
秀吉のハラスメントがこわい