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どうする家康 第32回小牧長久手の激闘

2023-08-27 17:11:04 | どうする家康

 

 

小牧長久手の戦い

 

天正12年(1584)3月~

 

徳川家康と織田信雄連合軍  VS  豊臣秀吉連合軍

 

それもこれも織田信長の死が発端となった

 

秀吉はこの流れを読んでいたというか、待っていたように思えます

 

織田信雄が秀吉討伐の協力を求めてきた

 

軍の拠点は

家康と信雄軍が小牧山城

秀吉軍はそこから一里半離れた楽田城

にらみ合いが数日続く

 

この戦い、両軍の兵の数の差が大変大きい

 

両軍動きが無く数日経っている

 

そこで、本多正信の提案

悪口作戦を仕掛ける

 

秀吉の悪口を書いた立札を市中のあちこちに立てた

 

今ならSNSで、拡散させるんでしょうね

速い、広がりが大きいなど効率がいいです

 

 

秀吉側の重臣が、小牧山城の動きを見て取った

それは、どうやら堀を彫っている様子だという

 

秀吉はまだ攻め込む気はない様だが

 

重臣が自信があると策を出してくる

それは、信長も良く実行した

「中入り」

という兵法

これは、一部の兵を使い敵の虚をつく

奇襲に驚いている間に相手を倒す

 

結局、秀吉は三万の兵にて岡崎城を落とす命を下した

秀吉にとって三万の兵は三分の一弱の数でしかないんですよね

すべてで十万!

 

ところが堀を掘ってるだけと思っていた

家康軍の兵が、目の前に構えている状態

 

秀吉軍にすれば、なぜ、いつの間にここまで来ている⁈

 

これが、家康軍の秘策であった

提案者:徳川家康

具体的設計者:榊原康政

 

堀を拡張していると見せかけ

城からの逃げ道、出口を突貫工事で仕上げていたのだ

 

大成功でした

これが長久手でのこと

 

重臣の森長司や池田恒興が討ち死にし

秀吉は退却した

 

家康も兵を引き、小牧山城に勝どきが上がった

 

ただ、石川数正ですが

 

 

元から、秀吉とは戦わず和議をと言っていた人ですよね

秀吉の小分けの軍を落としただけのことと

この先の秀吉の出方を案じています

これで戦いが終わる訳はない、と

秀吉の手強さに不安を感じているようです

 

小牧長久手の戦いで

「徳川四天王」としてクローズアップされた家臣

皆若手?ほぼ若手です

勢いがあって、戦いましょう派

 

* 本多忠勝

 

幾つもの戦に出るも、「かすり傷ひとつ受けたことはない!」

が、決まり文句

戦いも強いし、気も強い

殿によく食って掛かってますが

殿をとっても好きで信頼しているのです

あなたのためならどこまでも、です

 

 

* 榊原康政

 

本多忠勝に憧れ、家康家臣になったはず

その頃は軽くて生意気で令和に居てもフツーな感じ

事が起きるたび、次第に賢く誠実になって来ました

忠勝の武力には勝てないと、方針転換

家康家臣団に頭脳派で出ています、売れてます♪

 

 

* 井伊直政

 

つい最近まで万千代君だったのに

TV番組「歴史探偵」では

「家臣団のZ世代みたいな…」と仰ってましたよ

井伊の赤鬼と呼ばれ、赤備えの兵を牽くまでになりました

速い出世ですね

この俳優さん、青天を衝けでは徳川昭武役でしたね

「プリンス・トクガワ」と呼ばれていたそうですが

ほんとに、歩き方などとても上品さを感じました

 

 

最後のひとりは

Z世代まとめ役

 

*  酒井忠次

今は(さえもんのじょう)と殿から呼ばれてますね

 

四天王の中でZ世代ではないものの

「安定感」は抜群

この方なくしては、成り立たないかも

ここぞ、というところにはピシッと居ます

 

「えびすくい」

(Z世代にはおじさん芸と思われるかな)

柔、剛揃えて信頼できる方です

家康も格別の信頼を置いていると思います

先生のような父のような

 

殿に信頼され、Z世代には慕われ

最強の德川家臣

四天王の手綱をにぎって

 

さえもんのじょうさんはどこまでも、救いの神です!

いつまでも、えびすくってくださいね♬

 

あなたは、扇の要です

 

 

 

 

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