寛弘五年(1008)
周りの人達がきっと待ち望んで待ち望んでいた
中宮彰子のご懐妊
でも12歳で入内して出産が20歳前後
現代とは年齢が全然違って、どうなんでしょうか
いずれにしても、道長の政の切り札ですね
この方ジョーカー引きませんからね
中宮彰子が
「今まで導いてくれて礼を言います」
藤式部をとても慕っていて
藤式部になら言えることがあるんでしょうね
出産のため内裏から土御門邸に退出する時
まひろ(藤式部)もいっしょに行きましたね
いよいよの日
祈祷をする僧侶たち、いったい何人来てもらったのか
たくさんの蔵人たちも祈っています
公任、行成、道綱などなど
上司の娘の出産日に部下たちが駆け付け祈る
ほお~~
祈祷師の中には巫女がいて
狂ったように叫び、すごいこと暴れています
それを抑える者数人
「道長あ~~~~!」 と巫女が叫び
はて
この「道長~~」はどんな気持ちが込められてるのか?
「お静まり下さいませ」 との道長のことばで
巫女は絶叫して気を失った
はて
なんか笑っていいのか?どうなのか?
思案に暮れました
確かに藤原兼家も伊周も呪詛だのなんだのと
木や紙でできた人型を切り付けて呪いをかける
凄いシーンもありましたが
出産の時も似たようなことするんですね~
そして産声が
皇子でした
道長は持ってるなあ~~ だいたい叶ってます
百舌彦ウルウル、うれし泣きでした
道長には、百舌彦
まひろには、乙丸
身を粉にして仕える、いい人
絶大の信頼をよせられてるお二人
大事な存在ですよね♪
長生きしてねーー!
産後の雰囲気も落ち着いたようで
まひろは誰もいない所で
おそらくまひろが住まわせてもらってる所
ひとり歌を詠んでいた
「めずらしきひかりさしそうさかずきは
もちながらこそちよもめぐらめ」
即興詩人です
道長がやってきて
「その歌のこころ きかせてくれ」
まひろ
「中宮という美しい光に
皇子様という新しい光が加わった盃は
今宵の望月のすばらしさそのままに
千代もめぐり続けるでありましょう」と
まひろはこの時に
道長の世を「望月」に例えていたんですね
あっという間に
「五十日の儀・いかのぎ」
なんとも彩り良いご馳走盛りだくさん
見事なお膳が設えてありました
道長「無礼講である
皆々 楽しんでやってくれ
いっくらでもやってくれ」
道長、早々に出来上がってる?
酔ったみたいな口調で、あらごきげんさん♪
道綱、実資、あろうことか公任までが
もう、べろんべろん
祝賀の席に流れるBGMは、ジャズ ♩♫ ♫♩…
道長が立ち上がり、緊張が走った
道長 「藤式部 なんぞ歌を詠め」
まひろ、あっという間に整いました
「いかにいかがかぞえやるべきやちとせの
あまりひさしききみがみよをば」
道長の返歌も早い!
「あしたづのよわいしあればきみがよも(の)?
ちとせのかずもかぞえとりてむ」
テレビに流れるふたりの歌が聞き取れなくて困りました
多分いくつか間違っていると思うのですが<m(__)m>
あれですね、声を聴くだけでなく
声を出している人の口元を見るのも大切ですね
思い出しました、私の父は耳が遠かったので
話しかける時は
大きな口開けて、大きな声で
くちびるを一文字ずつその形にして声を発っする
たまには、話すのが面倒やなあと思えた時も
あかん娘です、私
親孝行したい時には親は無し
宴のあとなのか
赤染衛門
「左大臣様とあなたはどういうご関係なの」
さあ歌のようにキレッキレで返すのだろうかまひろは